![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/81558482/rectangle_large_type_2_87fc3f66ae6035c74b6ef5d9425d37ea.jpeg?width=1200)
掌篇小説『Z夫人の日記より〜回覧板』
5月某日 慢
日曜。
今日は事務所の連中で草野球をしているが、私は出場も応援もサボり、電話線も抜き、部屋でごろごろ。
仕事の付き合いから逃げていたら、そのうち干されるかしら? と、11階の部屋からふいに遊びにきて紅茶を飲む、高名な女装家に聞く。
「大丈夫ちゃう? でもユニフォーム着たらええのに。コスプレやん」
と笑う。
リボンがいっぱいついたタイツの脚を組みかえながら。
彼女が帰った少しのち、1階へ新聞をとりにゆこうと、出ると。
エレベーターのなか、彼女のファンで、公私にわたる付き人でもある痩せた男が、外の小雨か或いは何かぶっかけられたか、しっとり濡れ、しかし頭は立派な寝癖をそびえさせた儘、立っていた。
「追っかけるのがだんだん億劫になってきて……そのうち干されますかね?」
私が首をかしげている間に、エレベーターは閉まり、下階へと堕ちていった。
雨脚がつよまっている。野球も中止になればいい、と思う。
5月某日 女(壱)
母と渡り廊下をゆく。
その途中、3号室だか4号室だか、未だに覚えられないのだけれど。
黒い紗のカーテンがあり。
その向う、女がいる。
正座を崩しスカートから脚を投げだし、後毛を垂らし本を読み。
頁を捲る指だけでも、艶めき悩ましいが。
カーテンは元から黒なのでなく、女に纏わる下卑た気(異性の劣情、同性の嫉妬)を積年吸い、薄闇さながらに黒くなったと言われる。
今や、戸締りせずとも、人を虫を寄せつけぬ結界を成していると。
「何にせよ虫除けは便利だわね」
と母。
カーテンにはラメの刺繍があり。
そこだけは今も清く耀き、女を飾る。
5月某日 客(壱)
メノウの人が、我が家に泊まりにくる。
荷は持たぬが、宅配で籐の椅子がはこばれてきた。
「これでしか眠れなくて」
と、来て早々、昼間から寝てしまう。ブルーに塗られた籐にメノウの色は映えるが、裸だし痛くないか? と思うが。
寝返りうった背や尻は、型から出したばかりのゼリーのように輪郭なめらか、色の濃淡が層をなし、綺麗。
夜は一緒に食事して。
深更、独り出掛けてゆき。いつ戻ったか、知らない。
5月某日 裂
夫のトリマーを拝借。
むろん髭用だが、草や枝も刈れ、南瓜の皮をも剥く。
ベランダの宙に、10センチほどの黒い濁りがある。見た目は只の煙だが、爪をあてると、カツカツ音をたてる。まるで透明な巨人が腕をだらしなくのせていて、かわききった瘡蓋だけが見えるかのよう。
トリマーの電源をいれ、刃を瘡蓋にあてると、バリバリバリ、と空間が裂け、穴があいた。
覗けば、此方とおなじに薄曇りの、此方と左右造りが真逆のベランダ。
鏡を見るように正面に立っているのは、私によく似た、男。
「………おや、又ですか。
裂けましておめでとうございます」
と挨拶。
5月某日 観
渡り廊下。
欄干にもたれ、川からの涼風と夕陽をうけて、おばさんが小さなテレビを観る。
乱れるパーマの髪も、撫で肩から片方ずり落ちたカーディガンも気にせず、天に向けたアンテナだけをくりくりと弄りながら。
「ここじゃなきゃ観られないのよ」
画面には、
解読不明の方言による通販番組、
映画のベッドシーン、
ウェディングケーキを造る工程、
の、映像と音声がかさなりあい。
一体どれが、おばさんの頬を紅潮させているのかは、わからない。
6月某日 街(壱)
うちのマンションは12階迄の筈だが。
エレベーターに『40階』のボタンがあるのを、担架を入れる際つかわれる扉の脇に見つけ、押してみる。
時間をかけ辿りついた『40階』は夜で、道路もはり巡らされた街で、市場もブティックもレストランも風俗も、24時間稼働している様子。
ただでさえ高いのに、もはや月へ届いているだろうホテルも建っており。
マンションの特徴である、色をランダムに組まれたタイルの壁だけは、どんな建物も一貫している。
但し、たいてい玄関に“Members only”とあり、どういうアレか『会員』であれば何処にでも行けるようだが、そうでないと服一枚買うにも、この国の言語と異国語をまぜて、ごちゃごちゃ言われる。
人は少ない。
アロハシャツと短パンで軽薄そうだが、金の時計を揺らし羽振りは良さげな中年男が、タイル壁に物憂げにもたれる若い娘をナンパする。
娘は男にそっぽを向きつつ、男がもつぱんぱんの皮財布には、舌舐めずりしているみたい。
うちのマンションで何やってんのよ、と、思わず言いそうになる。
6月某日 街(弐)
メノウの人と、『40階』の街に建つホテルで寝る。
人間ではないので不倫にならず、配偶者も嫉妬せず、第三者も誰も興味を抱かぬ。
彼は『40階』の『会員』らしく。どこにでも顔だけでパスできた。
抱きあってもあまり温まらないメノウの躯が、まるで私の方が稀有な生き物であるみたいに、私のあちこちに己の色の光をあて、さぐる。
いきなり、ドアの鍵を突き破って、相撲の見習いみたいな、真ん丸に膨らんだ若造が現れ。
どうやらメノウの人に何かしら私怨を燃やすようで、奥に肉が挟まった読み解きづらい語り口で、喚くのだか呟くのだか。
メノウの人は、ほそい身をベッドから起こし、かるい張り手数回で、若造をいとも簡単に、窓から投げ出し。
言い訳もCMも挟まず、私への上手なキスを再開する。
横目で窓を見遣ると。
道路でぼよんぼよん跳ねている若造。
6月某日 軌
マンション10階のAさんと、8階のBさんが御結婚。
「同居せず式も挙げません。僕達すこし血の繋がった遠縁で、それ位の距離感が丁度良い。軌道の近い星みたいなもんです」
互いの部屋に柱時計を進呈しあった。
「おじいちゃん時計とおばあちゃん時計って言うんですよ。鐘の音も似てるけど違うんです」
と微笑む。
6月某日 声
男の妖精がくる。
髪も髭も服も、翼も白い(但し、飛べないらしい)。
聴診器をもち、
「壊れかけた物の最期の声を聴く」
と言う。
最近壊れたうちのダイヤル電話を診て貰う。
聴診器ではなく受話器をとり、何やら話す。
「………最期の言葉、知りたいですか?」
と、困り顔。
やめておき。
夫と3人で30分ほど電話に向かい読経をする。
6月某日 報
5階のおばさんは、通販で買った機械の類を、説明書も見ずいじり倒しては、おかしな事を起こす。
今日はカッコーが刻を報せる時計がきた。
何故知ってるかと言えば、今朝エレベーターが開いたら、それにぴったり収まる巨大サイズのカッコーが顔をだし、マンションが震動するほどの音圧で、9回鳴いたから。
6月某日 女(弐)
エレベーターに、落書き。
眼と眉のメイクが鋭めだが、微笑みの優しい瓜実顔の女。顔のほか、描かれているのは、髪だけである。不整脈の如く波のこまかいパーマがかかった髪が、エレベーターの壁六面に、あてどなく広がっている。燃えるように天へ盛り、或いは枯れたように地に垂れ。子どもの悪戯にしては絵柄の成熟が過ぎるし、と言って大人による意匠にしては、ギャラリーへの意識に欠ける。油性マジックで描いたものだ。つんと、匂いがのこる。何を見るでもなく眠る風に眼をほそめる女のそばには、『カミナガイ子』と、名前?が記され。
いつしかカミナガイ子の落書きは消されたが。それから、マンション内でカミナガイ子は実在するのか何なのか、彼女にまつわる何かしらの噂を日々、聞く。
「子どもがベランダから落ちたところを、カミナガイ子の髪が助けてくれたって。胴に遺されてたひとすじのうねる毛を、神棚に奉ってるそうよ」
とか、
「カミナガイ子は笑ってるように見えるけど、ほんとは怒ってるよ。とくに、男を怨んでる。うっかり近づいたら、睨まれて縫いぐるみにされる」
とか。
奉られたカミナガイ子の毛は見ていないが、4階で行政書士事務所をしているおじさんが、ピンクベースのパッチワークで編まれた縫いぐるみとなっているのは見た。もとからぷっくりした顔と体躯で、布の質感、綿の詰め加減がよく似合っていた。
6月某日 泳
男の妖精がくる。
眼がほそく、筋骨隆々。エアコンの修理にきた。
「部品交換だけです」
と言う割に、腕に抱えた段ボール箱は大きく、蠢き。
エアコン本体を瞬く間に分解し、肝臓みたいな物を最奥からごっそり抜いたかと思うと、かわりに、箱から鮪のような活魚を掴みとり、暴れるのをおさえ、つっこむ。ふたたび成型をし終え、蓋をとじたころでやっと、静かになった。
「これでいい風が泳ぎますよ」
と、灼けた肌をてからせ、誇らしげ。
7月某日 客(弐)
「お客嫌いなの。なのに来るの。
法事もないのに親戚とか、仲良くもない知り合いとか、赤の他人まで」
とこぼす、2階のYさん。
「誰も来ないよう御札を買って貼ったんだけど、ぜんぜん効かなくて……
よく見たらその札、
『待合室』
って書いてある。
道理で誰も喋らないし、茶菓子出したら変な顔されると思ったわ」
©2022TSURUOMUKAWA