掌篇小説『消える夏』(409字)
西陽の元、幽霊の如く白い女。
痩せた躯に紗の着物を崩し気味に巻き。
「心配に及びませんわ」
離れながらも、霧の如く纏わる声が忌々しい。女に夫は誘惑された。
「悪戯など赦せと? ふざけないで」
「悪戯? いいえ、一度だって…
私に、愛でも欲でも昂らせた男は…燃えつきたのち、私の顔を忘却します。この部屋の扉を、閉じた刹那を境に」
夫は嘘が上手ではない。証拠をつきつけても
「そんな女は知らない」
と。本当に、忘れた?
「御主人は奥様の元へ帰る…良いじゃありませんの。奥様と同様激昂した女達も、夢みたいに私を忘れ」
頬を打った。
結い髪が乱れる。声も含めた、女を織り成す曲線の美麗さが、憎い。
「愛ですって? 使い棄ての、売女が」
伏せがちだった女の眼が、髪の隙間でギョロリと開かれ、怯む。私は部屋を出る。
陽に灼けた坂道が歪んで映る。でも女を鮮明に覚えている。死ぬ迄忘れない。
よろけながら、家に帰りつく。
玄関先、水撒きする夫が、唇を開き。
「どちら様」
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