見出し画像

夢(ドリーム)から覚めて、また日々は続く。


2024年2月18日東京ドームにて

昨日、人気深夜ラジオ番組である「オードリーのオールナイトニッポン」のラジオイベントに参加した。
ラジオイベントと言っても、恐らく単体のパーソナリティのものとしては日本で言えば過去最大規模だったと思う。
なんと言っても東京ドームで開催し、地方含め各地の映画館でライブビューイング、そしてオンラインでのインターネット配信もあり、同時に視聴した総数は16万人にも及んだらしい。
今後、このような規模で開催されるラジオイベントは無いのではと思わせる、彼らのキャリアにとっても一つの頂点を極めた出来事と言えるのではないだろうか。

楽しみたいのに追いかけてくる寂しさと違和感

そこで僕が感じたのは、楽しさよりも違和感と寂しさと身体の衰えだった。
まず初めに言うと、僕は全くもって彼らを批判したいわけではない。
彼らのラジオは15年前の開始当初からほぼ聴いている大ファンであるし、5年前の武道館で開催されたラジオイベントは3度チケット落選したのち、泣く泣く府中の映画館でライブビューイングに参加もした。
テレビドラマ「だが、情熱はある」で若い層に知られる前から、春日さんの伝説的なアパートである「むつみ荘」の外観を見に行ったり、ラジオで若林さん、春日さんがトークテーマで話した場所へ行ったりしていた。
ただイベントの間ずっと、楽しさと寂しさと違和感の間を行ったり来たりする、言語化できない気持ちが付き纏っていたのは事実だった。
正直なところ、虚しくて自分の居場所が無くなった様な気分だった。
そしてそういう態度のリスナーを若林さんはラジオでも触れる事があり、自身らが何かする度に心象や向き合い方が変わってしまうリスナーはその程度のリスナーだという感じで発言している事も知っている。
それはそうだと思う、僕だって当事者ならそう思うだろう。
素直に応援しイベントを待ち侘び、心から楽しんでいるファンが良いに決まっている。
でもここで個人的に書かせて欲しいのは、僕だって楽しみたくて熱狂したくて感動したくて参加したのだ。
だけど何故か心が違う方を向いていたという、やるせ無い思いに自分自身がいちばん戸惑ってしまったという話なのだ。
以下、イベントの内容には殆ど触れないし、文章も長くなりますがお時間あれば読んでください。

もうラジオは独りぼっちのためのツールでは無くなった

自分にとってラジオは、特に聴き始めて30年近くになる深夜ラジオという存在は、過去はこんなにメジャーなものでは無かった。
クラスでも同じ番組を聞いているのは1人居るか居ないかのメディアだったし、そもそも聴いているかもしれないけれど、それを確認する手段もなかった。
今なら旧Twitterでラジオ仲間なんてすぐに見つけられるのだろうけれど。
昔はテープで録音するかリアルタイムで寝る間を惜しんで聴くかの2択で、暇な時にradikoやYouTubeで手軽に聴けるような、そんな便利なものでは無かった。
テープ録音を忘れて寝落ちした翌朝の絶望感、もう2度と聴くことが出来ない悲しみと寝落ちした自分に対するムカつきなんて経験は、今のラジオっ子にはないのだろう。
だからこそ当時はたまたまラジオ好きに出会えたり、同じ番組を聴いている人と出会った時の喜びは格別だったし、強い結びつきを感じられたりもしたものだ。
そんな偶然に出会った人の大半は、なんというか孤独であったり、人付き合いが得意じゃ無かったり、どこか僕と似たような境遇であることが多かった。
また意外とインテリだったり、笑いのセンスが高かったり、話すと非常に魅力的な人が多かったように思う。
そんな、孤高なのにどこか冴えない奴らが多かった。
だから当時はラジオイベントに参加しても、非モテのモサ苦しい男子が大半を占め、親近感と共同体感を無言で分かち合えたものだった。
そして、昔のラジオ番組は今に比べてワイルドで無法地帯感が強かった。
過激な発言をするとすぐにネットニュースになる昨今、どうしてもパーソナリティはそれを僅かでも意識してしまうだろうし、それによって番組が終わることとを天秤にかけて、マイルドな発言を求められもしているのだろう。
しかし以前はもっと下らない悪口や過激なエロネタも多く、僕はそういうトークを夜中1人聴く事で、自分だけが知る秘密の蜜を味わうような喜びを感じていた。
もしかしたら、いやきっとそれは、現実世界で同級生に何一つ勝てない自分が捻り出した、マウントを取れる唯一の砦のようなものだったのかも知れない。
そんな深夜ラジオという媒体も今ではメジャーになり、radikoやスマホのアプリを使えばいつでも何処でも聴ける、手軽で楽しい深夜テレビ番組の一つみたいな位置付けになったように感じる。
便利で選択肢が増えたのはいい事だけれど、僕の様な懐古世代が深夜ラジオに向き合ってきた雰囲気とはだいぶ違う、ライトな空気を持ったオシャレな人達が増えた様に思う。
今回のイベントでも本当にそういう人が多かった。
イケメンと美人のカップルがイベントシャツをお揃いで着てスマホで自撮りをする。
恐らく速攻でインスタに上げているのだろう。
アイドルみたいな2人の女性がお揃いのイベントグッズを全身身に着けてワイワイ騒いでいる。
まるで東京ドームでなく、ディズニーランドに迷い込んだような気分だ。
オシャレ上級者がイベントグッズを上手いこと私服と合わせてセンス良く着こなしている。
普段はオシャレなリア充(薄い色のサングラス&デザイン薄髭&おしゃれ髪型)で、「色んな趣味あるんすけど、自分実は深夜ラジオも好きなんすよねぇ笑、、、あぁオードリーなんていいっすよ」ってタイプが増えた様に思う。
上記のこれは嫉妬深く卑屈なオッサンの妄想意見だと思ってください。
僕の様なパッとしない髭面で小汚い格好の人は明らかに少なくなった様に感じたんです。
深夜ラジオという僕らだけが味わってきた珍味が、乱獲されて雑に消費されている気になってしまう。
リア充なんだから別の楽しみが他に沢山あるでしょ、こっちの土地に家建てんなよ、と心の狭さが露呈してしまう。
彼らはみんな、沢山ある中の好きの一つが深夜ラジオって感じになった気がどうにもしてしまった。
でもそんな僕も、昔に比べたら深夜ラジオはいくつかの中の一つになっているのに、自分を棚に上げて被害者ヅラしているなぁと思いましたけどね。

シンプルにおっさんの身体にはアリーナ席が辛かった

今回、僕は2度の落選後3度目の募集でアリーナ席を取ることができた。
当選のメールを見た時は、まさかと非常に嬉しかった。
なぜなら5年前のイベントの武道館は結局全部落選したので、またダメだと思っていた部分もあったから。
ただ実際に参加して分かったのは、アリーナ席のパイプ椅子の間隔が非常に狭く、薄いクッションに長時間座り続けるだけで非常に体力を削られるということだった。
入学式の父兄席のような感じで、椅子と椅子とが隙間なくガッチリと組み合わされていた。
一般席と違い椅子はペラペラのクッションで、前後の狭く足を前に伸ばすことは不可能だった。
だから両隣の男性とぶつからないように、肩や足や体の向きに注意することが必要だった。
足が自然と開かないように手で押さえ続け、それもあり身体がかなり硬直していた。
開始1時間くらい経ったところで、このままの状態で最後まで見ることが出来るのか??と不安になっていた。
自分の状況が気になり、ステージへの集中が散漫になっていた。
また公演のあいだの4時間ずっと座っているという状況は、普通に身体が辛かった。
唯一の救いはゲストの星野源さんが歌われる際に、みんな立って聞きませんか!と言ってくれて立ち上がることが出来たことだった。
あの時間はマジでありがたかった、ありがとう源さん。

アリーナ席の音の悪さ、視界の狭さ

僕はドームに行くという経験が殆どなくて、今回が恐らく人生で2回目だと思う。
ちなみに初めては小学生の時で、その時に野球を見に行ったため音質の悪さを気にすることは無かった。

ドームはライブ向けじゃないから音響が悪いというのは人づてに知ってはいたが、これ程までに悪いとは思わなかった。
特に僕の居たアリーナ席の真ん中後ろ辺りは、マイク音声と反響音と前後左右の人の歓声が入り混じり、二人のトークだけでも聞き取りが難しい時が何度もあった。
5周年のショーパブ祭り、10周年の武道館はDVDやライブビューイングで視聴したから、音質がクリアでこんな単純な事に気づかなかったけれど、これはとても勿体無いことだと思った。
トークや漫才がちゃんと聞こえなかったりして、こんな貴重な瞬間に出会えているのに残念だった。
だからこそドームライブをやるミュージシャンの凄さがわかるし、ドームライブが逆に気になったりもしたのだけれど。
また見え方に関しても、僕の居た場所は視界も狭く、アリーナ席は一般席に比べ高額であるのに対して、意外と良いものではなかったと言うのが素直な感想だった。
いわゆる外周の一般席はすり鉢上に段々と高くなっているので、後列になっても比較的見やすい構造であるのに対し、アリーナ席はただずっと平坦であるため、限られた最前列付近の人達以外はステージも見えず、スクリーンを見るだけである。
しかも意外と中央のスクリーンは見えなかった。
それは前列の人達が多すぎて、どうしても誰かがスクリーンの下側を頭で遮ってしまうからだ。
(これは僕だってさらに後ろの人に同じことをしていたかもしれない)

HSP気質の人間に向かない、ライブという空間

上述のように僕の両隣は男性であった。
左側はカップルで来ていた20代前半の人、右は一人で参加している30代後半くらいの人だった。
カップルの男性は、彼女と二人で大好きなオードリーのラジオイベントに参加できているという喜びに溢れていた。
二人でグッズのTシャツを着てリストバンドを身につけ、本当に幸せそうだった。
それはそうだと思う、僕だってそんな彼女がいたら最高に違いない。
しかし彼は大半の若い参加者同様に、この空間の熱気と非日常感に煽られ、非常に掛かってしまっていた。
(批判したいのでは無い、彼らのような熱さはむしろ羨ましかった)
しかしである、彼はこの世の中で1番のファンである事を示したいのか、オードリー両人のトークで先回りして意見や知識を独り言レベルを超えた声量で喋ってしまうのだ。
彼以外の人や僕だって、それは知っているけれど皆んな心の中で一人喋っているのだ。
また自分が一番分かってる感を出したいのか、みんなが笑うタイミングの半歩前に笑い出す、めちゃめちゃ大きな拍手する、を繰り返していた。
正直、それらがすごいキツかった。
また右隣の陰気な男性は、常に足をガバッと開き、僕の席の範囲を侵害していた。
肩や腕が当たることも多く、狭くて仕方ないにせよ、最低限の気遣いをして欲しかった。
恐らくこれは、両隣の人達自身は特に気にしていないのだろう。
そんなことよりライブに全集中していたように思うが、僕は個人的に生まれ持ったHSP気質が仇となってライブだけに集中できなかったのは事実だった。
現場の熱気は減るけれど、HSP気質と折り合いをつけるとなるとライブビューイングやオンライン向けの人間なのかも知れない。

そして遠くに行く存在と、今の自分との差に絶望

バカな意見だと思って聞いてほしいのですが、イベント中の気持ちはオードリーの成功を喜ぶ自分と、遠くに行きすぎて応援できない自分がせめぎ合っていた。
ラジオ開始当初15年前、彼らは今よりも若者で、若者特有の悩みが多く共感することが多かった。
また学生時代のエピソード、売れずにもがいていた若手時代やショーパブ時代の話、芸人仲間同士でバカやったり旅行に行ったりした話がメインで、僕は彼らの経験してきたそれらに全て対して、強い憧れを抱いていた。
あんな仲間が居たら楽しかっただろうな、今でも青春してバカやれる先輩後輩芸人仲間が居て楽しそうだなと羨ましかった。
当時僕は友達が極端に少なかった学生時代を経て社会人になり、少し落ち着いて自分を変えたいと試行錯誤している時期だった。
だからこそ、彼らの学生時代のエピソードの一つ一つが輝いて見えたし、僕は僕で彼らと比べて自身を振り返り、かけがえの無い学生時代を無駄に過ごしてしまったのでは無いだろうかという喪失感を覚えたものだった。
それはまだ今よりも未来に夢や憧れを抱き、いつか何者かになれるような、そんな思いを馳せていた頃のこと。
そんな共感と憧れを抱きつつも自分の可能性も信じていたあの頃に対して、無職状態が続きこれから先も何も見えない只のおっさんである自分は今、彼らの成功を素直に見られない程の差が生まれてしまった。
これから今から、恐らく何者にもなれない事も分かってしまっている。
そんな失敗人生の自分はオードリーの2人だけでなく、キラキラした僕以外のリスナーに対しても劣等感を抱いてしまったのだ。
映画「天空の城ラピュタ」に登場するポム爺さんが、光る飛行石を見て「ワシには強すぎる」っていうように、僕にはみんなが輝いて見えて同じ場に居るのにひとり辛くなってしまったってのがあった。
暗い洞窟でひっそりと生息していた自分にとって、キラキラしている人たちは眩しすぎて直視できなかったんだろうなと。

だが(これからもオードリーへの)情熱はある

昨日の「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」は、僕にとって改めて夢と現実を教えてもらった場所だった様に思う。
殆ど同じ年齢の彼らが、この歳であんなに輝いているのは、15年間リスナーだった僕にとっても本当に尊敬すべき素晴らしい事だった。
いつもは若林さん派の僕ですが、実際の春日さんも凄くかっこ良かった。
この年で、あの肉体を維持してるのってマジで凄いことですよ。
やっぱり華があったし、どこか隙もある愛されキャラだなと改めて感じた。
当時はファンでも無くたまたま聴き始めた、土曜のオールナイトニッポンのパーソナリティーの彼らが、こんな高みにまで到達するとはマジで思ってもいなかった。
自分たちの力で芸人として成功し、家庭も持ち、幸せで心の充実もある今の彼ら。
(もちろん葛藤や成功者ゆえの悩みもあるでしょうが)
そんな彼らを見て素直にすげーなという思いと、今の自分の現実を圧倒的に感じ、何か吹っ切れたものがあった。
よく「比べるのは他人でなく過去の自分だけだ」という言葉がある。
確かにそうだけど、どうしても比べちゃうのよ、他人と。
そして妬み、嫉み、どこか卑屈に毎日生きてしまう僕。
そんな僕でも素直にリスペクトし、カッコいい生き様だと思った。
真摯に自分たちと向き合った結果を観客に見せつけていたのが分かるイベントだった。
彼らの夢(ドリーム)は「(オー)ドリー(のオールナイトニッポンin東京ドー)ム」で完結してしまったのか。
それともまたいつか、新たに何かがラジオで発表され、再び僕らを感動させてくれるのか。
色々感じた今回のイベントだったけれど、これからもオードリーのオールナイトニッポンは聴き続けるだろう。
むしろこれからの彼らがどう進むのか、それも楽しみだ。
僕はまだ全然、オードリーに対しての情熱はあるから。
結論を正直に言えば、今回100%の気持ちで楽しめなかったのは上に書いた通り事実だった。
だけど楽しむこと以外で、とても大切でちゃんと感じなきゃいけない事実をめちゃめちゃ教えられた今回のイベントだった。
自分はどう生きたいのか、何処へ行きたいのか。
そしてまだ情熱はあるのか。
きっとあるはず、だって無かったらこんな文章いちいち書いてないはずだから。
そしてあんなカッコいい彼らを見ちゃうと、こっちもパッとしなまま人生終わるのは情けないよなぁ、と素直に思わされました。
だから僕も動くよ色々と。
夢から覚めて、また日々は続いていくからね。
ありがトゥース!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?