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掌篇小説『ルトゥール』(406字)

黒いドレスの、彼女が現れた。申し訳程度のスポットと拍手をあび、酷い音のマイクで、唄う。

私は、知りもしないカップルの披露宴に紛れこんでいる。彼女の唄を聴く為に。

この式場では責任者の趣味で『往年の歌手をステージに呼ぶ』という余興が否応なしに組みこまれる。今日は彼女が出演すると、風の噂にきき。

彼女は十代のころ2曲の中ヒットを飛ばしたのちフェイドアウトし、忘れ去られた。名前に「おぉ」と声を出す者も数人いたが、容色も喉も衰えた彼女の唄はあえなく無視され、談笑に埋れる。新郎新婦は何やら諍う。私はそんななか歌詞ひとつ逃すまいと、耳で喰らいつく。旋律を紡ぎきれぬ掠れた囁き、ほの蒼く陰翳を纏った肌は、哀しく美しい。

2曲唄い終え、会場が元通り明るくなるより前に彼女は、去る。恐らく内蔵をひとつふたつ抜いた、抽象画のように細いボディが、闇に融けてゆく。己の墓場へふたたび還るのだろう。私は泪を溢し見送る。新郎新婦は怒鳴り合う。





©2022TSURUOMUKAWA

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