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フロ読 vol.11 松岡正剛『神仏たちの秘密』再 春秋社

コロナの待機期間中、ずっと考えていたことがあった。それは「待つ」ということ。動けないんだから仕方がない。世の万の流れを無視して寝転がっているしかない。動けぬ場所でじっと待つ。それも大事な時間ではないかと。
 
古代の人は印を作って何者かのおとずれを待つ。気配にまつわるアンテナを磨く。サナキというアイテムも作り、ただ真剣に「待つ」。ん? だから依代は「松」なのか?
 
待てない男達は出遊する。空海のように「流行」する。
 
待つためには「ムスビ」が必要で、席を空けておくこともまた必要。上座は決まっているが「不易」なものは「流行」する。象徴的な時空間…。
 
この本はフロ読にすごく合う。リラックスと緊張とが交互におとずれてうっとりするような語り口だ。
 
負を抱えたヒルコはしまいには商売の神、エビスとなる。個人的にはこれは初産の危険性のメタファーだと思っているが、それが利の「流行」の源泉となる。まことにリスクこそが富の基だと古代人は見抜いていたか。
 
付言するならイザナミの死は、多子出産のリスクの比喩だと思うが、これもまたイザナギの擬死再生によって新たな出産へと繋がる。
 
ヒルコは流され、イザナギは禊を行った。Next stageに向かう時、日本人は水を使う。この水をなだめるにはやはり禹歩が要るのか。
 
神は必ず三柱を成す。アマテラス(和魂)・ツクヨミ・スサノヲ(荒魂)。真ん中がいつもグレーで不明。白黒つけるような定義はしない。
 
閉じこもるアマテラスと引き出そうとする神々の間でアメノウズメは脱ぐ。隠していたものを開く。これが「真ん中の属性」ではないか。
 
荒魂のスサノヲの何代か後にオオクニヌシというプロジェクトリーダーが現れる。待てない男は出遊し、待つ女はこもり、直接出てこいとは言わないアメノウズメが開かぬ扉を開け、ただ流れ着いたエビスが福をもたらす。

普遍の三態ともいうべきか。西洋はこういう普遍は求めず忘却した。日本はこれがまだ残るうちに、この面影を追ったり、待ったり、添い寝したりすべきであろう。

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