昔はよかったという人、今がいいという人に欠落しがちな物差し
セラピスト界隈の謎の論理の中に
よく腕が云々とか言うじゃないですか。
よく昔の人はここまで努力した、こんなことができたとかいうじゃないですか。
これって物差しがそろってないの意味がない話ですよね。
わかっててあえてやってる人もいそうですけれど、そうでない方も多いと思います。
今日はその物差しの整理をして考えてみたいと思います。
※腕前自体の定義とかは本稿には含みません。
当たり前の話、我々は進歩している
最近の若い者はって話は、人間が古代から今まで唯一進歩していないロジックと言っても過言ではありませんが、常に人間は進歩して進化してきています。
昔の人は歩くか動物に乗るかが移動手段でした。
今は自転車からロケットまでさまざまになります。
ほぼ歩くしかなかった人
色々な移動手段を持っている人
当然後者の方が他に時間を費やせますよね。
先人たちが残した知識や技術などの遺産を使って生きていくことができるので、平均値的な面では、後から生まれた人の方が基本的に優秀です。
ここで昔の方がよかったというのは、歩いていたほうが体力がつくっていう程度のレベルのお話になります。
もちろん、体力はあるに越したことはないですが。元々の人間は、他の動物に比べて優れた体力はありませんし、そもそも浮いた時間で筋トレやジムにいけば解決します。
セラピストの腕云々は数値化できないので事例を考えますと、例えば柔道整復師は、昔の活法のレベルでは画像で見ることのできる者なんてなかったわけですが、今は色々な手段がありますよね。
手探りでやっていた時期、学習体系も不揃いな時期と、今の学生を比べれば、明らかに現在の学生の方が優秀です。
これは当たり前の話なので、とりあえずいいですかね?
ここで一つ疑問が浮かんでくる人もいると思います。
次代が進歩したという事は、その時代の名人的な人は今の平均以下なのか?
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