多様性を主張する際に反感を買うケースやモヤるについて愚考してみた
多様性をうんぬんかんぬんな時代に突入してうん年たちました、皆様お元気ですか?
多様性を主張する人の熱き戦いが今日もいたるところで起きています。
ただ、その戦いのある程度の割合が、そもそもなぜ戦っているんだい?
ってケースだったり、その主張にモヤモヤすることってありませんか?
それはなんでだろうってことを愚考してみました。
そんなに大多数が読むことはないっていう自覚はあるんですが、センシティブな話題という自覚もあるので無料部分は少なくしておきます。
多様性という言葉に含む意味がそも多様
多様性を認める、この中に認める部分にいろんな人の認識の相違があるんじゃないかなーっていうのが自分のとりあえずの結論です。
誰かと異なる価値観と、とりあえず定義しておきます。
個別の名称について立項しようと思いましたが、それ違うってさらに多様性が広まると思うので割愛します。
多様性を認めろって言ってみても
海外のニュースは基本わからないので、日本のインターネットを観測している範囲でいうと、多様性を認めないといっている人自体はあまり見ないんですよね。
某界隈で無資格認めないって言ってる人がいるくらいですか?(そのレベルのアレなら他界隈にもいる)
なので自分からすると、多様性を認めろっていう人の意味があまりわからないところです。
それは他人が異なる価値観や基準を持っていることを受容はしてるよって文脈においてですけれども。
では、多様性を認められているはずの人たちはなぜ、多様性を認めろと言い続けているのでしょうか?
認めてほしいのは価値観ではなく
おそらく、認めてほしいのは権利、利益活動っていうといいすぎでしょうか、そのあたりだと思います。
で、意識してるかどうかは置いておいて、ちょっとまじかってなる言動をとる人たちの多様性を認めろは、この二つががっちゃんこしているんですよね、たぶん。
そしてがっちゃんこしている人たちの最も問題なところは、結果感情で行動していることです。
感情論と交渉は相性最悪
感情論の一番の問題は、ゴールポストがいろんな理由ですぐ動くことです。
例えば、
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