親ガチャ(2/9)【小説】
前回の続きです。
靴が増えている。
友晴はげんなりしながら、革靴を邪魔にならないように端っこに置いた。
重い足取りで、リビングに向かう。引き出物が入った無駄に大きな紙袋が重くなってくる。
「おかえりなさい」
ダイニングテーブルに座っている母親の佐藤佳子がこちらを向く。姉の玉井恵はスマホから目を離さない。
友晴は「うん」と返事をして、テーブルに紙袋を置く。広いテーブル上でも引き出物用の紙袋は存在感がある。
「邪魔なんだけど」と恵はスマホから目を離さないまま棘のある言い方をする。友晴はそっと恵の前から紙袋をどかした。
「引き出物?」と佳子が尋ねるので、頷いた。
「前も言ったと思うけど、お姉ちゃん、しばらくいるからね。大変なときだから」
そう言いながら、佳子は紙袋に入っていた箱を3つ取り出す。箱の大きさの割に紙袋が立派すぎる。結婚式というのは無駄ばかりだ。
佳子が三つの箱を順番に開けていく。中は焼き菓子とかつお節とQRコードがついたカードだ。
恵も興味をもったのか、やっとスマホから目を話す。
「結婚式行ってたの? てか、あんた家にいなかったんだ。いつもいるんだか、いないんだか分からないから、気が付かなかった」
恵も佳子も自分にそこまで興味はない。珍しく外出していたのに、それが今まで話題にあがっていないのが何よりの証拠だ。
「何、このカード?」
そう言って、恵は勝手にカードを手に取って、スマホでQRコードを読み取る。
「私のときは冊子だったのに、QRコードのやつもあるんだね」
恵は「ほら」とスマホに映し出された引き出物のカタログを佳子にも見せる。
「便利な世の中ね。何でもアプリでできるんだから」
佳子が笑いながら言う。
「本当だよね。ねえ。これ私が選んでいい? ちょっと早い出産祝い。どうせあんた何もしてくれないでしょ」
恵はようやく友晴と目を合わせた。
お腹が一段と大きくなっている。この中に新たな生命がいると思うと、不思議な気持ちになると同時に恵の子で可哀そうと思ってしまう。
「好きにしたら」と言う友晴の声を無視して、恵はスマホに没頭する。
「ねえ、これ良さそう」
恵は佳子に自分のスマホをもう一度見せる。
「あら本当、いいわねえ」
恵は絶対に友晴にスマホを見せない。スマホだけじゃない。漫画もゲームも恵から見せてもらったことがない。全て独り占めだ。「姉なんだから貸してあげなさい」というような母親の定番のセリフを友晴は一度も聞いたことがない。
そもそも「好きにしたら」とは言ったが、普通は佳子も「友晴が頂いたものだから、勝手に選んじゃ駄目よ」というようなことを言うのが筋だろう。当たり前のように友晴のことを庇わない。
佳子は恵を甘やかしていたわけではない。恵が外で迷惑をかけたり、勉強をサボったりしていたら人並みには叱られていた。でも友晴が関わることには何も言わない。恵が怒られないラインで嫌な事をしていたというのもあるだろうが、佳子にとって友晴がどういう感情になろうが、関係なかったのだ。
恵と佳子が一つのスマホを一緒に見ている。まさに仲よし親子の構図だ。佳子も恵もそこに友晴を入れる気はない。友晴にはない絆の太さを見せつけてくる。こういうところが嫌いだ。
友晴はリビングから出る。
「ご飯はどうするの?」と佳子の声が背中から聞こえる。同居人としての義務感で聞いているのは明白だ。
友晴は「いらない」とだけ言って、部屋に戻った。
「これだからニートは」という恵の声が聞こえた気がする。友晴はそれを振り切るように部屋に戻った。
部屋の中はいつもと変わらない。やっと肩の力が抜けた気がした。
いそいそと暖房をつけて、コートと礼服のジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを外して、床に投げ捨てる。シャツとズボンはそのまま、ベッドに転がる。しわになることなんて全く気にならない。
ポケットに入れてあったスマホを取り出し、産まれたときから本能的に知っているかの如く認証を解除する。
ホーム画面の右手親指がすぐ届くところに配置したXを開く。帰りの電車で見てからまだ1時間ほどしか経ってない。それなのに、この1時間で起こった多くの出来事が一瞬で流れ込んでくる。友晴はXを見ていない1時間で世界にもたらされた情報にざっと目を通す。
友晴のアカウントを知っている人は誰もいない。そのおかげでXの中の世界が自分の為だけにあるような気がしてくる。何かポストするわけでもないし、誰かにフォローされているわけでもない。でも、世界には情報が溢れていて、自分が何をしなくても世界がこちらにやってくる感覚が心地いい。
右に1回スワイプし、おすすめのトレンドワードを見る。政治関連や芸能人の名前やバラエティ番組の名前がトレンドに入っている。大手ゲーム会社が新しいゲームアプリをリリースしたらしく、そのゲームに関するワードもトレンドになっている。下の順位には『リセマラ』というワードがトレンドになっている。文字をタップすると、『リセマラ』という単語が入ったポストが並んだ。
アプリゲームの多くはリリース時に配信記念として無料で何回かガチャを回せる。この時に目当てのキャラクターが出るまでガチャを回すのだ。出なかったらデータを消してやり直す。データを消去しても問題ない唯一の段階だから、目当てのキャラが出るまで何回も何回もやり直す。
ガチ勢と呼ばれる人種のポストには『もう100回は回しているのに出てこない』『数回しか回してないのに出てきた』など、それが人生の全てであるかのように阿鼻叫喚している。そんなバカなポストをみて、なんだかホッとする。
ドアの向こうから笑い声が聞こえる。今日は佳子が毎週土曜日になると観ているバラエティ番組の放送日だ。Xのトレンドにも入っている。今世間で話題になっていることを複数の女性芸能人がトークする番組だ。先週の放送が話題になり、今回の放送も注目されていると、帰りに見たネットニュースで読んだ。先週のテーマがまさに『親ガチャ』だった。
結婚式での武と聡とのやりとりが思い出される。陽の幸せそうな姿より二人の会話のほうが鮮明だ。「親ガチャってただの言い訳だもんな。努力をしなくていい言い訳に使っているだけだよ」と言う武の声が耳に張り付いている。武の声なんか再会するまで思い出すことができなかったのに。
喉が渇いてくる。コンビニで何か買って帰ってくれば良かった。
友晴はXの検索欄に『親ガチャ』と打ち込んだ。『お』と入れただけで予測変換に出てしまう。
検索に引っ掛かるポストは先週の放送時のものが中心だ。
『親からもらえる才能がすべてだ。二世タレントとか見てそう思う』
『親がお金持ってないと良い大学にもいけないもんな』
『この前もらったお年玉で、親ガチャ失敗だと思ったわ。親ガチャ成功したかった』
親ガチャに肯定的な意見を見るとホッとする。やっぱりこれが正しい意見なのだと思える。
部屋に暖房が効いてきたのか、暖かくなってきた。スマホを触る指先までしっかり血が通っている。
『親ガチャ』のトレンドポストをスクロール続けると『いいね』が1万もついているポストが出てきて、思わず手が止まった。
『親ガチャ失敗ってここでポストしている奴らは恵まれているよ。自分がいかに恵まれているか理解できていないのだから親が可哀そう』
リプライや引用ポストは同意の声で溢れていた。
友晴には、こういうことを呟く奴が一番恵まれているとしか思えない。天才と言われている人間は皆、親の才能を受け継いでいるし、親がその人間に合った育て方をしている。親がきちんとしてないことには子どもの成功はありえない。例えば、親ガチャに成功していなければ、メジャーリーグで次々に記録を出している二刀流の日本人選手なんて出てくる事はない。
お腹がすいてきた。佳子には「いらない」といった手前、自分で調達しなければならない。でも、恵と食卓を囲むよりはましだ。
友晴は重い体を起こし、着替えることにした。タンスに入っているジャージを適当に取り出し、スラックスとシャツを脱ぎ、着替えた。寒さ的にも見た目的にギリギリ外に出て許される格好になった。これくらいの服装が自分には丁度いいと友晴は思う。
そっと部屋から出ると、廊下にも暖房の暖気が流れてきて、そこまで寒くない。
「『親ガチャ』なんて最低な言い訳だよね。自分の努力不足を親のせいにしてさ。親からしたらお前が失敗だろって」
リビングと廊下をつなぐ扉が開いたままだから、恵の声が廊下まで聞こえてきた。声には怒気がこもっている。
Xのトレンドを見る限り、今日の番組の内容は『親ガチャ』の話題ではなかった。おそらく先週恵も観ていてその話題になったのだろう。
「私の子には親ガチャ失敗だなんて言わせない。絶対に」
力強い恵の声が聞こえる。
「本当ね。言わせないように頑張らないとね」
佳子も恵に同意しているようだ。
「あいつもこの言葉に縋っていたりしてね」
「それは止めてほしいわね」
廊下から一切の音が無くなった。耳が二人の声だけを捕えようとしている。
友晴は恵たちの声を耳に入れたくない一心で、玄関に向かいつつスマホでもう一度Xを開く。『親ガチャに失敗した』というポストを見つけて心が穏やかになっていく。
友晴はスマホをポケットに入れ、靴を履く。黒い革靴が目に入る。結婚式に履いて行った革靴を片付けていなかった。また暫く履くことはない革靴を靴棚にしまう。
そっと外に出ると、シンとしていた。マンションの廊下から見る外の景色はすっかり暗くなっている。でも、風が吹いていないおかげで思ったほどの寒さではない。
友晴はポケットからスマホを取り出し、マンションの廊下を歩きながらもう一度Xを開く。
『親ガチャ 言い訳』と検索欄に入れてみる。恵も武も聡も同じことを言っていた。そして、Xにも同じことを言っている人はたくさんいる。
エレベーターに乗りこみ一階のボタンを押す。エレベーターは止まることなくスムーズに下がってくれる。
『親ガチャは言い訳にすぎない』
『親が貧乏で学歴も無いけど、努力だけでそれなりに稼げるようになった。親ガチャなんて言い訳はやめたほうがいい』
こうやって言う奴に限って自分が恵まれていることに気がついていない。努力できる環境は整えてもらっていたのに、さも自分の力で乗り越えたというような言いぶりは傲慢であり、ただの強者の理論だ。
恵たちのように今が充実していると思っている多くの人間は『親ガチャ』否定派だろうな、と思う。自分の実力で成り上がったと誤解している。多くは親の影響を受けるものなのに。
マンションの建物から出ると空気が澄んでいて気持ちよさを感じる一方で、スマホを触っている手がかじかむのが不快だ。
月明かりが濃く、星が見えない。
『親ガチャって第一線で活躍している人の努力を軽視しているようで、嫌な言葉だね。努力しない人の言い訳には使えるけど、結果を残している人はそんなものに頼らずに頑張っている人ばかりでしょ』
『親ガチャ』はある。確実に。でなければ、天才たちの説明がつかない。何かで世界一になるような人、ルールを変えるような規格外のスポーツ選手、最年少記録を出し続ける棋士、ノーベル賞を受賞する人、世界的な音楽家や画家、美しいモデル、おもしろい芸人。これらの人は才能があったからこそ、偉業を成し遂げられ、名声をあげられたのだ。それに加えて、親がその才能を育む環境を与えているからこそ、成功を収めているのだ。
スポーツ一つとっても、運動神経が良いだけではなく、過酷な練習に耐えられる根性やメンタルの強さ、そのスポーツに対する愛情、それらすべてが才能として受け継がれている。そんな化け物になるのは後天的な努力だけでは絶対に無理だ。更にそんな並外れた才能を下支えしている環境を与えてもらえるからこそ、結果を残しているのだ。
今日の結婚式だってそうだ。浮かれた顔つきでいる人たち全員、結婚したり、仕事で充実したりしている。本人たちは「普通の幸せを手にしているだけ。努力した結果」と言うだろう。でも、これだって親ガチャのおかげだ。そういう風に生まれてきただけだ。普通以上を手に入れられるだけの才能があったのだ。
風が頬をかすめた。風が吹くとさすがに寒い。スマホをズボンの右前のポケットに戻し、そのまま手もポケットに入れたままにする。ポケットの中に手を入れると寒さが少し和らいだ気がする。
姉の恵も武と聡も『親ガチャ』を否定していた。言い訳に過ぎない、と全員が言っていた。でも、誰も気がついていない。自分たちが強者側であり、『親ガチャ』に当たっただけだ。それを簡単に言い訳と切り捨ててくる。親ガチャに外れた人たちのことなんて見ようともしない。
前から女の話声が聞こえてきた。2人組がこちらに向かってくる。「明日緊張するねえー」という言葉が耳に入る。友晴はすれ違う時に2人組をちらっと見ると、制服姿で手には銀の取っ手に黒く四角い重厚感のある箱を持っていた。
友晴は頭をふる。見たことある箱だった。家に持って帰ってくるたびに何回蹴とばしてやろうと思ったか分からない。あの箱の中には間違いなく、楽器が入っている。
恵は高校の時、全国のコンクールにも出場した吹奏楽部の部長だった。友晴が見ている姿からは想像もつかないが、「皆に好かれる良きリーダー」と面談で言われたことを佳子が喜んでいたのを覚えている。
考えてみると、小学生の時から友晴は恵に何もかも負けていた。でも、友晴も恵に一度だけ勝ちたいと思うことがあった。
中学生の時、恵より1つレベルが上の高校に受かるために勉強に取り組んだ。恵は部活をやりながら、地域2番目の高校に受かっていた。本人は「吹奏楽が強いのはこっちの高校だから」と言っていた。友晴は学力が足りなかった醜い言い訳だと思っていた。ここで上の高校に入れば、見返せると信じて疑わず、勉強にのめり込んだ。
部活にも入らず、友達とも遊ばず、勉強をした。塾にも行った。絶対勝てると信じていた。
それなのに、だ。中3になって周りも勉強をするようになると、2年生までは10位以内の成績だったのに、順位が下がっていった。担任の先生に面談で、もう少し下の高校目指した方が良いと暗に言われた。でも、友晴は恵より良い高校に行くということを諦められなかった。
佳子には「あなたの好きにしたらいいよ」と言われていた。当時の友晴は佳子の言葉を鵜呑みにしてしまった。応援してくれているとさえ、思っていた。今思えば、佳子は友晴に興味がなかったのだと分かる。失敗しようが、成功しようがどちらでも良かったに違いない。でも、中学生の健気な自分には気づけなかった。
受験した感触としては五分五分だった。それでも、恵に勝つために頑張ったのだ。受かるに決まっていると自分に言い聞かせながら、第一志望の高校の掲示板の前で番号が貼りだされるのを待った。
時間ピッタリに教師らしき人が掲示板に紙を貼る。周りで歓声や落胆の声が入り混じる中、番号を探した。
友晴の番号はなかった。不思議と悔しいという気持ちは湧かなかった。よく「全力でやったから悔いがなかったのだろう」と言う奴がいるが、明らかに違う。ストンと何かが腹に落ちたような感覚だ。自分の前の席の人は受かったんだなとかボンヤリ考えていた。そして、ここに番号がある人たちは恵と同じ人種なんだな、と分かった。
友晴は滑り止めで受かっていた私立の高校に行くことになった。佳子は何も言わなかったが、少しため息をついていた。
友晴が通うことになった高校は恵が通う高校より少し下のレベルの高校だ。せめてそこでは、結果を残したかった。滑り止めなのだから。でも、蓋を開ければ真ん中より下くらいの成績に落ち着いた。予想以上に同じ高校の皆は賢かった。
恵は中学時代から、ずっとトップだったと聞いたのは友晴が高校生になってからだ。中学の先生からは友晴が行こうとしていた高校を勧められていたらしい。恵は地域2番目の高校でもトップになり、地域1番目の高校でも上位の人しか受からない大学に現役で合格してしまった。大学入学後はサークルやバイト、留学まで行って、充実させていた。就活でも大手企業からあっさり内定をもらい、入社式では新入社員代表挨拶も任されたと聞いた。そして、入社後も充実した日々を送り、仕事の関係者と結婚までした。しかも、友晴から見てもイケメンで性格も良い人がお相手だ。最終的にはお腹に赤ちゃんまでいる。誰もが羨む順風満帆な人生を歩んでいる。
対して友晴は大学時代、学校と家の往復と最低限のアルバイトしかしていない。友達なんてできなかった。せいぜい、少し挨拶する知り合いにノートを見せるだけの関係しかなかった。旅行にも行っていない。ただただ、講義に出席だけしてスマホで時間をつぶす毎日だった。就活はもちろん苦労した。適当な中小企業に入ったが、毎日楽しくないし、自分がいてもいなくても一緒だな、と思って辞めた。今は無職だ。就職する気力も湧かない。自分には普通に生きる才能すらないし、それをカバーしてくれる環境も与えられなかった。まさに親ガチャ失敗。
風が吹き抜ける。友晴は少し身震いした。
『親ガチャ』という言葉に出会ったとき、自身の感覚が漸く言語化された、と感じた。ガチャに外れただけなのだ、と初めて自分を受け入れられた気がした。
友晴と恵は実の姉弟だ。だから当然、同じ親から生まれている。それなのに、恵だけが親ガチャ成功だ。常に褒められ、興味を持たれ、大切に育てられた。
友晴に対して、佳子は「好きにしたらいいよ」としか言わなかった。塾に行かせるなどの、最低限の誰にも文句を言われないレベルのことしかしていない。
親ガチャは絶対評価だ。同じ親でも、大事にされなければ才能は育たない。同じ親でも親ガチャは失敗するのだ。
ズボンの右ポケットに入っているスマホが震える。ヒンヤリとした空気の中、手を出すのは億劫だったが、通知を見たい欲には勝てない。
スマホをとりだし、画面を見ると、陽と武と聡と友晴のLINEグループに通知がきていた。
『今日はありがとう』
陽からのお礼だ。すぐに、武からも『楽しかった』の言葉と写真が送られてきた。
陽と奥さんと友晴たちで撮った写真だ。皆良い笑顔で写っている中、友晴だけ明らかに笑えていない。
今日の結婚式に来ていた人間は全員『親ガチャ』に当たった人たちだ。自分は成功しているという自負があるからこその笑みがこぼれていた。ご祝儀の3万円が痛くも痒くもない人。友人の幸せを素直に讃えられる人。全員自分とは違う。
結婚式にいる人間は現実世界で充実できている、選ばれし人間たちだ。写真に溶け込んでいない場違いな自分をみて、嫌になる。
冷たい風がスマホを持つ手の感覚を奪っていった。
※続きです。