あかねが淵から(第七章B面)

『かいよ、このあたりで、一休みしようか?今日はひどく、まわりの景色が歪んでみえる、、。」
楠の木のおばあの声にかいは大きくうなずいた。
 空も木も草も妙にまぶしく、じっと見つめていられなくなる不思議な光線を放っていた。それに比べて、遠くの湖面は低く暗くしずんで見えた。ときおり、思い出したように、白い波が走るのが見えた。
「おかしいなあ。山までが光るかさをかぶっているように見えるよ」
突然、かいが座っていた大きな岩が動いた。
、「わあっ、」思わず、悲鳴を上げたかいの目の前の草むらが、ぐらっと盛りあがり、枯れ草を乗せたまま斜面を滑り出した。激しい地響きがわきあがった。むきだしになった岩場が生きもののように波立つ。
「慌てるな。かい、わしの身体につかまれ。」

落ち着いた声がして、かいはとてつもなく強い腕にだきよせられて、黒く割れた岩の断面をすべり落ちていった。
やがて、かいと楠の木のおばあは、土砂や砂利のうずたかく積もった中に落ち込んだ。しばらくは息もできずにいる二人の頭上に、なおも落ち続ける砂利や、不気味に軋る壁のひびきが続いた。
かいはそっと、腕を動かすと、自分の身体にしがみついている、楠の木のおばあの身体を触ってみた。
「おばあ、おばあさん、大丈夫かい」
「まず、自分の身体がちゃんと動くかどうかをたしかめよ」
弱弱しいけれども、いつものしっかりとしたものいいで、楠の木のおばあがこたえた。かいはいわれたとおりに身体をうごかしてみた。
「打ち身はあるけれども、大丈夫だよ。おばあさんは?」
「第二に自分の眼と耳と頭を動かして、自分の置かれた場所のおおよその見当をつけよ。」
少し、声に力がもどったおばあの声がした。闇の中でかいは耳をすませた。そして、すぐ近くに水が流れる音に気付いた。かいはぞくっと身を震わした。
「闇のなかに広がる水の音、、」
かいの恐れ続けてきた悪夢が今ここにあるのだ。
かいの無言の恐怖を感じ取ったのか、楠の木のおばあは
「もう、恐れることはないぞ。かいよ、わしもここにいて、水の音を聞いておるぞ。わしらはどうやら、地底に流れる川の傍にいる。音から聞くにかなりな水の量じゃな。それだけの水が流れこむには必ず、入口があり、また出口もあるということじゃ。ともあれ、わしらには飲み水の心配はいらんということよ。地底とはいえ、ここの空気は綺麗で、ひんやりとしておる、それは、あやしい生き物はいないということよ。もしかすると、ここに棲んでおるものたちにしたら、わしらが一番、あやしい生き物かもしれんがのう。」
楠の木のおばあは低く笑った。その声が岩壁にこだました。かいが聞いていて、気味が悪くなる笑い声だった。(まだ、泣き声のほうがましだ。)
それでも、笑い声には不思議な力があって、かいは急に空腹を感じた。
「おばあさん。食べ物をどうしよう。おれは、荷物を置いてきてしまった。」
「弁当なら、とよがなにやら、お前の腰に括り付けていたようたぞ。それに、わしは食い物は必ず三日分は持ち運んでおる。しばらくは大丈夫だぞ。どりゃ、、、。」
そこまで言った楠の木のおばあの声が急に途切れた。
「おばあ、、おばあさん、どうしたの?気分が悪いの?」
かいは手さぐりで、楠の木のおばあの細い身体をさわった。手に生暖かい血のようなものがついた。足がぐにゃりと曲がっている。かいの手がさわると、、小さく、楠の木のおばあがうめいた。
「なんだ、足の骨をおったのか?どうして、がまんしていたんだ。」

(第七章B面終わる

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