紋次郎の椅子

歌人はなべて長電話が多い。長電話を嫌う猫の紋次郎は、呼び出し音でその判別ができるらしかった。電話をとるとまず耳に飛び込んでくるのは不機嫌そうな猫の鳴き声である。そして、電話が続く間、横で負けじとばかり、声を張り上げてうなっている。
その友人の夫君が急逝された後、紋次郎は、物陰に隠れて、喪に伏し、一キロ近く痩せてしまったという。それでも、写真で見れば、堂々たる面構えのアメリカン・ショートヘヤーの大猫である。
折角の電話でも会話を続けることができない。
「ひょっとして、ご主人はあなたの長電話を嫌っていた?」「ええ、機嫌が悪くなったわ。」
「だからよ。紋次郎はそれを形見に受け継いだのかもしれないよ。」
執拗な会話妨害にたまりかねた私は、直接、紋次郎と話しをすることにした。おおよそは知性的で現実派の友人が受話器を紋次郎の耳に当てた。
「お初におめにかかりやす」
一応、流れ者、木枯らし紋次郎から名を受け継いだということゆえ、ちゃんと仁義をきる。続いて、天候の話しや、気に入りのキャッツフードのことなど、猫に相応しい世間話を少しする。(そういう才能は少し私にある。)
「不思議、ちゃんと紋次郎が聴いているわ」
それから、その友人からの電話では、まず、紋次郎と交わす挨拶が欠かせなくなった。そして不思議、電話妨害はぴたりとやんだ。
やがて、紋次郎自身と会う機会が出来た。人嫌いの紋次郎はさっと物陰に引っ込もうとする。
「紋次郎」と呼び掛けた私の声にいぶかし気に振り返ると、「紋次郎の椅子」と呼ばれている椅子にどっかりと座り込んだ。
「あんたかね。わしの電話の相手は?」と興味津々という目つきで見た。「その椅子でねえ、いつも電話をしているのよ」。
歌人の猫も電話が好きである

青く澄み水のみにて咲くヒアシンスどこかまぶしき世界のある
髪の毛を一本舌に絡ませてすでに我が言葉浄からずある
美しき神の手のひらたひらかに閉ぢゆく遠き月光の海面

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