とおせんぼ 担当:はおまりこ
「もし家に帰れなくなったら道しるべの虫についてくんだぞぉ」
小学6年生だった高山さんは、ふいにお祖父さんにそう言われた。
広島の中心部から山間部についこの間越して来たばかり。慣れない土地ではあったが、転入した小学校は自宅から見える程の近さで、いくら子供でも迷うはずがない。
もう高学年で来年には中学生だというのに。
侮られたような気持ちがして頬を膨らます高山さんに
「とおせんぼが悪さをする時があるからのぅ」
といたずらっぽくお祖父さんは笑った。
数年が経ち、高山さんが中学生に上がって、祖父に言われた事もすっかり忘れた頃だった。
当時は中学で入ったバレー部が中々にハードで、朝練のために早起きして出発しては、放課後も夜遅くまで残って練習に励んでいたという。
そんな夏のある日のこと、顧問の先生が用事があるといって、いつもより早く部活が終わった。
珍しい事に心を躍らせながら外に出ると、辺りは暮れかかり、まさに黄昏時。オレンジに染まる景色の中、自転車を走らせて帰路を急ぐ。
徒歩3分だった小学校と違い、中学校は少し距離があり自転車通学となってしまった。行き帰りで通る通学路のほとんどが人気のない農道だ。
右に山、左に田んぼに挟まれた細い道は、夜も深まると、ぽつぽつと気まぐれに立つ街灯の周り以外は真の闇となってしまう。やんちゃ盛りの中学生男子といえど、そんな真っ暗闇を毎日一人で通るのは心細く、こんな日くらいは夕暮れのうちに家に帰り着きたかった。
それに、いつもうるさい位に鳴き喚いている蝉たちが、今日はなぜかやけに静かなのだ。道の脇に生える木々にびっしりと止まっているであろうはずなのに、まるで息を潜めてこちらを窺うようにしんと静まり返っている。
だだっ広い田んぼに自分の自転車がキイキイ鳴る音だけが響き渡って、なんだか居心地が悪い。
自然、気持ちが逸り、ペダルをこぐ足に力がこもる。
その時である。
どん。
鈍い音と共に自転車の前輪が何かにぶつかる感覚があった。
なんだ?と自転車の前方を窺うが、何も見当たらない。
首を捻りながらペダルを再び踏み込もうとするのだが、微動だにしない。
ギアかチェーンが壊れたか。少し自転車をバックさせて車体確認するが異常は無かった。
だが、再び自転車をこぎ出そうとすると、どんという振動と共に前へ進めなくなるのだ。
まるで、何かに阻まれているかのように。
まさかと思いつつも、自転車を止めて、自転車の前方を手で探ってみると、そこに「透明な壁」があった。
まるで硬い板のような感触で、当然ながら壁の向こうの景色は曇ることなくはっきりと見えている。
叩いたり、押してもびくともしない。
匂いも温度も無く、本当にガラスでも置いてあるのではないのか、と思えるような質感。
ただ、視線とは違う、まるで時を経た巨木から出るような独特の存在感というか、しんと張り詰めた空気のようなものを感じる。
不思議と恐ろしさは覚えなかった。
というか、逆に冷静になってしまった高山少年は、大胆にも「壁」を手探りでじっくりと隅々まで見分し始めたという。
「壁」は上から下まで隙間なく立ちはだかっているようだ。では左右は?
右にある山側までびっちりと塞がれている。なら左側の田んぼ側はどうだ。
まるでパントマイムのように手を滑らせてゆっくりと左向きに進んでいく。そして、道端の田んぼ際まで辿りついた時、スカッと左手が支えを失って、壁の向こう側へ突き抜けた。
すかさず上下を確かめても壁はない。
どうやら、この透明な壁は道幅いっぱいに立っているらしい。
地道な検証によって確信を得た彼は、道横の田んぼを迂回する事で無事自宅に帰り着くことができた。
息せき切って怪体験を話す高山さんに
「ぬりかべが出たんじゃない」
とお母さんは事もなげに答え、それが一番怖かったそうだ。
高山さんがその壁と出会ったのは、後にも先にもその一度きりだが、随分後にあまり交流のなかった同級生が同じ体験をしたという風の噂を耳にした。ちなみにその子は遠回りをして別の道を行くことで難を逃れたらしい。
そこで思い出されるのが、あの時のお祖父さんの言葉である。
あの壁は、もしかして「ぬりかべ」ではなく、お祖父さんがいう「とおせんぼ」なるモノだったのだろうか。
でも。
「せっかく教えてくれたのに道しるべの虫の出番はなかったなあ」
となんだか申し訳ないやら、くすりと笑ってしまったそうだ。
子供というのはいつ何時も、道しるべなんか無視して、自分の機知で壁を乗り越えていくものなのである。