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秋葉原の「ラーメンいすず」と僕のグッド・オールド・90’sデイズ。
それはだいぶ昔のこと、秋葉原がまだ電気街と呼ばれていた頃のこと。
そう、実に1990年代のこと、今から30年くらい前の話だ。
そして今でもふと思い返す、僕のグッド・オールド・デイズがそこに確かにあったのだ。
当然身近にパソコンもインターネットも無い時代、新しいゲーム、CDコンポ(今の子に通じるのだろうか?)やパソコンを見たくて、よく秋葉原まで足を伸ばしていた。
あの頃の僕ら小学生は、立ち読み雑誌からか友達の兄ちゃんからしか最新情報を得る手段がなかったのだ。
読んだ記事や聞いた話の記憶を頼りに、学校終わりや休日に秋葉原までダッシュしていた。
そこで実物に触れて感動し、テンションが上がるって感じの日々を過ごしていた。
テンションだけ無駄に上がったのち、勿論お金もなくて何も買えないので、いつもそのまま家に帰ったものだ。
午前中で学校が終わる日は、家にカバンを置いて一人そのまま秋葉原へ向かうと(うちから電車で15分程度だった)、人も疎らで僕はその街全部を独り占めすることができた。
そんな時、何故だかどのお店にもオタクな大学生のお兄さんが居て、初心者の僕に分かりやすく色んな事を教えてくれた。
彼らは古き良きオタクって人たちだったのだけど、とても親切で気のいい兄貴って感じだった。
穏やかでフレンドリー、でもどこでそんな情報を仕入れたの?って不思議さがあり、自然と尊敬の念を抱いていた。
僕が理系の人や職業というものに憧れたのは、振り返るとああいった人たちの影響もあったと思う。
街をひと通り見て自宅に帰る頃、いつも夕方に混んでいたのが、秋葉原の電気街口駅前にあったラーメン屋の『ラーメンいすず』だった。
そこは「しょうゆラーメン」と「しょうゆラーメン(大)」という2種類だけのストロングスタイルなのに、いつも店先には10人ほどの列が出来ていたのだ。
毎週水曜日は確か50円引きで、さらに混雑していたって記憶がある。
その近くを通って駅へ入るたび、美味しそうな匂いと麺を茹でる鍋のモワモワとした湯気に包まれるのだった。
数年後、高校生になって自分でバイトを始めてからは、そこでよくラーメンを食べるようになった。
店長と若い弟子の二人で切り盛りしていたその店は、並ぶ列の先頭付近になると、ぶっきらぼうな雰囲気漂う店長から「そちらは?」と聞かれた。
それはメニューの「普通」か「大盛り」かを聞いているのだけれど、もちろん初めは良くわからずに戸惑ってしまった。
そう言った暗黙のルールにも動揺することなく、券を見せつつ「普通で!」と言えるようになってくると、自分もこの店の常連のような気持ちになって悪くはなかった。
あの頃はまだ秋葉原駅も汚く雑多で、街全体が垢抜けていなかった。
なのにどこよりもハイテクで、矛盾と無限を感じる素晴らしい街だったと思う。
でもいつしか、慣れ親しんだ女性よりも別の女性に目がいくように僕の興味は拡散し、しばらく足を延ばさなくなっていった。
大学生になり僕が久々に秋葉原へ行くと『ラーメンいすず』はもう無くなっていた。
あの頃は丁度駅前が再開発される少し前で、まだ駅を出た目の前にはバスケットコート広がっていた頃の事だ。
失ってから大切だった事に気づくのは今も昔も変わらない。
もうあのラーメンは食べることができないのだ。
いい意味で超普通で、醤油スープの色と味が濃くて、メンマが大量で、小口切りとは言い難いような太いネギが特徴だった。
食べ応えのある分厚いメンマを噛みしめながら麺をすすっていると、スープの熱で徐々に太いネギに火が通るのがたまらなく好きだった。
寒い日にあの生姜風味の強い醤油スープを飲むと本当に身体に染み渡り、なんとも言えない安心感と幸福感が湧きあがった。
今思えばそれは、気立てのいい素朴で一途な田舎女のような、僕にとってはそんな愛すべき店だったのだ。
秋葉原から帰る道で、今日は晩飯を家でちゃんと食うぞと決意しても、何故だか毎回食べたくなって、結局ハフハフと麺をすすっていた。
そんな時、一心に麺を啜るサラリーマン達を眺めるのが好きだった。
僕も大人になったらこうしてスーツで仕事帰りにラーメンを食うのだろなぁ、と思ったものだ。
今でも寒い日に外で醤油ラーメンを食べると、いつもそんな事を思い出す。
そんな懐かしの思い出は、ラーメンの湯気と白い息と共に夜空に消えていくのだった。
おしまい。
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