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日本語だけじゃなく、日本人自体が議論に向いていない説を唱えてみる~セラピストが「ちゃんと議論」出来るようになるのは●年早いってば

特にSNSにおいて、生産的な議論って少ないですよね、こんにちは。

元々日本語って、会話においてニュアンスをくみ取るという能力が必須の言語でして、文字コミュニケーションにはあまり向いていない言語という説を唱えているのですが、

それだけではなくて、感情的な言葉のぶつけ合いに終始してしまって、自分と異なる意見とブレストや議論にならず…という局面に定期的に遭遇します。

そればかりか、揉めたり不満があるほうが

「所詮○○(SNSの名前をここに)はそんなもん」

みたいな捨て台詞を平然と吐いています。

これは特定の個人の話ではないです。



https://twitter.com/Neumann564/status/1115173437993934849?s=20

まあこんなかんじです。

また、世の中の情勢に対する意見などを見ても、

正しい正しくない<気に入る気に入らない

というスタンスをとる人も一定数いて、

・あいつは○○(嫌いな組織や団体名をここに)だから話はあてにならない
・正しい事を言っているかもしれないが、あいつのやったことは許せない
・過去に〇〇した人の話なんて聞く意味がない

みたいな発言を目にしたり、あるいはこれを読んでいる方の中には発言した人もいるかもしれません。


「あれ?議論とか話し合いって好き嫌いですべて覆るんだっけ?」
「SNSで議論ができないんじゃなくて、あんたらが議論のテーブルにすらついてないのに気が付いてないだけじゃないのかな?」

そんな疑問を抱いて〇年。

なんか風土として日本人は議論に向いてないんじゃないか説を唱えてみたいと思います。

所詮SNSとか言う人の物言いに違和感を覚える人
なんかいつも誰かともめてしまいがちな人
批判や議論がいけないわけではないと思っているけど、なんか芯を食わないなあと感じている人
最初から揚げ足をとるための議論に巻き込まれたことがある人

の役に立ったりするんじゃないかと思います。

本分は全て無料で読めます。

セラピスト界隈のつるみかたの私見部分だけ有料とさせていただきます。

別段本文だけでも成立するので、面白そうだと思った方だけどうぞ。

前提:日本語は含みがありすぎる

日本語は壮絶に含みがあります。

例えば主に私はセラピスト界隈の人間なのでその中でトピックを出すと、

骨盤矯正

というものに対して、定期的になんか紛争が起こっては収まって、というのがあるのですが、

みんなワードに対しての定義をしないまま、色々言っている印象で、

・骨盤矯正は存在しない→昔もめた職場が骨盤矯正をしていたので嫌い
・医学的見地からあり得ないと思う→骨盤矯正の定義自体は触れていない
・実際に骨盤はゆがんでるじゃないか→主観
・骨盤矯正を入れてる○○はバカ→好き嫌い
・骨盤矯正は便宜上マーケティングで使っている

など、下手すると1つのツリーでこれらが複数出現したりします。

これってそもそもおかしいよねって思った人、どのくらいいますか?

全部違う話ですよね。でも骨盤矯正っていうでかいくくりの中で、その中のどれっていう定義もなしに謎に盛り上がっているんです。

議論をするのであれば、

1,定義をする
2,それに対して意見を述べる
3,その裏付けを提示する

が基本セットで、それに対して、

1,定義に同意をする。同意できない場合は定義について話し合う

必ずすることで、その上で

2,意見に対して反論したり、認めるところは認める
3,反論する場合は裏付けを述べる
4,対案を提出する

という形式をとらないと、議論にはなりえないのですが、

1,持論をぶちかますので、定義は無視
2,根拠は出さない、またはしょぼい
3,好き嫌いのポジトーク

という形での紛争が多く、ざっと見渡して、形式にのっとった議論のフォーマットを提示したものはこれしかありませんでした(見聞した範囲では)

https://note.com/tznote/n/nac2beff8dc8d

含みがある分感情が乗りやすい

含みがあるという事は、同じ文字でも解釈が変わり、定義も変わり、意味が変わることがあるという事なんですが、その分感情が乗りやすいです。

これに自覚があればイイのですが、日本語に含みがありすぎるからなのかは不明ですが、感情的になる人が散見されます。

では、どこで感情が乗っているのか、分析してみました。

最初から感情論なタイプ

初手から好き嫌い含めて感情論のるつぼに飲まれているパターンです。

好き嫌いや怒りなどが最初からバイアスとしてかかっているため、彼ら彼女らの望む話以外はすべて受け付けません。

話を合わせたところで、言い分が通らないと定義や論点を変えてしまうため、議論を開始するまでの労力がかなり大変です。

なお定義までした直後に

「まあいいや、○○ってことだよね!」

ってちゃぶ台返して終わるテロリストもいます。

※人格と性質の問題なので、悪口としての使用はお控えください。

理由を全無視し、自分の意見が採用されなかった瞬間感情論を放り込むタイプ

例えば、

「○○についてどう思いますか?」という質問をする人がいますよね。

この質問をするという事は、

A,純粋にその人の意見を聞きたい場合
B,自分の中で意見があり、同じ内容を言って欲しい場合

があると思うのですが、Bの話になりますね。

例示してみると、

「芸能人の人気俳優の不倫報道に対してどう思いますか?」

と質問があったとします。

これに対して、特に興味ないですって返したとしましょう。

この時に、けしからん!という回答を期待していた人はどういう反応をするかというと、

「不倫された奥様の気持ちが理解できない人なんですね、がっかりしました」

みたいな捨て台詞を吐かれることがあります。

また別の例を書いてもいいのですが、ちょうどいい動画を見つけたのでこちらに貼っておきます。

元ボクシング日本チャンピオンの細川バレンタインさんの動画になります。

2分過ぎくらいから、さっきの例と似たような話が展開されます。

サムネ判断で見ない人もいると思うのでざっくり文字に起こすと、

かつて那須川天心(RISE,RIZINで活動する格闘家)と武尊(K-1チャンピオン)の勝敗予想動画をあげ、そこで那須川天心の方が勝つのではないか、理由はこううこうこうでという分析をしたところ、

「細川さんは武尊は嫌いだけど天心は好きなんですね」

という、述べた理由を全無視されて、好き嫌いに置き換えられてしまったそうです。

また、ミドル級世界王者の村田選手の破れた試合で、序盤に手数が少なすぎて、試合展開としてはもっといい試合が出来たのではないかという話を展開したところ、

「あの判定が妥当と思っているんですか?」

というコメントを受けたようです。

基本的に人の話って言うのは、

「○○に対してこう思う、なぜなら△△だから」という、結論や理由までがワンセットになっているのがまっとうな人間の話なのですが、結論だけ引っこ抜いて、そこにフィルターをガンガンかけてから、次元の低い理由をつけて感情論に落としてくるという事をしてくるタイプです。

ぱっと見理性的な人でも、自分の意見と違ったと思った瞬間にこのタイプに転生して斬りかかってくることがあるので、中々人の業は深いと思います。

自覚症状のない感情論

感情

通常、議論を行う際は、理性で分析して、論拠を明確にして行うものですが、日本語の特性か、日本人の特性かは謎ですが、感情が先に出て、理性がその支配下でのみ働く、そう言う人が多いのではと感じています。

ではなぜそれが起きるのでしょうか?

というのが今回の結論部分になるので、頑張ってまとめてみます。

理性とは、感情を言語化する装置である

感情 (1)

ひとまずの結論としては、理性とは、感情を言語化する装置である、そして言語化された日本語があいまいな言語のため、言語化が充分ではないケースが多い、そんなところではないかと思います。

ただしそれに自覚的でない人が多い結果、ディベートに向かない日本人、という図式になっているのではないかと思います。

典型的なのが朝生やTVタックルだと思うのですが、

ビックリするくらい論点整理ができないまま、短期的なやり取りに終始しているので、このレベルが私たちの日常や、SNSでも起きていると理解するとよいです。

ディベートの教育を受けたこと、ありますか?

こういったものがニュースになるくらい、ディベートを教育課程で受けている人は少ないのではないでしょうか?

私はたまたま中学3年時に授業で1月くらいディベートを行った経験があります。

当時の国語教師が、その時の某宗教団体の広報の某氏が弄する詭弁の数々をみて、今人と意見交換が出来る術を理性的にできるように身に着けさせようと、受験シーズン突入直前にやってくれました。

貴重な機会だったと思います。

当時のことを思い出しながら書いていくと、

1,議題の設定

2,班分けをして、肯定派、否定派に分かれて意見をまとめ、

・冒頭結論を述べる係

・その根拠を述べる係

・反対派の意見に対して反駁する係

・質問をする係

という形で役割を決め、班でより説得力のある意見を出し合い、相手が反論してくるであろうポイントをいかに論理的につぶしていくか、提示してくるであろうデメリットを上回るメリット(反対の場合はその逆)を示すことが出来るか、対案や改善案はどんなものがあるかをブレインストーミングとして出していきます。

3,本番

4,教師や、ディベートに参加していない班の人のジャッジで勝敗をつける

5,肯定派と否定派を変えて再度上記の工程を行う

今思い返しても、これは貴重な経験であったと思います。

改め方、とらえ方

人と意見をかわしたい場合は、

・論点を合わせる
・意見を言う際はなるべく理性的に、言語化する
・自分が正しいという思い込みは捨てる
・相手をやり込めようと思うほど感情的になるという事を自覚する

という事をすると、比較的もめごとは減るのではないでしょうか。

セラピスト界隈の生産的なやり取りについて、私見

以降は有料パートになります。

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