砂師の娘(第二十二章城の異変)
岩ばばは、ごたばたと不規則に大きい足音を立てながら近づいてきた。
祭司長の部屋の前に群がっていた神官たちは、なんとなく、輪を解いて、岩ばばと岩小僧のために場をゆずる形に後ずさった。
年取った神官だけは扉を固く抑えて、重々しく首を振った。
「悪いが,岩ばばよ。いま、この時に、祭司長のこの部屋には、関係のないお前を通すことはできない。」
「そうだとも。我々の内の一人を祭司長様は呼んでおられるのだ。それに、なぜお前は城の大門が閉ざされ、城が下界との連絡を絶っておるこのときに、お城へやってきたのだ。我々との決まりを忘れたのか?」
神官のなかでも、決まりごとにうるさい、もったいぶった様子の神官が、艶のない白いあごひげを、岩ばばの顔の前に突き出した。
神官たちもそれぞれに同意の声をあげた。
「やれ、この期におよんで、まだそんな面倒くさいことを、わてに向かって言っておるのかね。」
岩ばばは手を伸ばすと、神官のあごひげをぐいとつかんだ。
「ようわての言うことを聞くんじゃな。お前さん流のたいそうな言い方をすれば、開闢以来というのかね。今、この城にただならぬことが、持ち上がっているからこそ、お前さんたちはこうして、この部屋の前に集まっているのじゃないか?わてから、見ると揃いも揃って、胸いっぱいに問題を抱えこんでおるような顔つきに見えるがね。はっ。」
岩ばばはゆっくりと神官のあごひげをねじると、目を白黒している神官の口の中につっこんだ。そして、杖で大きく扉を叩いた。
「祭司長、具合はどうじゃ。わての声が聞こえるなら、戸を開けろ。お前からの知らせでやってきたのじゃ。本来なら、その価値もないお前の頼みを聞くために、とりあえずにやってきたのじゃ。」
部屋の奥から、祭司長の声がした。
「部屋は開いているはずだ。入ってきてくれ」
神官たちは、あまりにも態度の大きい岩ばばに、素直に答える祭司長の声に驚いた。年取った神官ははじかれたように、扉を開けた。
湿ったカビと血の混じった生ぬるい風が、暗い部屋の中から、吹きつけた。それはいつも香の匂いを漂わせていた祭司長からはかけ離れた匂いだった。部屋の闇の中に、なにかひしめいているような動きがあった。
岩ばばは開け放たれた扉の奥を覗きこむようにして立ち止まった。
部屋から吹き寄せてくる風は、実に雑多な匂いを含んでいた。いやな匂いばかりではない。嗅ぎなれない匂いもあった。岩ばばは自分の生涯のこれまで、あらゆる地表を覆う岩石、地中を深くえぐる岩石、深い谷の断層、海中の生き物たちの眠る白いサンゴの墓石群。太古のままの月光の滝の化石。
あらゆる石にまつわるものとその周辺にはいつだって、目を放すことはなかった。今、祭司長の部屋の闇のなかに、深い海の波の寄せ返す音が聞こえ、中でも、自分の気に入りの岩中蘭の香りが、吹き寄せる風に混ざっているのに気付いたとき、岩ばばの目がぎらりと光った。
「祭司長よ。お前は約束を破り、おのれの罪から、また逃れようとしているのか?又もや。今度こそうまくいくかもしれぬチャンスをのがしたか?」
岩ばばが興奮を抑えきれない様子で叫んだ。
「早まるな、岩ばば。ただ、わしには分らんが、約束の手形がわしの身から、離れていった。」
祭司長の声は戸惑いながらも、うれしさを隠し切れないようであった。
「なんとあの、うろこ、お前の身についていたあの海の手形がか?」
岩ばばが耳を疑うように聞き返した。
「あの山猫がわしの身からそぎ落としてしまったぞ。一枚残らず。」
暗い部屋がすっと明るくなった。岩ばばは信じられぬ顔つきで、祭司長のマントにくるまれた姿を見つめた。
「あのわが身の内までささり、決してはがれることのなかったうろこが一枚残らず。綺麗に抜けたのだ。そして、もう生えてもこん。むろん、血は流れた。だが、傷口はなかったかのようにふさがった。」
「みやーご」
ややの鳴き声がした。岩ばばが自分の目を抑えると飛び上がった化石(砂師の娘第二十二章A面終わる)
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