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成長
成長は快だとこの頃思う。
成長って気持ちが良いものだと思う。
人は自分の行動をコントロールできない。無意識に動かされている。
ならその無意識に刻まれたものによって行動が決まる。
自分を大切にできない人は、無意識に自分を大切にできない行動をする。
人は自分の無意識下にある葛藤を無意識に解消しようとする。
コンプレックスがある人は、無意識にそれを恥ずかしいと思う。そしてそれを口に出し、態度に出し、誰かに見てもらう。
「私をみて!私はこんなコンプレックスを抱えているの!」
大して気にしていない。誰も興味ない。
自分のコンプレックスを相手に投影して、相手を批判する人がいる。
「あなたは不細工だ!」と言う人は、自分のことを不細工だと、無意識下に思っている。不細工というのは、概念だ。その概念を定義して自分のものとして使用するのはほかでもなくその人自身だ。
「あなたは○○だ!」という人は、自分自身こそ○○なのである。
何人も、誰かを決めつけることはできない。ただ、自分のフィルターを通して世界を見ているだけのことだ。
ひげに悩んでいる人は、相手の顔を見るときにひげを必ず見る。身長にコンプレックスがある人は、相手を見るとき身長を過度に気にする。「この靴を履けば、身長底上げできますね」、、、ってそんなの知らないわ。
人は自分を客観的に見ることができないっていうのは、2通りの考え方がある。一つは自分の無意識的な動きを観察できていないことから起こる。
もう一つは、他人のフィルターを通して自分を見ることができないことから起こる。客観もまた、他人の主観なのである。
話は戻るけど、みんな成長に向かっている。
各々の無意識下の葛藤によって人間関係のトラブルが起こり、そこで自分と向き合うことで、解消するのではないのかとふと思った。
だから成長しようと思わなくても、成長のフィールドにもとから立っているのだと思う。そしてそれは、心地よい。