なぜ人は、人の意見に左右されるなという人の意見に左右されてしまうのか
オンラインの方がやや可視化されやすいですが、否定的に物事を見るという事をこじらせてしまうことがあります。
特に自分が嫌いな集団や人、組織が絡むと、それに賛同したり協力している人を傷つけたくなることってありますよね。
そんな時に便利なのが、こういうことをする奴は浅はかとか騙されているとか、自分の意志を持ってないとか、人の意見に左右されるなんて恥ずかしくないのかとか、まあそんな感じのフィルターを勝手にかけてしまって、くさしていくやり口です。
これを思ったりいうこと自体はずるいだけで、悪いとか間違っているとは限りません。
正しい場合すらあるでしょう。
ただ、これを言い出す人は自分の意見ですが、それに賛同する人はどうでしょうか?
人は矛盾する生き物のようです。
人の意見に左右されるなというならば
人の意見に左右されるなという訴えは崇高で尊いものの場合もあります。
何故崇高で尊いかと言えば、この考え方に賛同する人がいてはいけないという孤独な道だからです。
そうですよね。
人の意見に左右されるなって意見に賛同するってことは、人の意見に左右されるなって意見に左右されていることになってしまいますから。
本来的にはそういう意味でもない(後述)のですが、これを言い出す人が、そういうニュアンスで使っているわけですから、当然同じ解釈で進めないとおかしくなりますよね。
つまり、同じ思想の人間が共感したとしても、それを表明する行為自体が、他の人に左右されていると指摘した人たちと同じ行動になるため、絶対にしてはいけない行為なのです。
その覚悟があって発信されている人を、尊い、崇高な人だと尊敬します。
賛同者への対処でばれてますぜ
問題は、そんな崇高な意思がない、単なる逆張りの場合です。
本来ならば、そうですよね!って言ってる人全員を喝破する必要があるのですが、自身への同意にありがとうでも言ってみたらどうでしょうか?
終わりです。
単に嫌いな人たちをあてこすっただけ、逆張りというのがばれてしまいます。
せめて他者から見えてるところだけでも取り繕ったほうが良いかもしれません。
人の意見に左右されること≒考えないこと
否定形の表現って日本語的にかなり強いんですよね。
まるで、それ以外の言動が悪いとか思慮が足りないかのように。
しかし、実際にはそうでないこともあります。
たとえば、だれかの意見に賛成する/賛成しない、これって人の意見にそもそも左右されているのでしょうか?
誰かが何か言う、そして自分がどう思うか考える、まあリアクションの類ですけど、リアクションをしている時点で、自分がとった行動です。
誰かの意見に賛同することが人の意見に左右されて、誰かの意見に賛同しないことが人の意見に左右されないとは本来なりません。
その判断自体が自分自身の考えなのですから。
矛盾を避けるたったふたつの簡単な方法
この矛盾を避けるたったふたつの簡単な方法があります。
1,思うだけにする(人に言わない)
2,賛同者を排除する
この2つのどちらかをするだけで、崇高で尊い言葉を守ることができ、矛盾しないでいることが可能です。
思うだけにすれば、賛同者/否定者(人の意見に左右される(人の意見に左右されるなっていいだした人の中での主観)人)は出現しませんし、自分の意見に賛同するという、人の意見に左右される本来忠告申し上げたい対象が自首してきたわけですから、ちゃんと断罪すべきです。
まあ問題は、これをやる段階で、人の意見に左右されている可能性がある事です。
本題
ちょっとアンケートとってみました。
問題だれか(仮にAさんとします)が何かを紹介しました。 それを見た人たちがとったリアクションのうち、自分で判断せず他人に流されている行動はどれだと思いますか?
Aさんの紹介したものを信用する/利用/拡散
Aさんの紹介したものを信用しない
人の意見に左右されるなという人の意見に賛同する
何もしない
というものです。
これちょっと意地悪な問題で、
・Aさんの紹介したものを信用する/利用・拡散
・Aさんの紹介したものを信用しない
・人の意見に左右されたくないので何もしない
って言う選択肢であった場合、どれも他人の意見に流されていないになるんですよね。
全て自分が判断しているので。
ただ、設問が意地悪だったため、3つ目以外が人の意見に流されていない行動となります。
おかしいって思った人、正解です。
人の意見に賛同するなという人の意見に賛同するという選択をしているので、どれも他人の意見に左右されていません。
つまり、自分で頭を使う事もなく、盲目的に人の意見に左右されるような空っぽの人間なんていなかったんだ、というお話でした。
まあ言葉遊びなんですが、厳密に言わなければ、人の意見に左右されるなって言う意見に左右された段階で、人の意見がゲシュタルト崩壊するような謎の回文が勃発してしまいました。
しかしなぜ、誰かの言動に対して、
・賛成
・反対
・保留
・無関心
だけでいいのに、賛成する人だけを攻撃する必要があるのかという問題があります。
明確にダメな行為、例えばエコーを広告するとか、柔道整復師が鍼灸やるとか、鍼灸師がけがの応急処置をするとか、そういうのに対して何か言う事と、自分が嫌いな人の意見に賛同する人を減らす行為は全く別のものです。
オフラインでは難しいですが、オンラインではブロックするだけの簡単なお仕事なのに、なぜ自分の意見に左右される人を募るのか、これがオンラインの問題点かもしれませんね<完>
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