【小説】念願(前編)
やっぱりそうだったんだ。
ついに認められたんだ、俺は。
手に持ったスマホをもう一度見る。スマホには三×三の九マスの似たような写真がまた出てきている。
今回要求されたのは、この九マスのうち信号機が映っている写真にチェックを入れることだ。
俺は信号機だと思われる写真を順番にタップする。
左上、真ん中、右下は確実に信号機だ。赤、青、黄色が点灯される三つの円がある。これが信号機でなければ何が信号機だろうか。
でも、それらは問題ではない。難問は右のやつだ。
三つの円が映っているような気もする。でも、下半分どころではなく、映っていないといっても過言ではない。
信号機かそうでないか、断定するには情報が少なすぎる。
テーブルにはラーメンのカップや飲み終わったペットボトルが行くあてもなく佇んでいる
予定は何もない。彼女もいなければ、友達もいない。
昼過ぎに起きて、ひたすらスマホでネットを徘徊していたら、『あなたはロボットではありませんか?』というチェックマークを押すボタンと画像認証が出てきた。
これまで人間として生きてきたのだ。こんなチェックになんの意味があるのか最初は分からなかった。
俺はもう一度画像に目を凝らす。
右の写真は信号機ではない。これはただの道路標識だ。そうに違いない。
俺は右の写真にはチェックを入れずに思い切って『確認』ボタンをタップした。
読み込みの円が出てくる。ついに突破したか、と期待をさせてくる。
するとまた、九マスの画像が出てくる。
今度は横断歩道がどれかをスマホは問うてきた。
かれこれこの画像認証は八つ目だ。
スマホの上部にある時間を見る。もう十七時をすぎていた。
もうかれこれ一時間以上、ロボット診断の問いに向き合っている。こんな集中力を発揮するのは久しぶりだ。
これまでの画像認証にはバイクや自転車はどれか、というのもあった。自転車に関しては二回でてきたが、それも弾かれてしまった。
カーテンの隙間から鋭い陽の光が入ってくる。その一筋の陽の光が今までの人生の解答を持ってきた気がした。
俺の人生の答えが、今この瞬間見つかったのだ。
トクトクと心臓の鼓動が早くなってきた気がする。でも、これすらも、生きているという証明にはならない。
スマホの画面は、横断歩道の写真はどれか、を問い続けている。
もう答える必要はない。そもそも俺は一生答えることはできない。
俺はロボットなんだ。
自覚した瞬間、俺のすべてが人工物に思えてきた。
色白で体毛の少ない肌。それはゴムのように感じられる。今考えていることだって全て人工的に考えられていることなんだ。
俺がロボットなんだとしたら、これまでの人生についてすべて説明がつく。
この前、会社を辞めた。別にパワハラがあったわけでも、首になったわけでもない。ただただ居心地が悪くなった。
でもそれも仕方がないんだ。
俺はロボットだから。
自分の頬を触る。思ったよりつるつるしている。ロボットだから髭も生えてこない。
俺は床に放っておいていた財布から免許証を取り出す。
清村晴太。製造されてもう二十五年にはなる。
生気のない顔。
昔、同級生に言われた言葉だ。でも、それも仕方がなかったんだ。ロボットなんだから、生気なんてあるわけがない。
免許はあっさりとれた。
それもロボットだからか。教官が言うことを体現すればいいだけだ。自動運転だって、夢じゃない時代だ。高性能ロボットなら免許をとることなんて造作もない。
俺は言われたことをこなす能力は高かった。
スーパーの品出しのバイトでも言われたものを出すだけだったから、問題なくできた。
暗記するのが得意だったのもロボットだったからだ。
「清村は記憶力がいいんだな」
小学校6年生のときだ。枕草子の冒頭、平家物語の冒頭、百人一首。それ以外にも詩や文章をたくさん暗記させられた。そして、テストをさせられる。
長い文章でも俺は暗記に苦手意識を感じたことがなかった。それもみんなよりも短時間で暗記できた。
計算問題もそうだ。俺は人よりミスなく早く解けた。
今思えば、神童だった。
みんなが羨望の眼差しでみていたことを、今でもときどき思い出しては酒の肴にしている。
潜在的には思っていたのかもしれない。俺は他の人間とはステージが違う存在なのだと。
高校までは順調で、地域トップの高校に入った。家が貧乏だったから公立にしかいけなかったが、俺にとっては十分だった。
高校でも成績は良く、それ以外の能力はさほど重視されなかったから浮くことはなかったように思う。だからこそ、自分が人間ではないと自覚するのが遅れたのかもしれない。
高校では国立大学の文系コースを選んだ。高校当時は特に学びたいこともなかった。コース選択のとき、小学校で百人一首を覚えるのが得意だったということを思い出して、安易に文学部を志望してしまった。
俺は自分の部屋の隅に追いやられた本棚を見た。漫画や小説などがびっちり並べられている。
文学部らしく読書もしてみた。でも、文章を読んでもよく理解できないことが多かった。でも、なぜか小説を読み続けた。これはあのときのトラウマからだろうか。
あの悪夢のセンター試験の……。
その日は雪がぱらつく寒い日だった。
一日目の午後、最初に行われる試験は国語だ。
午前中の社会は満点の自信があった。自慢の記憶力はこのときも発揮された。
俺は次の試験も大丈夫だろう、と自信満々に席に座っていた。
昼休みの昼食の時間、一緒の部屋で受験した人たちは次の科目に向けて勉強していた。
俺はそんな奴らをみていて少し見下す気持ちになっていた。
センター試験の国語はあまり得意ではなかった。でも社会系科目で満点だと思っていたし、絶対大丈夫だと思っていた。
「それでは試験を始めてください」
試験監督の持っているマイクから少しこもった声で国語の試験はスタートした。
受験者みんな一斉に紙を開く音が聞こえた。センター試験の国、数、英はスピード勝負。一秒でも早く問題を読みたいからこそ、用紙を開く音がピタッと一つになって変な団結力が生まれていたような気がする。
さっきも言ったが国語はスピード勝負。八十分の間に評論文、小説、古文、漢文の計四問解かなければならない。一問二十分計算だ。
正直、得意ではなかったが、それは他の科目との相対的な話であって、苦手意識はなかったはずだった。それなのに、問題の選択肢が絞れずどんどん時間が過ぎていった。
過去問や模試では経験したことがない解けない感覚。一度その沼にはまれば、なかなか抜け出せない。
みんなの鉛筆の音が自分だけを置いていくようだった。
半分を解けたところで時間を見る。残り二十五分。
まだいける、と思った。あとの問題が難しくなければ。
そんな願いも空しく、結局最後の三問くらいは適当にマークシートを塗りつぶした。
全然解けなかった。
まだ半分以上科目は残っているのに、絶望感が押し寄せた。
社会系科目の自信が木端微塵に砕かれた。
そして、動揺したまま残りの試験を受けてしまった。
すべての試験で疑心暗鬼になって、自分の解答に自信がもてなくなってしまった。
その結果、直近のセンター試験の模試で八割は取れていたのが七割を切った。
今思い出しても、身震いがする。
二次試験で挽回もできず、第一志望の大学は落ちて、後期試験で受けた安全圏の大学に入学した。
親は充分だと言ってくれた。
でも、俺は受け入れられなかった。
安全圏の大学の文学部に入学したが、やっぱり読解力が足りなかったのか、分からないことが多かった。
大学では友達も作らず、最低限の単位だけ取って無気力に過ごした。
今思えば、俺は数字に強く、数学のほうがセンター試験では得意だった。それなのに、文学部を志望した。国語が重要な学部だ。国語は暗記だけではどうにもならなかった。
なぜあんな間違いを犯してしまったのだ。
就職活動は苦労はした。それでも、なんとか滑り込めた。
会社ではうまくやってやろう、と意気込んだものの、そんな気持ちもすぐに打ち壊された。
入社したら、自分という存在に大きな違和感が生じた。同期とも上司ともうまく話せなかった。何か話を振られて喋っても、変な空気になるばかり。
高校までは勉強さえできていれば評価をされたし、大学でもバイトでも人と話さなくてもやり過ごせたから気が付かなかった。俺は人とのコミュニケーション能力に難があるのを就職するまで知らなかった。
神童だったはずの俺が、こんな思いをするなんて、誰が思っていただろうか。
もう一度、スマホの画面を見る。
未だにグーグルの画像認証はできない。
そうだ。
あのときに俺がロボットだと受け入れていれば……。中途半端に人間であろうとしたのがいけなかった。
動揺なんて人間がすることだ。焦るなんて言うのもロボットにはふさわしくない。
俺の超人的記憶力、そして、読解力の薄さ。コミュニケーション能力のなさ。
それはロボットたる所以だ。
友達なんてのもできたことがない。
親との会話でさえ、満足にできないことが多い。
「お前何言ってんの」というような顔をしてくる。
その性質のくせに営業に配属してきた前の会社。そりゃあ、調子も悪くなる。
ロボットなんだからコミュニケーションなんかとれるわけがない。
なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。
教えてくれたグーグル先生には感謝をしてもしきれない。
もう欲なんか出す必要は無い。俺は高性能人間型ロボットだ。
殺風景になった部屋をみて、一つのスッキリした気持ちを得られた。
一週間くらいかけて、部屋のものを片端から捨てた。テレビも何もかもだ。
もう俺には必要ない。
残ったのは食べ物関係や最低限生活に必要なものだけだ。
漫画や小説も全部捨てた。
もう読解力がないことで悩む必要もなくなった。ロボットなのだから。
全部ゴミ捨て場に持って行ったときは、気持ちがよかった。
ただ、生きるだけの高性能ロボットになってやる。
気分が良くなったので、街に出かけることにした。
外に出ると、世界が違って見えた。どこもかしこも明るく見える。
俺はコンプレックスの塊だったのかもしれない。
街にいくと普通の人が和気あいあいと軽やかに歩いている。
でもこいつらは人間だからこんなことができる。
俺はロボットなんだからできなくて当たり前だった。
商店街は誰かが大きな声を出しているわけではないし、大きな音を出しているわけではない。でも、ずっとざわざわ音がしている。
人間の言葉は難しい。言葉が言葉として入ってこない。でも、それでいいんだ。
ロボットとして生きていく。
こんなにすっきりとしたことはない。
それと同時に疑問も出てきた。
俺は残念ながら高性能ロボットだ。電気で充電して動くわけではない。あの有名なネコ型ロボットと同じで、人間と同じ食事をしなければならない。
悲しいことにこの世の中は、働かざるもの食うべからず、だ。貯金も減ってきた今、稼がなければならない。
ふと本屋が目に入った。
俺は引っ張られるように本屋に入っていった。
本が好きだった人間時代、俺は本屋にはよく行っていた。受験期にもよくお世話になった。
適当に本を物色する。
すべての本は捨ててしまった。もうロボットなんだから趣味はいらない。でも、やはり情報を得るには本が安心する。
ぷらぷらと歩いていると、資格コーナーに辿り着いた。
資格の勉強はいいかもしれない、と思った。
資格なんて暗記だけで取れるだろう。センター試験の国語のように変な読解力を求められることもないはずだ。
俺は公認会計士の参考書を手にとった。
公認会計士は将来、AIによって駆逐されるというネットニュースを読んだことがある。
俺はロボットだ。高性能AIみたいなものだ。
だったら俺が。公認会計士になって。人間どもの仕事を奪ってやる。
気づいたときには公認会計士の参考書を買って、店を出ていた。
ありがたくも次の試験までの時間はたっぷりある。
俺はスマホを取り出し、親に電話をかけた。
優しさではない。でも、これだけは伝えとかないといけない気がした。ロボットとしての過去の学習からの結果だろう。
出たのは父親だった。今日は世間一般の休日であることを思い出す。
「俺、公認会計士を目指すことにした」
それだけ伝えると、「目標ができたなら、応援するだけだ。やれるだけやってみろ」と低い声で聞こえた。
俺は「うん」とだけ言って電話を切った。
ここで反対されても無視していただろう。それでも、ロボットを育ててきたという後ろめたさからか親たちは俺がやることに文句ひとつ言ったことはない。
大学のときには勉強をあまりせず、卒論も深く考えず終わらせた。大学の勉強にはそこまで興味をもつことができなかった。
でも、俺はロボットなのだから、もう興味があるとかないとか関係ない。
とにかく知識を詰め込んで学習するだけだ。
試験までの期間はちょうど一年ほど。
これは人間どもへの復讐だ。
商店街を歩いている者どもが静まり返ったように感じた。