人は一人で、横向きに。

 象形文字の「人」という字は、一人で毅然と立っている姿だという。
今、私たちの使う「人」という字は、
「お互いに支えあって、人という字があります。つまり、人は一人では生きていけないのです」などと、説明されているけれども。
私は古代中国の亀甲文字の「人」を思い浮かべてしまう。
象形文字の「人」はしっかりと一人で立ち、横向きになって、何かに向かって両手を差し伸べているように見える.
「さあ、私の手に掴まっていいのだよ。」その長い大きな手の懐かしさ。
それとも、
「さあ、私は行くからね」と、周りの者に遠くへの旅立ちを告げているのかもしれない。
その一人で立つ古代人の潔さ。人の精神の逞しさのようなもの。
気骨というのだろうか?
 ある聖が貴族の奥方に恋をして、恋慕の思い止みがたく、ついに死の床につくまでになった。周りの者が見かねて、その夫にこの事情を訴えた。
聖の哀しい思いがかなって、美しく着飾った奥方と親しく対面することが出来た。やがて、小半時。一言も交わすことなく、聖は物の怪の落ちたようなすがすがしい表情で退座した。もはや。恋にやつれた風情すらもない。
いぶかしく思った夫が「首尾やいかに?」と聖に尋ねた。
「人のまことの姿は被膜の奥にありますぞ。」
その聖は着飾った奥方の心の骨格を視たのだろうか?。
 亀甲文字の「人」という字に私は強く惹かれる。

日も月も映すことなき地底湖のほの暗き水は夢の重たさ
微光放つ卵がひとつ卓の上月守りのごとく眠れずなりぬ
一団の雲よりちぎれて動かざる雲よわたしはわたしの静けさ

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