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【コラム】葬想式に集まった、母の知らない息子の一面

どうも、変化にもっと優しくなりたい、むじょうの前田です。

突然ですが、思春期真っ只中、友達と遊びに行った時の写真を親に見せますか?私は高校時代を寮で過ごしていたのですが、親に近況を伝える連絡をせず、帰省の度に怒られていました。親に逐一連絡をするのが恥ずかしかったのでしょう。(何に対する恥なのかも分かりませんが...)
今はその感覚は消え去りましたが、当時の感覚を確かに覚えています。
もちろん、家族との距離が近く、写真を見せ合ったりその日の出来事を共有し合う家庭も温かくていいな、と思いつつ、、、

思春期の学生の中には、友達と遊びに行った時の写真を親に見せるなど、あり得ないというスタンスの人間も一定数いることは間違いないでしょう。

今日は思春期の息子さんを亡くされたお母さまが開式された葬想式のエピソードをご紹介します。

ご葬儀について

葬想式のご登録をいただいた時点で既にご葬儀はお済みでした。
家族葬のため、ご友人や生前親睦の深かった方々のお別れの機会はありませんでした。そこで葬想式を利用し、ご葬儀に呼べなかった方々のお別れの機会をつくるに至ったようです。

参列者の方への周知について

LINEのグループ機能やInstagramのストーリー機能など、SNSを活用し周知を行ったようです。約120名の方々にご参列いただきました。

葬想式の様子について

若い世代の方が多く参列していたため、多くの写真やメッセージが寄せられました。

Z世代と呼ばれる今の10代・20代は当たり前にスマホで写真を撮り、保存しています。その世代のカルチャーと葬想式の形がフィットし、想像以上の枚数の写真が集まりました。

お母さまから

息子の知らなかった一面を知ることができた。
多くの友達に愛されていたことを知り、彼は幸せだったと思えた。

とお言葉をいただきました。
亡くなった彼も、親に日常的に写真を見せるようなことはなかったのでしょう。故人の意思として、親に写真を見られることは不本意かもしれませんが、私たちが寄り添えるのはこれからを生きる人なので、故人様にはご容赦いただきたい所です。

また、メッセージを匿名で送れるためか、それぞれの想いを真っ直ぐな言葉で表現していたのが印象的でした。

修学旅行の思い出。仲間と遊びに行った思い出。故人の優しさ。

中には1000文字近い、想いを込めた長文を綴られる方もいらっしゃいました。行き場を失った想いの数々がこの場に解き放たれたようなエネルギーのある言葉が綴られていました。

「〇〇さんが亡くなりました」と聞いても、すぐに状況を把握するのは難しいでしょう。それは、その死が曖昧だからです。死の実感を感じる機会がなくては「亡くなったから会えない」も「お互い忙しくて最近会ってないね〜」も一緒です。その人は亡くなったのだと言い聞かせながらメッセージを書くことや、カメラロールを遡り、思い出の写真を見返す営みを通じて「二度と会えない」に昇華していきます。
葬想式を想いの昇華の触媒としてお使いいただいたように感じます。

最後に

お母さまの心残りに少しでも寄り添い、「息子さんの知らない一面と出会う」という体験をお届けできて心からホッとしました。
葬想式はまだまだ発展途上のプロダクトです。故人の友人が主催するができる、という特徴もまだまだご活用いただけているとは言えない状況です。今後も引き続き、大切なお別れを諦めることがないように、血縁に限らない弔いの機会となるサービスを目指していきます。

それでは、今日はこのへんで!

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