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自然への負け癖を積極的につけていく

こんにちは、変化にもっと優しくなりたい、むじょうの前田です。

今日は自然への負け癖をつけるといきやすくなるのではないか?という話について書いていきます。

いきなりですが、死に対して漠然とした恐怖をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。

その恐怖の正体は

人間の力が及ばない自然に対して、分断することで回避してきたが、死という内なる自然はどうしても分断できないから

ではないか、という仮説を持っています。

私達は不自然の中で生きています。特に都市部で生活する人々は設計士の頭の中で暮らしているようなものです。直線で溢れ、暑いと思ったらエアコンをつけると涼しくなる。人間も自然ですから、薬を飲んで頭痛を鎮めるというのも自然のコントロールです。

一方、農山漁村に足を運ぶと、都市部に比べて直線は少ないです。

一次産業の生産者さんほど「しょうがない」という言葉を使う人はいないでしょう。私も島根県の離島に住んでいたことがありましが、「今日は時化てるから海に出れない」「今年は寒かったから、よく実らない」というように、自然には敵わない、というのを一次産業の生産者さんは肌で感じ、よくわかっていました。私も教えてもらった一人です。

都市化は自然を排除しコントロールする営みです。都市部の会社の中で「今月の目標を達成できませんでした」と上司に報告して「まぁ、しょうがない」と言っている会社は資本主義の中では負けてしまいます。だからこそ「こうすればこうなる」という理詰めで計画通りに進むことを求められていて、そこに無常観はありません。

日常の中で無常観が失われつつある一方、未だに生老病死という自然に勝つことはできません。自然との分断が、我が身に付き纏う自然を恐怖の対象にしたのではないでしょうか。

そこで本noteのタイトルの話が出てきます。自然をコントロールしすぎ、あたかも「勝てる」という錯覚を起こしてしまっているからこそ、いざ自然の脅威に晒された時に「負けて」しまいます。

なので、自然への負け癖は積極的につけていいのでは?というのが私の持論です。小さい時、「しょうがないな〜」と言うと母に叱られていました。確かにネガティブな言葉かもしれませんが、自然に対して傲慢な態度を取るよりはよっぽどいいのでは?と今になって思うようになりました。

私達人間も自然の一部ですから、何事も克服しようとせずに、しょうがないと、弱さを認められると生きやすくなるかもしれません。

それでは、今日はこんなところで。ありがとうございました!

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