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赤い薬か青い薬か。

赤い薬か、青い薬か、どちらかを選べ。
この元ネタは映画「マトリックス」で有名なワンシーンであり、海外では「Red pill and blue pill」として知られている。
青い薬を選べば、今のままの安定した生活が手に入る。
しかし赤い薬を選べば、不確かな未来を知る事ができる。
そんなリスキーな未来を示すもののメタファーとして扱われたのが、この赤い薬だ。

人生の分岐点で、僕らは常に問われている。
僕らは常に選択を求められている。
赤なのか、青なのか。
変化なのか、安定なのか。
革新なのか、保身なのか。
飲みにいくのか、自炊をするのか。
女の子と遊ぶのか、筋トレするのか。

少しだけ経験した身から言うと、こう思う。
それは、どちらを選んでも正解ではないという事。
よく物語や映画だと、赤い薬、つまり現状からの変化を良しとする意見が強い。
それは、確かにそうかも知れない。
現状維持なら物語にはならないから、何も事件が起きないからエンタメになりにくい。
でも僕らは映画の中で生きておらず、ただの日常を生きている。
だから特別変化ない、そのままの生き方を延長したって構わない。
青い薬でも、存分に魅力的な人生を紡げると今は思う。

どちらを選んだって、正解じゃない。
その先をどうやって進むかって事が、後々の結果に繋がる道になるんだ。
どちらを選んだって、間違いじゃない。
その道でどう行動するかって事が、あの時の選択が納得できるか否かに分かれるんだ。

赤か青か、変化か安定か。
悩んだ末に赤い薬を選んでも、再び選択を迫られるポイントは何度もある。
その時に選ぶのは、再び赤い薬なのか、それとも青い薬なのか。
僕らの分岐点は人生で一度きりではなく、常にあみだくじのように右に左に振り回される。
常に赤を選ぶ必要はないし、気まぐれに何方かを選んだっていい。
だけど必要なのは、その時々で選んだ道に対して、自己責任でどう向き合うかってことだと思う。

僕は心の片隅で思っていた。
仕事を辞めたのは失敗だったんじゃないのか。
貯金が底をつき、アルバイトの日々。
以前の同僚たちに笑われてるのではないか。
両親が失望しているのではないか。
もう女性が振り向いてくれないのではないか。
みっともなく、人生が終わっていくのではないか。
このまま、もう這い上がれないのではないか。

でもそれでも、やはりあの時に赤い薬を選んだのに後悔はない。
痩せ我慢でなく、本当に後悔がない。
収入は以前の半分になったけど、何故だか後悔がない。

でも今でも、もしあの会社で頑張っていたら、それはそれで得るものがあったのかも知れないと時折考えたりする。
あと10年くらいしたら、クソみたいな保身上司たちはみんな定年退職し、僕ら世代の生き生きした奴らが中心になっていたはずだ。
そうしたら僕だって少しは評価されていたかも知れない。
その中である程度やりがいのある立場を任されていたかもしれない。

でも僕は、そこまで待てなかった。
待ちたいとも思わなかった。
あの環境に甘んじている自分が好きになれなかった。
やはり赤い薬でよかったのだ。

それはもしかすると、こじつけかもしれない。
今の現状を正当化するための、脳が捻り出した嘘かもしれない。
でもあの時、赤い薬を選んだ事実があり、その結果の今がある。
それは変わらない、あの時には戻れない。
変わらない、戻らないことに執着しても意味がない。

今の所、でもどこかで失敗だったかもって気持ちは付きまとう。
それは仕方ない。
だってあの時の選択を納得できるかどうかの結論は、まだ先の事だから。
そして将来的に今の選択を納得したいのなら、やっぱり今の状況に向き合わなくてはいけないと改めて思う。

楽しいことばかりじゃないけど、不幸ばかりでもない。
多角的に現状を見れば、悪くないって事も多い。
僕は安定した会社に属さなくても、質素に生きていけることを学んだ。
お金を節約したいから、外でお酒を飲む機会が減った。
外食はせず、基本的に自炊するようになり、健康的に痩せてきた。
一度落ちぶれた身を経験したので、必要以上に強く見せることも無いし、変なプライドの不要さを学んだ。

そして、僕本人はどんな奴なのか、どうしたいのか、と常に問いかけるようになった。
会社の肩書きでなく、学歴でもなく、先ずは僕自身がどうしたいのか、どう在りたいのか。
親の期待や女性の目を意識せず、自分自身に目を向けるようになった。
その答えは出ていないけど、答えが出るのはもっと先だと分かった。
正解に一括りの定義はなく、後になって納得できるかどうかが重要だって分かった。
成功の中にも失敗があり、失敗があるから成功がある。
そして赤い薬、青い薬、この先の分岐点があった時、再びどちらを選ぶのか。
僕はその時にどうするのか、どうなっているのか、不明だ。

ただ僕が薬を選ぶ際に分かった、明らかな後悔が1つある。
それは、薬には使用期限があるということ。
僕は前職で、赤か青かを選べずに、十数年も薬を放置していた。
それだけは、はっきりと後悔している。
あの時の薬を飲むことはもう出来ないし、今飲んでも使用期限切れで効果が現れない。
赤か青か、自分は何方を選ぶのか、それは常に問いかけておいて人生に無駄はないと感じる。
でもその無駄や後悔が、また再び現れた赤と青の薬を選ぶ背中を押してくれたりもするから、人生どうなるか分からないって話でもあるのだけれど。

そして、薬局に薬剤師が居るように、人生についてのメンターや師匠が居ると薬の間違った飲み方を防いでくれると思う。
どのくらいの期間に何錠飲むのか、そもそも薬を飲む必要があるのか。
それと同じように、人生の分岐点では、経験者や有識者の意見を求めることに損はないと思う。

また、必要以上に赤い薬を飲むのはやめた方がいいタイプの人間がいる。
赤い薬、つまり変化や挑戦は一見すると成功の鍵のように、とても魅力的に映ることがある。
今の不満な現状を変えたい、どうにかしたいって思いを抱くだけで、何もしないタイプの人間がいる。
SNSを見てちょっと感化され、暇つぶしして終わる、完全エンタメ消費型の人間がいる。
僕もかつてはそうだった(今もかも知れないけど)。
ただそういったタイプは赤い薬を選んだことにテンションが上がるだけで、暫くすると何もしない。
赤い薬を選べば現状が勝手に変わってくれると思ってるタイプに赤い薬は危険だ。
暫くして再び現状に不満を抱き、さらに赤い薬を飲み続ける。
そんな薬物依存のようになってしまうのは避けたい。

最後に、某YouTuberのようなことを言ってしまうけれど。
赤い薬、青い薬、何方を選ぶにせよ、実はもっともっと大事なことがある。
それは、睡眠、食事、運動を整えるってことだ。
それが出来ないで薬を選ぶのは厳しいって。
(某ジョージさんみたいですいません)
なぜなら、赤にせよ青にせよ、薬を飲むってのには、必ず副作用が付きまとうからだ。
その時に、肝心の身体が整っていないと、メンタルをやられてしまう。
メンタルをやられるとフィジカルがダメになり、更にメンタルが落ちるスパイラルに突入する。
だからこそ、何方の薬を選ぶに至ったとしても、自分の身体を常に整えておくことが最重要だと今は感じている。
以前は、青い薬は無害で健康で、赤い薬は危険があるって思っていた。
でもそうじゃない、青い薬だって十分に強く、身体に危険な副作用は伴うのだ。
何方を選ぶにせよ、身体を整え、常に心に問いかけ、そのチャンスが来たら赤か青かを選ぶ。
だけど何方にしても正解はなく、その後の道でどう行動するかが未来につながる。
何方にしても、喜びがあり、不安は付きまとう。
だけどそれが人生だから仕方ない、だからこそ尊いものなんだぜ。
クスリはリスク、リスクは恐怖や不安だ。
でもそのリスクを取っていると、身体に耐性が付き、多少のリスクでは恐怖しなくなる自分が現れる。
そうなってくると、薬が効き始めてるって実感が湧いてくる。
特に赤い薬は魅力的で危険だ。
一度飲むとハマって抜け出せなくなる人がいるのも分かる。
2年前に初めて飲んだけれど、あの薬は結構キマるぜ。
最近薬の効果が切れてきたから、また新たな薬を求めている自分がいる。
いま禁断症状の手の震えを抑えながら、このnoteを書いている。

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