親ガチャ(4/9)【小説】
人が歩く風景に意識を向けるのはいつぶりだろう。人間なんて見たくなかったから、いつも地面ばかりを見ていた。人の歩く姿が新鮮に映る。
ドトールの窓際のカウンター席から見える大通りでは人がまばらに歩いている。歩調が軽やかな人ばかりだ。駅前のドトールだから、平日ならスーツを着た人々や学生たちが時間に追われて早足で歩いているのだろう。友晴は改めて今日は日曜日だと感じる。
昨日の陽の結婚式は土日休みの会社員に配慮してか、土曜日に行われた。友晴には何の関係もない配慮だった。
友晴は繁華街に来て、人通りが多い道に面した駅前のドトールに入った。スタバに入るのは憚られるが、ドトールなら大丈夫だと思えた。カフェに入ることすら久しぶりだったが、挙動不審にならずにホットコーヒーを注文できた。
自分みたいなヨレヨレな人間にもドトールの女性店員は快活に仕事をしてくれた。おそらく大学生のアルバイトだろう。顔立ちも整っていたし、友達も多く、苦労なく生きられるタイプだと推察される。そして、頭上には『5』が浮かんでいた。
友晴はスマホの黒い画面に映っている自分を確認する。頭上の『100』は消えない。走ってみてもジャンプしても頭を振っても消えなかった。繁華街に来るまでの道中、犬を散歩させているおばさんに跳ねているところを見られた。そのおばさんはこちらと目を合わせないように、そそくさと歩いていった。そのおばさんの頭上には『0』が浮かんでいた。そして、自分の真上の数字は見えなかったのに、人の顔を見ると頭上に数字が浮かぶことがそこで発覚した。
開店してそこまで時間が経っていないからか、店内にお客さんはそこまで多くない。
3つ隣の席に若い男がマックのノートパソコンで作業をしている。白のタートルネックのニットに黒のパンツで、清潔感の溢れる格好だ。その姿がカフェでの作業にマッチしており非常に不愉快に感じてしまう。
友晴は自分の服装を見る。グレーのパーカーにジーンズ。決してダサいとまでは思わないが、何か野暮ったい。ドトールにいてもいいのか、少し不安になったが、今は疑問の解消のために仕方がない、と自分に言い聞かせる。
若い男の横顔を見ると、頭上には『0』が浮かんでいる。友晴が見ていることに気づく様子もなく、マックのキーボードを叩いている。周りを気にせず、自分のやりたいことを自信満々にしている顔だ。
友晴はもう一度、窓の外を見る。道を歩く人が増えてきた。休みの日の朝なのに、流石は繁華街だ。1人の人、カップル、親子、友達同士、様々なジャンルの人が歩いている。そして、全員の頭上には数字が浮かんでいる。SNSの写真とは違う臨場感がある。
道行く人の数字を追っていく。学生のころ一度だけやった交通量調査のバイトを思い出す。ひたすら車種ごとに車を数えるのは楽で良かった。
『3』『0』『2』『8』『10』『1』『5』『0』
コーヒーを見ながらボーっと外を眺めているだけでも様々な数字が目に入ってくる。普通の顔をして歩いているのに、頭に数字がふわふわと浮かんでいるのは滑稽に見えて、笑いそうになる。友晴は自分が思っている以上にこの光景を楽しめていることに気が付いた。散々スマホで調べたり、自分の頭上の『100』を確認したりしたから、異常なはずの光景に慣れてしまったのだろう。
夜中に目が覚めてから寝ていないのに、全く眠くならない。むしろ目が冴えてきている。
コーヒーを一口飲む。一番安いという理由だけで選んだはずだが、美味しい気がした。
友晴はポケットに手をつっこみスマホを取り出す。調べるのに夢中になりすぎて充電するのを忘れていた。充電の残りが10%を切っている。持ってきた充電器でスマホを充電する。こういうカフェはいくらでも充電ができてありがたい。
Xを開き、検索欄に『頭上 数字』と入れてみる。すると、いくつかポストが出てきた。でも、『ゲームで頭上にHPの数字がでてほしい』という意味のポストか、占い師的な人が『お告げの数字が見える』というようなポストばかりだ。
友晴は今の状況を誰にも公言できないな、と悟った。『頭上に数字が見える』と誰かに言おうものなら、危ない人間だと認定されるだろう。信じる人は誰もいない。友晴もXにいた『お告げの数字が見える』とポストしていた人と関わりたいと思えない。
大丈夫、自分は危なくない、と友晴は自分に言い聞かせる。だって本当に浮かんでいるのだから。
外では背の低い街路樹の枝が少し揺れた。数字を頭上に浮かべて歩いている人々も少し肩をすくめて寒そうにしている。
友晴はXでトレンドになっているワードを眺める。すると、最近売り出し中らしいアイドルの名前がトレンドになっていた。日曜の朝にやっている情報番組に出ていたらしく、その番組に映ったアイドルの画像がたくさん出てくる。黒髪の清純派な出で立ちで目がキリっとしている。頭上の数字は『78』。ここまで大きい数字は初めて見たかもしれない。友晴の数字よりは小さいが、あまり見なかった数字だ。数字の意味ばかりを考えて、数字の大きさをあまり気にしていなかった。もしかしたら、数字の大きさに意味があるのかもしれない。
友晴は心臓あたりがうずいてくるのを抑えるために、コーヒーと一緒に持ってきていた水を一気に飲む。
もう一度トレンドのランキングの画面に戻る。トレンドにはスマホゲームのタイトルや新作映画のタイトルがトレンドに入っている。その中で『♯東大生の母』というワードが目についた。
『♯東大生の母』の文字をタップすると、さっきのアイドルとその母親らしい人のツーショット写真がついているポストが最初に出てきた。母親は『72』でアイドルは『78』でどちらも比較的大きい数字だ。
スクロールすると『♯東大生の母』がついている複数のポストが出てくる。情報番組で指定されたハッシュタグのようだ。
『アイドルやりながら、東大とかすごすぎ ♯東大生の母』
『お母さんも美人で高学歴だって 遺伝ってすごいなあ ♯東大生の母』
『東大生のお母さんはやっぱすごいなあ ♯東大生の母』
『私も子どもができたら、こんな教育しよう ♯東大生の母』
『♯東大生の母』がついたポストが怒涛の勢いでスマホに流れ込んでくる。どうやらこのアイドルは東大生で、その流れで『東大生のお母さんの子育て』という特集をやっていたみたいだ。
『父親は経営者 母親は美人高学歴 私もこんな家に産まれたかった ♯東大生の母』
『親ガチャ大勝利 ここまできたら嫉妬もできないな ♯東大生の母』
人間はやはり権威に弱い。経営者、高学歴、美人、といった、良さ気な肩書があると注目が集まる。だから、テレビとかのメディアはこんなくだらないことを取り上げる。
権威や肩書なんてものは、親ガチャに成功しない限り手に入れることはできない。メディアに取り上げられても、庶民がそんなものから学べることなど何一つない。それなのに、楽しそうに話題に出す。親ガチャを肯定しているだけの特集にすぎないのに。
友晴は親ガチャの存在を再認識した。それと同時に自分は親ガチャ失敗だったのだと、思い知らされる。
新卒で入った会社を辞めて、ニートのまま26歳になってしまった。若いのだからいくらでもやり直せる、と世間は言ってくる。親ガチャに成功した才能のあるやつは多少失敗しても挽回できるだろう。でも、いくら若くても挽回できない人もたくさんいる。できない人がいることを想像しない馬鹿ばかりで友晴は辟易とする。
友晴は窓の外に目をやる。人々がそれぞれ向かうべき方向に進んでいる。
『0』『4』『0』『0』『1』
数字が大きくないなと思う。『0』が多い。今見えている範囲に『10』を超える人がいない。やはり、数字の大きさには何か意味がある気がする。
友晴はもう一度スマホに視線を戻し、トレンドを読み込み直す。まだ、東大生アイドルの名前がトレンドにいる。さらには、東大生というワードがトレンドに上がっている。友晴は東大生の文字をタップする。東大生アイドルだけではなく、別の東大生が出ていた番組もあったらしい。このアイドルと別番組のおかげで相乗的にトレンドに上がってきていた。
ポストを遡っていくとテレビのキャプチャ画像もある。複数の東大生にインタビューをしていたみたいだ。
『45』『87』『76』『29』『81』『53』
天才と呼ばれる東大生たちの頭上にも平等に数字が浮かんでいる。人間である以外に、自分と共通点があることに、友晴は何とも言えない安堵した気持ちになる。
椅子を引く音が聞こえた。音がする方を向くと若い女性が友晴から1つ空けた席に座った。明るい茶髪でうねっている派手な頭上にも『0』が浮かんでいる。『0』の女性は持っていた白のトートバックからタブレットとペンと参考書を取り出して、テーブルに置いた。タブレットで勉強するようだ。自分は最新の機器で効率よく勉強できると言わんばかりだ。
右にはマックのノートパソコンで何やら作業している人、左にはタブレットで勉強する人。両人とも『0』だ。『0』と『0』に挟まれた。友晴は『0』という数字を普段意識したことがない。数学者からしたら素晴らしい数字だということを聞いたことがあるが、文系の自分からすると『0』である以上の意味はない。
スマホに目を戻し、更にポストをみていると東大生が街頭インタビューに答えている動画をあげている人がいる。その動画のサムネには二人の男と一人の女というアニメのような青春をしていそうな三人組が映っていた。ポスト主はその動画と一緒に『東大生で人間性も優れているのか……親に感謝とかしたことないかも』と記載している。
このポスト主も親ガチャに失敗して、親に感謝なんてしたくない負け組だ。
友晴はポケットからイヤホンを取り出し、耳につけて動画を再生する。真ん中にいた男が代表のように話し出す。
「東大に入れたのは親のおかげですね。感謝しかないです。卒業したら、親に少しでも恩返しができるように頑張りたいです」
虫唾が走る。話している本人はすまし顔で、その両隣の男女も当然である、という様な顔つきだ。友晴はその3人の顔を見て吐き気さえしてくる。
質問内容は切り取られていたから分からない。ただ、左上に『東大生が生まれる家庭事情』とテロップが表示されている。きっと、東大生に親のことをどう思っているかを聞いたものだろう。
いくら東大生とはいえ、本気で親に感謝している人がそれほど多いとは思えない。東大生は人間性も優れているという偏向報道の類だ。
インタビューを受けた東大生のそれぞれの頭上には『78』『69』『88』が浮かんでいる。右上のワイプに出ている芸人とアナウンサーは『35』『74』だ。
窓に目をやる。道を歩く人は増えている。目の前をチャラいけど顔は良くない男とかわいい女のカップルの男が通り過ぎる。男は『0』、女は『7』がそれぞれの頭上に浮いていた。次に歩いてきた小太りの眼鏡をかけた中年のおじさんが『0』。その後ろを歩く、制服を着た女子高生らしき3人組は『5』『0』『15』を浮かべている。『15』の女の子はふわふわしてかわいらしく、男受けが良さそうだ。逆に『0』は不細工で太っていて、馬鹿そうな見た目をしている。
なんとなく見た目が良い人のほうが、数字が高い。逆に不細工や体型が悪い人の数字が低い気がする。
Xをもう一度確認する。東大生たちは、顔が良くない人でも、『43』『62』『53』みたいにカフェの外を歩いている人と比べて数字が高い。
Xのトレンドを確認する。すると、二刀流で世間をにぎわせている選手が今日もホームランを打ったらしく、トレンドにその選手名があがってきた。友晴は『ホームラン』という文字をタップする。すると、二刀流の選手の写真がたくさんでてくる。頭上には『91』とあった。『90』代は初めてだ。
友晴は自分の中である仮定が思い浮かび、天才と言われ偉業を成し遂げている人の名前や関連ワードを検索して写真を見た。将棋で最年少タイトルの記録を更新し続けている人、NBAドラフトにかかった日本人、オリンピック金メダリスト、芥川賞作家、ノーベル賞受賞者、東大生社長、人気YouTuber、政治家としらみつぶしに思い当たる人を調べた。
スマホが熱くなってくるが、全く気にならない。むしろ、調べていくうちに心地よさを覚えたくらいだ。
友晴は顔を上げて、後ろを向いて店内を見渡す。まばらに客が入っているようだ。店員も忙しそうに注文を聞いている。そして、ここには数字が高い人は一人もいない。友晴は正面に向きなおってスマホを両手に握り、ゆっくり深呼吸をする。だが、高鳴る心臓は収まりそうもない。
Xで調べた、天才たちの数字は軒並み『50』以上だった。更にトップクラスの天才は『70』を超えていた。1番高かったのは、ノーベル賞医学・生理学賞を受賞した眼鏡をかけた50代の男だ。若々しいとまでは言えないが、スポーツをしているのだろうか、しっかりした体つきだ。受賞したときの笑顔の上には『92』と浮かんでいた。
窓を見ると、ガラスにはうっすらと自分が映っている。友晴は思わずにやついている口元を隠す。友晴の頭上には『100』が輝いている。
確信した。頭上の数字は才能の度数だ。勉強、スポーツ、芸術、経営。何かに秀でている人は高い数字なのだ。しかも、天才と言われる人を一通り調べても、『100』以上の人間が誰も出てこない。
ということは、だ。自分には何かとてつもない才能があるに違いないのだ。今、世間を騒がしている人以上の潜在的な能力がある、ということだ。
目の前を綺麗風な女性が1人速足で通り過ぎる。茶髪のショートヘアーで、ジャケットにパンツ姿でいかにも仕事ができるキャリアウーマンという風貌だ。その頭上には『1』がふわふわ浮いており、それが滑稽に思えた。日曜日だというのに速足にならないといけないほど、必死に仕事をする必要があるのだ。哀れな人間だ。
「ざまあみろ」と口の中で呟く。こう言ってしまうのは今の『1』の女性が姉の恵の姿を彷彿とさせたからだ。
恵は現在、産休を取っているが、その前は今の女性と同じような感じだった。恵は有名な日用品メーカーで人事をしていた。責任ある仕事をして、上司にも認められているようで出世も早いらしい。
「恵、あの有名な会社だって!さすがは私の娘!」
恵から内定を取った連絡を佳子が受けたときに興奮気味に言っていた。
丁度そのころ、大学生活を諦めていた友晴には「へえ」とだけ言って無関心を装うことしかできなかった。
恵は常に目立っていた。子どものころからどこに行っても中心的な存在だった。人生は彼女の思い通りに進んでいると思わざるを得なかった。本音を言えば、恵のことが羨ましかったのかもしれない。恵に適した環境を与えられ、良い人生を歩めていることに嫉妬をしていた。
でも、そんなことは、どうでもいい。
目の前の窓を、制服を着た男3人組が通る。『0』『2』『3』だ。3人とも同じ黒い大きなリュックサック背負っており、バスケットボールのキーホルダーがついている。この高校の制服は地域で一番頭が良い公立高校のものだ。そして、友晴が入れなかった高校の制服でもある。勉強もできて、部活も熱心に取り組んでいるのだろう。人生が約束された奴らだ。
惨めな気持ちになるから、目をそらしていたその制服に何の感情も湧かない。
今ようやく報われたのかもしれない。
世の天才たちは皆『100』に近い数字が浮かんでいる。一方で、平凡な人間は皆1桁だ。むしろ『0』の人間が一番多い。
カフェで近くに座っているマックで作業するかっこつけも、わざわざカフェで勉強する意識高い系女も『0』だ。充実した人生を送っていると言わんばかりなのに、『0』だ。
友晴は早く恵に会いたくなった。
街路樹の枝が揺れるのを止めた。空には雲一つなく、太陽が照っている。冬なのに寒さを感じさせない。
ふとスマホをみるとLINEの通知が佳子からきている。
『どこにいるの? お姉ちゃん陣痛始まっちゃったからすぐ病院へ向かえ』
友晴はそのメッセージを見ながら、すっかり冷めてしまったコーヒーをすする。冷たくなったコーヒーが喉を抜けるのが心地よかった。