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親ガチャ(9/9)【小説】完結

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 パチッという音ともにリビングが明るくなる。
 陽菜を見ると、起きる気配がなく、気持ちよさそうに眠っている。
「陽菜すごいでしょ。夜に眠るとちょっとや、そっとでは起きないの。そういう才能なのよ」
 そう言って恵は陽菜のずれた布団を整える。
 部屋は暖房がついているから暖かいはずなのに、恵のスマホを持つ手に感覚がない。
「で、あなたはここで私のスマホを見て、何をしているの?」
 恵は友晴の手にあるスマホを奪い取った。
「あー、見ちゃったんだ、これ。うちの旦那にでも頼まれた?」
 友晴は辛うじて首を振った。本当のことを言ったら勇樹が何をされるか分からない。とっさに庇ってしまいたくなる程の凄みがある。
「なんだよ、そのアプリ?」
 友晴は異質な恵の雰囲気に飲まれないように食い下がる。
「見ての通りよ……って言っても、あんたは馬鹿だから分からないか。人のスマホを勝手にみる変態野郎だし」
 恵は呆れた目をしている。その目を見ても腹が立つという感覚がわいてこない。恵のそういう目には慣れてしまっているのか、いつもと違う雰囲気の恵に圧倒されているのかは分からない。
「いいわ、説明してあげる。今さら誤魔化すのも面倒だし」
 何故か開き直ったように、上から目線の口調で言ってくる。自分が優位になれると思った瞬間、徹底的に相手を見下した目をしてくる。こういうところが本当に嫌いだ。
「あんたって、都市伝説とか信じないタイプでしょ?」
「なんだよ、突然?」
 恵が何を言いたいかが読めない。
「あんたって昔から変に冷めたところあったもんね。それがカッコいいと思ってんのか知らないけど。何がきついって、リアリストの癖に自分の現実を直視できないところだよね」
 冷めていた脳が熱くなってくる。何でこんな言われ方をしないといけないのだ。
 恵は得意気に話し出した。
「人って持って生まれた才能があるでしょ。オリンピックで金メダルを獲れるような天才もいれば、あんたみたいに何もない人もいる」
「いちいち俺を引き合いに出すなよ。何も知らない癖に」
 声に出ていたことが、恵の女性の割に濃い眉毛が少し上がったのを見て分かった。でも、恵は意に介していない。相手を徹底的に見下しているからこそ余裕ぶっているのだろう。
 そもそも恵よりも自分のほうが、圧倒的に才能がある。恵の頭上には相変わらずたったの『8』しか浮かんでいない。才能がない奴に才能がないと言われたくない。
「子どもが才能豊かになるには母親の力が必要なんだよ」
 恵の話が見えてこない。微妙に会話が成立しないことに苛立ってくる。
「所謂親ガチャってことだろ。そんなの都市伝説でもなんでもないだろ。事実としてあるだけで」
 恵が噴き出して笑う。
 友晴は陽菜のほうを見た。やはり起きる気配がない。
「やっぱそのニュース信じているんだ」
 恵はニヤニヤしている。
「信じるも何もそういうものだろ。子どもは親を選べない。親から引き継がれた才能や親から与えられた環境に子どもは従うしかない」
 だから自分は失敗したのだ、と言いたかったのを友晴は堪えた。
「まあ、いいや。でも、これだけは知っておいたらいいわ。母親の努力で子どもの才能は変えられるの」
 友晴は返す言葉が見当たらなかった。恵が何を言っているか理解できない。自分は家庭環境のせいでせっかくの才能を潰されているのに。
「何が言いたいんだよ?」
 核心に迫らず、のらりくらりとした言い方に腹が立ってくる。
 恵はスマホの画面をこちらに見せてきた。
「見たんでしょ? このアプリ」
「そうだよ」
「これはねえ。要は『ガチャ』なの」
「はあ?」と友晴は素っ頓狂な声を出してしまう。
 恵はかまわず続ける。
「人の才能を選べるって都市伝説、聞いたことない?」
 友晴は武たちが結婚式で話していたのを思い出した。
「聞いたことはあるけど、そんなことあるわけないだろ。くだらない都市伝説だろ?」
「火のないところに煙はたたないって言うじゃない? このアプリがそうなのよ」
 恵はスマホの画面をこちらに見せながら、『特記事項 音楽』の更に下へスクロールした。すると、そこには『回す』と書いており、今はグレーアウトしているが、タップできそうな形になっている。
「もう期限がすぎたから押せないの」
 恵が『回す』を何回も指でタップするが何も起きない。
「期限や上限が来る前に当たりを引けて、本当に良かった」
 恵は『本当に』というところにイントネーションをつける。その表情が狂気じみていた。 
「当たりってなんだよ?」
 声が少し震えてしまう。
「だから、当たりの才能を引いたってことよ」
 恵ははっきりとした口調で言う。
「馬鹿げた話だな。そんなゲームみたいなことがあるわけないだろ?」
 友晴は吐き捨てるように言った。
「この数字見て?」
 恵がスマホの画面を指さす。そこには『リセマラ』のアプリを見たときに最初に見た、陽菜の頭上に『42』が表示されている写真だ。
「何の数字だよ?」
 ここに写っている数字は才能を表しているだけだ。そう分かっているはずなのに、地面が揺らいでいる様に感じる。自分の頭上には『100』が浮かんでいて、誰よりも天才なのに。
「この数字ねえ。私が引き直した数なの」
 言葉の意味が分からない。それなのに、指先の感覚が一気になくなる。
「引き直した……?」
 友晴はオウム返しをするので精一杯だった。
「なかなか良い才能を引けなくて焦ったわあ」
 恵は友晴の反応なんかお構いなしに続ける。
「良い才能が出てこなくて、必死に回している時に、旦那が能天気に声をかけてくるものだから、本当にムカついたよね。こっちはこの子の人生に向き合っているのに。大した才能を与えられなかったらどうするのよって」
 恵の頭上の『8』がくっきりと存在感が強くなってきた気がする。
「意味が分かんねえよ」
 喉がカラカラに乾いている。そういえば、リビングに着いてから、結局水分を取っていないことに今頃気が付いた。
「要するにゲームのガチャの如く、良い才能が出るまでリセマラができるってこと」
「リセマラ……」
 言葉が口から漏れ出る。ゲームにおいて、良いキャラクターが出るまで、データを消して、何度も引き直すことだ。
 友晴は頭に血が上るのを感じた。そんな傲慢な話があってたまるか。
「これがもし本当だとしたら、何でSNSとかで話題にならないんだよ? 何で皆、何も知らないかのように生きてるんだよ?」
「そんなの知らないわよ。でもこの事実を知っている私からすると、リセマラできることが世に出ないように親ガチャなんて言葉を流行らしてるんだよ。政府や国家機関が世論操作してるんじゃない?」
 恵は適当に物を言うような口調で言う。
「そもそも、そんな話を信じる方が馬鹿げてる」
「あんたって自分に不都合なことから目を背けるのが本当に得意だよね。特技って言ってもいいかも」
 恵の物言いには慣れている。嫌な言い方をしてくることにはすでに諦めている。それなのに、感情が動いてしまうのは少なからず動揺しているからだ。
 静けさが戻ったリビングで、恵は友晴をジッと見てくる。そうかと思ったら、眉が怪訝そうな形になった。
「まさか、本当に気が付いていないの?」
 恵は呆れたようにため息をついた。
「あんたに興味ないから別にいいんだけど……。やっぱり、外れはだめってことなのね」
 友晴は手が震えているのを抑えられない。これは怒りからくる震えなのか、何を言われているか分からない恐怖からくる震えなのか分からない。
 ふと、廊下から気配を感じた。
「あんたたち何してるの? こんな夜中に大きな声出して……」
 佳子が眠気眼でリビングに入ってきた。
「だって、こいつが私のスマホを勝手に覗いたんだよ。しかも、あのアプリ見られたし」
 恵は佳子の方に顔を向けて、子どもが親に怒られないように言い訳をするような声色で言った。
「あらまあ」
 佳子は言葉の割に慌てる様子はない。
「陽菜ちゃんは起きる心配はないでしょうけど、雑音を聞かせないであげてね」
 そう言って佳子は手に持っているスマホをいじる。すると、リビングにあるスピーカーからクラシックらしき音楽が流れ始めた。
「眠っている間も聴かせてあげないとだめじゃないの」
 佳子は柔らかい口調で恵に言った。
「寝ている間は大丈夫かなって思っちゃって」
 恵は言い訳をするように言う。
「才能はあると言ったって、努力はしないと大成しないわよ」
 佳子はそう言って陽菜の頭を撫でる。
 佳子も本当に信じているのだ。人間の才能をリセマラできるのだと。
「アプリで『音楽』の才能があるって出たから、クラシックなんか聴かせているのか。おめでたい奴らだな。そんな子供だましのアプリに良いように利用されているわけだ」
 友晴は憤りを感じた。自分にも才能があるはずなのに、佳子は環境を整えなかった。それなのに都市伝説に翻弄されて、陽菜のためには環境を整えるのだ。たかだか都市伝説に左右されているのがバカみたいだ。
 そうだ、まともなのは自分だけだ。友晴は自分の頭上に『100』が浮いていると思うと、少し安心できた。
「才能を引き直せる? リセマラ? バカげたこと言うなよ。俺は絶対信じないからな」
 クラシックが寂しく響く。
「陽菜ちゃん、全然起きないでしょ?」
 佳子が口を開いた。
「何だよ、急に?」と言ってみたものの、ずっと気になっていた。友晴がリビングに来ても、スマホで顔を照らしても、起きそうな気配すらなかった。部屋を明るくして、3人で普通以上のボリュームで話していても全く起きない。
 クラシックの音が耳から離れていく。音量が下がったのか、静かに演奏している箇所なのかは分からない。
「これ見なさいよ」
 そう言って、恵がこちらにスマホを見せてきた。『特記事項②』と書いてあり、『小さい間は夜泣きをせず、深い眠りにつく』と書いてあった。
 友晴の中で何かがはじけたような気がした。嘘だと、信じないでいいと、支えになっていたものが急に頼りないものになってぐらつく。
「陽菜も産まれた当初は、普通に夜泣きしていたのよ。でも。この才能を引き当てたことで、一切夜泣きしなくなったわ。旦那は全く気が付いていないみたいだけど。旦那も馬鹿なんだよね。元気に育ちさえすればいい、って思っているのかもしれないけど、それこそ親のエゴでしかない。才能を与えて、環境を提供して、自立してもらわないと困るでしょう」
 震える手が止まらない。
「でも、これで分かったでしょ? このアプリが本物だってことが」
 恵は得意気に言う。
「私も恵のときにもうちょっと粘れば良かったかしら」
 佳子が真剣な眼差しをしている。その目の先には恵がいて、頭上には相変わらず『8』が浮かんでいる。
「何で、そんなこと言うの? 私だって相対的に見ると成功しているほうでしょ。良い大学出て、有名企業に勤めて、イケメンで性格が良く稼ぎも良い旦那を見つけて、子どもまでつくったんだから。これができる人が世の中に何人いる? 現に友晴は落ちこぼれているじゃない?」
「でも、陽菜の特記事項を見ちゃうとねえ。あんたは特記事項がなかったから……」
 佳子は恵から目を離さずに淡々と答えた。
「まあ、陽菜の才能を引き当てたのも私だから」
「それはそうねえ」と佳子が伏し目がちに言う。
 気まずい沈黙が流れる。クラシックの荘厳さがこんなリビングではちっぽけな音楽に聴こえてくる。
「俺は信じない。そんなくだらないアプリ」
 恵や佳子が言っていることは間違いとしか思えない。自分は『100』の人間であり、才能がある人間だ。数が大きいほどすごい人間が多いのは自分で検証した結果なのだ。陽菜にしたって、武の子にしたって、新生児の数字が違うのは何か見抜けていないものがあるだけで、頭上の数字が才能の数字であるということは揺るがないのだ。この2人は変な妄想に取りつかれて、バカみたいなアプリに騙されている哀れな存在なだけだ。自身に才能がないからこそ、変なものに依存する。だったら、親ガチャを軽視している勇樹や武のほうが遥かにマシだ。
「まあ、良いと思うわよ。自分の信じたいものしか信じなくても。あなたには期待していないし」
 佳子の声は冷たい。ここまで、はっきり突き放すようなことを言われたのは初めてな気がする。
「それにしても、陽菜は良い才能がひけて本当に良かったわ。30回を超えたときはダメかと思ったもん。誰かみたいになるんじゃないかって」
 恵がこちらを見る。
「欲を出しすぎたのが良くなかったのかしら」 
 佳子も目でこちらを一瞥する。
「なんだよ?」と友晴は佳子と恵の二人を見る。
「このリセマラはねえ。引ける回数に上限があるのよ」
 恵は憐れむような目をして言う。いつもの見下したような憐みではなく、本気で可哀そうなものに同情するような目だ。
「恵の時は保守的になってしまったのよね。絶対に失敗してはいけないと思いすぎてしまった。だから、特記事項はなかったけど、勉強やコミュニケーション能力が高くて世渡り上手そうな才能を引けたから、少なくとも失敗はしないだろうって、そこで止めてしまったのよね。でもね、やっぱり欲が出ちゃうのね。一人目はそれなりの成功を収めてくれるけど、とびぬけることもない。やっぱり、すごい才能を欲しちゃう」
 聴いたことがないクラシックが流れ続ける。友晴はこの曲の良さが分からない。
「友晴の時はね。ひいてもひいても納得できなかった。あの時に止めておけば、って後悔もしたけど、どうしようもないからね。1回引いてしまうと取り返しはつかないから……」
 佳子の声が弱くなる。まるで自分が被害者のような口ぶりだ。
「気が付いたときには上限の『100』になっていた。もうボタンは押せなくなってしまった。本当に血の気が引いたわ。最後に引いた能力でこの子のことを育てないといけないんだから……」
 友晴は自分のスマホを見る。黒い画面に反射している自分の頭上には『100』が浮かんでいる。その『100』を見ても、何故だか安心感が湧いてくれない。
「あんたはね。『100』まで引いて何ともならなかったどんくさい男なのよ」
 恵が追い打ちをかけるように言う。
 手が震えてくる。なんとか抑えようとするが、止まらない。屈辱的だった。才能を見いだせなかったのは、親である佳子のせいなのに。
「本当に、このことに気が付かなかったの?」
 佳子が不思議そうな顔をする。
「友晴にも特記事項はあったのよ?」
 友晴の才能を見抜けなかったのは佳子のはずなのに、それに気が付かないのをこちらが悪いかの如く言わないでほしい。
「その特記事項の備考では20代で発現するって書いてあったから、気が付いているものだと思っていたわ」
「お母さん、相手は友晴だよ。無理だって、言ってあげないと。まあ、言ってあげたとして、使い道ない才能だから仕方がないけどね」
「どういう才能だよ、言ってみろよ」
 友晴はついムキになってしまう。そんな兆候はこれまでの人生で何もなかったのに、こちらが馬鹿みたいに扱われるのは許せない。変わったことといえば、人の頭上に数字が見えるようになっただけだ。
「その特記事項っていうのはね、この事実に気が付ける能力よ」
「はあ?」
 友晴は間の抜けた返事をしたように自分でも思う。
「理解力がないなあ。このリセマラがあるという事実に気が付けるって能力よ」
 恵が呆れたというようにため息をつく。
「どんな発現の仕方かまでは分からないけど、何かしらの変化はあったはずよ」
 心臓を貫かれたような衝撃が友晴を襲う。
 嘘だ。嘘だ。嘘だ。
「何か思い当たるようなことがあるような顔ね」
 恵の言葉に友晴は思わず顔を伏せた。
 まさかそんな筈はない。でも、辻褄が合うと思ってしまう自分もいる。でもそれを認めてしまえば、それこそ何もかも終わりだ。
 友晴は自分のスマホで自身の顔を映す。頭上の『100』が急にお粗末なものに見えてきた。一生これと付き合わなければならないのだ。
「でも、本当にびっくりしたわ。なかなかないと思うわよ。100回もリセマラしたのに、中流以上の生活ができない才能しか出ないなんて。あんだけやり直してあげたのに」
 佳子は今まで抑えていたものがこみ上げてきたように言葉が止まらない。
「こんなことなら、リセマラができること知るんじゃなかったって思ったもの。このアプリの存在は全員が知っている訳じゃないらしいし。知らない人は一生知らないままで、そのままの才能で子どもを育てるそうよ。わざわざリセマラして、出来の悪い才能をひくなら、ひかないでその運命を甘んじて受け入れた方が精神的には良かったかもね」
 佳子は言い終わると陽菜のほうを愛おしそうに見る。
「でも、結果としてはリセマラの存在を知れて良かったわけだけど」
 眠っている陽菜の表情は健やかだ。
「おかしいだろ……。そんなわけ……」
 反論したいのに、言葉が出てこない。自分の中で筋が通ってしまっている。陽菜や武の子の数字が変わっていたことも説明できる。
 陽菜の頭上の『42』という数字が羨ましくなってくる。
「じゃあ、今世の中で天才と言われている人たちは……」
「それはあなたが一番分かっているんじゃないの?」
 佳子の声は、親が悪いことをした子に対して自白を促すように聞こえた。
「結局は運ってことかよ……」
 二刀流の野球選手も記録を作り続けている将棋棋士もノーベル賞を受賞した医師も、その母親たちが土壇場までリセマラを続けていたのだ。ギリギリの賭けを制したのだ。
「結局は親ガチャということか。親の運が良くないと子どもは良い人生を歩めない構図は何も変わらないじゃないか」
 友晴は吐き捨てるように言う。
「でも、親ガチャなんて言って、何でも親のせいされるよりはましだけどね。運という、誰にも平等なもので決まるんだから」
 佳子が逆切れするように言う。
「親ガチャのニュース記事とか読むと、才能や環境に恵まれず親のせいにする人が多くて笑っちゃった。何で自分が親を選べる立場でものを話すかなあ。子ども側だって選ばれる立場なのにね」
 恵は佳子に向かって言い、「ねえ」と笑い合っている。
「あんたのせいで、俺には何の才能も無いってことなんだな」
「あるじゃない? リセマラの事実に気が付ける才能が」
「それ以外にないけど」
 佳子の言葉に恵がかぶせるように言う。
「そもそもあんたってさあ。何もできないことにかまけて努力しなかったじゃない? それなのに、今更親ガチャだとか言って被害者ぶるのは止めて。親だってこんな才能のない子でがっかりしてるんだから。お母さんだってねえ。馬鹿なあんたが少しでもまともな人生を歩めるようにしてたのに、全て突っぱねたでしょ? だからお母さんも諦めたのよ」
 佳子の言葉を恵が紡ぐ。
「私だって、勉強だって就活だって滅茶苦茶努力したし、自分が生きたいように生きるために、嫌な事も乗り越えた。結婚だって、運が良かった部分はあったかもしれないけど、良い人がいたときに自分が恥ずかしくないように磨き続けたの。リセマラして碌な才能を引けなかった上に、それを挽回する努力もできないあんたを見ていると本当に腹が立ってくる」
「俺だって、俺なりの努力はした。それなのに、その環境を母さんは整えてくれなかったじゃないか。高校受験の時だって、俺には興味をもたずに『好きにすればいい』としか言わなかった。才能があっても活かされない環境だったんだよ、この家は」
 恵と本格的に仲が悪くなったのは、友晴の高校受験が終わった後だったことを思い出した。何もしてくれない佳子に嫌気もしたし、何もかも上手くいく恵の近くにいるのが我慢ならなかったのだ。それもこれも、佳子が自分に環境を整えず、恵が見下し続けてきたからだ。
「正直、あんたの成績とか考えたら、お姉ちゃんより良い高校に行くなんて無理だって思ってたわよ。それでも、頑張るっていうから背中を押してあげたじゃない。それを人のせいにするなんて……。本当にリセマラ失敗だわ」
 リセマラ失敗、という言葉が友晴の胸に突き刺さる。
 恵が口を開く。
「才能や環境のせいにして努力しない言い訳をしているだけなのよ、あなたは。でも安心して。世の中のほとんどの人間が友晴みたいな考えをしている。だから逆に思ったわけ。才能ある子を産んで、少しの努力である程度の能力が発揮できるようにしてあげないといけないの。だから、私も陽菜のリセマラを頑張った。絶対にあんたみたいになって欲しくなかったから」
 耳の表面でクラシックを捕え続けている。それが非常に不快に感じる。
「でも、好きなようにしたら良いって、半ば突き放した言い方をしていたのは母さんでしょ?」
 友晴は空しい抵抗だとは分かりつつも、何も言い返さないのは嫌だった。そうしないと、自分の存在が全否定されてしまうような気がする。
「言っても聞かないなら、そうするしかないでしょ? そりゃあ、友晴なりには高校受験の時は頑張ってたと思うわ。でも、当時は言わなかったけど、明らかに恵の時よりも勉強量は少なかったわよ?」
「嘘だ。恵は最初から学年の上位で余裕ぶってたじゃん?」
「積み重ねでしょ? 私は定期テストの時から受験を意識して取りこぼさないように勉強していたの。あんたは受験前に付け焼刃にやっていただけじゃない?」
 愕然とした。自分は努力する才能すら本当になかったのだ。佳子たちが言うように自分はリセマラ失敗なのだ。
「結局俺は何の才能も本当にないんだな。努力する才能すらなかったんだ」
「努力を才能って言いだしたら、もう何も言えないわよ」
 恵が弱々しく言う。友晴は勝った、と不意に思ったが同時に情けない気持ちになってきた。
「もういいよ。分かった。だったら俺は一生この家に入り浸ってやる。リセマラ失敗した責任をとらせてやるから、覚悟しろよ」
 そう言って、友晴は佳子たちを押しのけてリビングの出口に向かう。
 陽菜のほうを見ると、頭上に『42』を浮かべながら、気持ちよさそうに眠り続けている。それはまるで自分の人生が成功していると確信しているような自信に満ちた表情だった。

Fin

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