古絵図の三百年
古い絵図を見に行った。その絵図は地元の集会所に古くからあったものだという。
水の神様を祭る神社の祭礼を前にしての、この絵図の発見は何か不思議な力が秘められているように思う。
机に広げられた絵図には、おおらかな水色の線で安曇川が描かれている。重なった比良山系の山並みから、流れ落ちる小さな谷に包まれるように美しい呼称をもった集落が続く。いわば太く緩やかに川があり、細く粋なかたちに入り組んだ谷がありと、清冽な水の帯でつながった地帯が、素朴にみえるが丁寧な筆致で描かれている。
私が比良山系の山の中に住むことを決めたのは、豊かに広がる広葉樹林に心が惹かれたからだった。
やがて、それよりも美しい水の存在に気付いたのは、この絵図にあるように、遠くに年月の幻影を抱いて眠る琵琶湖へと、(その太古よりの古い水の器を)間断なく満たし続ける谷川の水の音であった。
夜半、吹きすさぶ風がふと止んで、そこに響いてくる谷川のせせらぎ。樹々の根を潤し、地中深く眠る山の精の心を満たし、やがて、太い水色の線として、描かれた安曇川に合流する。
この絵図は慶安二年に作成されたものとある。徳川幕府の「慶安のお触書」に応じて作られたものであろうか?徴税という生臭い為政者の面持ちよりも、改めて、わがふるさとの山川を写す喜びに満ちた素直な筆運びが、私の心を捉えた。
絵面を走る水の動きが、のどかな歌声を響かせる。それはきっと子守歌のような、懐かしさを持って画かれているからに違いない。
もみぢばの沸きたつ村里紅葉せぬ一樹を見たるますぐに立てる
赤色も黄色も降りゆくいつさんに大空はくろがねのにほひに滿てり
落ちつづく白き花びら山茶花の投げやりな表情眺めてゐたる