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「こよひばかりの夜半もふけぬべし。ひまつくり、いでよかし」(『問はず語り』岩波文庫 p.140)と命じた後深草院。翌日、「こよひかならず、しるしある事あるらむとおぼゆるぞ。もしさもあらば、うたがふ所なきいわねの松をこそ」(ibid. p.141)と話す。

そして院の側室(『問はず語り』作者)の妊娠が明らかになる。
関白兼平のときもそうだが後深草院は寝取られる快楽を貪っているのではないのか?
院は『問はず語り』作者を心から愛してはいないのではないのか?
もっとも『問はず語り』作者はすでに院ではない男の胤を密かに出産しているのだが。
男も男、女も女。
こういう関係が人間を幸福にする場合もあるのだろうか?
と現代風に想像してみたが、多分、後深草院はこれより前の時点で『問はず語り』作者を、可愛くないわけではないが、道具として使うと決めているのだ。そしてそれはその時代においては自然で全うな考え方なのだ。

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