西洋占星術における天体① 太陽と月

  そもそもジオセントリックホロスコープで、太陽と月だけがなぜ別格扱いされるのでしょうか?
  いちばん用いられると言っても過言ではない太陽と月は、改めて考えれば惑星ではありません。他の感受点である水星から冥王星やエリスにかけて、すべて太陽系惑星です。しかし太陽と月だけは違います。
 太陽は恒星、月は地球の衛星です。
 このふたつが占星術を読み解くうえで重要な鍵を握っていると言われるのはなぜなのか。
 そのあたりから、この太陽と月にホロスコープに作用する意味合いそのものが、水星から冥王星エリスにかけてとはちょっと違う、と言ってもよいでしょう。
 
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 『ホロスコープって出したはいいけど、どこから読んでいいのかわからない』
 そうおっしゃる方は多く、私もこれは言葉をいくら尽くしても、なかなか語れる気はしません。というのも結論を先に言うなら、私の場合そのチャートを実際に見てみないことには、どこを強調して読み解くのかは、その瞬間までちょっとわからないからです。
 これでは頼りないと思われますか?
 しかし考えてもみてください。
 
 たとえばジオセントリックにて出生時間が明確にわかる方のネイタルホロスコープを前にすると、バシッと太陽と月のコンディションはどうかとか、アスペクトがどうとか、ステリウム(3つ以上の天体がコンジャンクション)があるとか、そのほかに異様なほどアスペクトの多い天体を確認したとか、じゃあアセンダントはどうなのかとか、それぞれによって特徴があります。そもそもホロスコープは基本的に同じではありません。ハウスの偏りひとつとっても違いますので、もうなにが強調されたホロスコープなのか、きちんと見なければわからないのです。じゃあざっくりと内向的か外交的かくらいの判別から読んでみよう、となっても不思議ではありません。しかしそれだって外交的に見えても月のサインは内向的要素がある、ということは往々にしてありますので「仮に読む順番の決まりなどあったとしてもそれがなんだというのか」と言いたくなるのは当然のことです。たとえマニュアルを作り、それ通りに読んだとしても、情報をつぶさに落とさない、という肝心な部分は、その場で広げてみないとわからないことが多いので、さあどうしよう、と頭を抱えるかもしれません。

 ネイタルホロスコープは、その人が持ってきて生まれた地図のようなもので、これは変わりようがありません。
 もちろん誰もがプログレスやトランジットの影響を受けているので、ネイタルチャートのどの地点がクローズアップされているのか、というのは大きな判断材料になります。いままで気にならなかったことがどうしても頭から離れなくなってきたとか、なぜか気分が盛り上がってきてやりたくなったとか、なんらかの出来事がトリガーになり生き方に迷いが出てきたとか、いろいろと理由はあるでしょう。しかし膨大なホロスコープの情報から、どこをどうピンポイントに抜き出すのか、というのは、なかなか一筋縄ではいきません。

 そこで質問から考えます。たとえば『私の仕事運はどうでしょうか』と聞かれたと仮定しましょう。
 仕事に関する問題を考慮する場合、お金が問題なのなら2ハウスや8ハウス、職場の人間関係なら6ハウスや10ハウス、やりがいや目標なら6ハウスか10ハウス、あるいは9ハウス。これらをすべて総点検しなければなりません。

 会社員であれば6ハウス、などと単刀直入に考えてはいけないのは、企業は組織ですから、10ハウスの要素もじゅうぶんにあります。
 たとえば10ハウスに火星があるなら、とても頑張り屋さんで目標に向かって一直線、野心も強く、しかし出世を目論みながら常識人の枠を超えないように頑張っている、という感じになります。どちらかというと大企業、あるいは一流技術と伝統を持つ中小企業、または老舗になるでしょう。この場合たとえ本人がフリーランスであったとしても、取引先が大手企業または老舗、という場合も少なくありません。
 もし6ハウス火星であるなら、一個人としての尊厳というか、とにかく己を厳しく律し、役に立つような自己実現を図る、という意味になります。職場が6ハウスとはよく言われることですが、ここに火星があるならベンチャー、またはかなり活気のある、騒々しくて元気な職場、しかし人の入れ替わりが激しいため落ち着かず、これは社員の採用辞職に関する雇用関係が慌ただしいのか、それとも職場にたくさんのお客さんがいらっしゃるので対応に忙しいのか、あるいは物流で次々に物品のやりとりがあるのか、またはたくさんの情報が流れてくる職場なのか、と、これだけ考えられます。
 さらにサインを加味する必要があるのです。

 また、仕事運ということであっても、天体はすべて読まねばなりません。
 とにかくざっくりと太陽と月は眺めます。そのほかの天体も同様に、どのような作用を及ぼしているのかを読んでいきます。
 太陽であれば目的意識、土星なら仕事に対する責任感、火星はやる気、金星は仕事の好み、水星は商売、木星は拡大など、とにかく全部ざっくりとでも読まなければ、その人にとっての仕事に関する意識がわかりません。トランスサタニアンは、土星以内の天体に強烈な個性、世代の色合いを濃く反映した結果の落としどころとして、それらの影響をきちんと読みます。個人として読み解くなら天王星は冴えた智恵や直感やアナーキー資質、海王星は理想やうっかりしがちなところ、冥王星は胆力や底力。
 月はどうかというと、不規則か職場での拘束時間が長い、あるいは在宅ワークや自宅が店舗になっている、店舗と自宅が隣接している、ひっきりなしに仕事の電話や連絡がある、という場合なら考慮します。ただし、これに当てはまらない場合でも土サインの月であれば、人生が仕事至上主義になる可能性がありますので、加味して読み解きます。
 さらにはプログレスやトランジットも関与して、これらが複雑に絡まり合うので、仕事ひとつを読み解くとしても、膨大な情報をさばく必要があるわけです。

 では、パーソナルの判別はどうしましょう。
 いわゆる「性格とか運気の流れを占星術で読んで欲しい」のような要望があったとします。
 ここでも基本的には太陽と月は読み込みますが、ただ一様に単純にはいきません。前述した通り、ホロスコープのどこから読めば最短の回答が得られるか、というのは、本当に難しいからです。仕事やパートナーなど、きちんと命題が決まっているならともかく、そうでなければ難しい。でもとりあえず太陽と月から読むのか、それとも違う地点から解いていくのか。
 しかし基本的には太陽と月を重視して読むと思います。アセンダントは本当に出生時間が不明である場合、使い物になりません。
 いずれにせよ、太陽と月で読み始めても、質問者が太陽意識で生きているか、あるいは月意識で生きているか、という見極めが大切です。
日常のあれこれ、または感情あるいは精神が深刻なら、はじめに月を読みます。家庭や心のありようは月のコンディションを読まなければ話になりません。ジオセントリックホロスコープにおける月は人間が認識している以上に重要で、無意識のうちになにかをしている、というのは月の状態が関与しています。サインはどうか、どの惑星と、どのような種類のアスペクトがあるか、どこのハウスにあるのか。このあたりはしっかり読みましょう。

 その一方で、生きている意味がわからない、どう生きようか迷っている、私はなにをすればいいんでしょう。こういった曖昧で大きな質問は太陽で読みます。太陽はそのままその人の生きざま、生きる指針であり、意志と意義です。ここで問題になるのは2つです。

 ひとつめは、もし質問者に「私はこうしたい」という明確かつ自覚した意志があるなら、太陽以外の惑星とハウスも同時に引っ張ってきます。一例として、芸術関係なら金星と海王星、それから表現技術や習得能力としての水星を読まねばなりません。こうすれば太陽のありようがつぶさにわかるはずです。

 ふたつめは、「ただただ人生が面白くない」という場合です。これは月の状態も読まねばなりません。生きているつもりでいても感情の影がおおいに関与しているからです。面白いというのは基本的に金星ですが、この「人生が面白くない」という問題にはいろんな要素が詰まっていて、当事者本人が解体するにはかなり難しく、「なぜ面白くないと感じるのか?」という私の質問に簡潔明瞭に答えられた方は、実のところわずかしかいらっしゃいません。
 答えたからすごいとか偉いとか、答えられないからダメだとか、そういう問題ではありません。どちらの意識が強いかの自覚が大切なだけです。答えられない状態であるのはなぜかというと、太陽意識を取りこぼしているためで、ここで太陽を解読したところでピンとこないのは明白です。本来はこのような太陽の姿で生きたかったのかもしれないけれど、みたいな感じです。
 しかしなぜ太陽意識を自らの手に落とせなかったのか、というところまで読むには、月の要素が必要です。月は太陽意識に辿り着く前の関門であり、ここで踏み止まると刹那的です。めまぐるしく動く日常の波に飲まれるしかなかったためで、「もっと違うことをしてみたら」という提案さえ受け付けてもらえません。誰かの夢や願望、または常識といわれる一般通念的なものの考え方が根底にあるので、ひとりきりではどうしたら良いのかがわからないという事態にもなりかねず、こうなると太陽意識がどうだこうだ、という話にまで持っていきようがないのです。誰かがいるから私がいて、それが私を形作っている、というのは、典型的な月意識です。

 太陽がなければ月は輝きません。これを人間に落とし込むと、他者がいてはじめて私が輝く、ということになります。太陽の光は毎日あまり変わらないけれど、月が日ごと形を変えていくのは、単に「誰かの太陽意識をどう受け止めるかの変化」というたとえになるでしょう。そもそも三日月などで輝いている月は丸く見えませんが、しかしよくつぶさに見ると『そこにないはずの月』が見えてきます。これは地球照という現象です。太陽の光を受け止めない月面の輝きは目立ちますが、一方で月の掛けた部分も暗く照らされているのです。この一例をもってでも、月が直接的に太陽から光を受ける一方で、太陽に照らされた地球から間接的に光を受けるという、きわめて象徴的な存在であるとわかります。
 なんらかの存在があってこそ月は輝くのです。

 ここから視点を広げていくと、地球から眺めたホロスコープであるジオセントリックチャートを読み込む場合、ネイタルのどこに太陽と月があろうともその瞬間のトランジット図は誰もがみな同じなので、ネイタル太陽でも受け皿としての考察は可能です。いまの段階で魚座は大変そうだなとか、蠍座はいいんじゃないのとか、とにかく細やかな個人的作用を具体的に考慮せず、つまりそれぞれの大変さには細部にわたるまで具体的に言及できないけれども、ある程度なら追い風か向かい風かくらいはわかります。
 しかしもっと細やかな読解が必要なら、さらに深く掘り下げねばなりません。

 また、月はひたすら繰り返します。たとえば一日に三食の食事を作る際、毎日ずっと三食同じメニューを作っているわけではなく、いろんな献立を考えて食卓に並べますが、この「それぞれ違うメニューを作っている」という意識と「365日にわたり食事を作り続けている」という意識は、似ているようで違うのです。ひたすら繰り返す月が365日の調理であり、違うメニューを考えるのは金星それから水星です。ただし同じレシピを数日ごと、あるいは感覚に基づきざっくりとでも、ローテーションで作り続けるなら月になります。「金曜日はカレー」と決めて守るなら月なのです。つまり考えなくとも、無意識のうちに手が動くのは月です。
 一方で太陽は繰り返しません。明確な意識のもと目指す方向を察知あるいは自覚し、こうあるべきという指針を持ちます。さきの例に並列しますが、メニューを決める際に「今日は野菜をあまり摂っていないからたくさんの野菜が摂れるメニューにしよう」と考えるのは太陽の意識です。自動化されていないばかりか、きちんと問題を意識し行動に移す。ここに繰り返すという言葉を当てはめるなら、『毎日食事を作る』というのは月であり、『栄養状態を鑑みたうえでメニューを決める』のは太陽、ということになります。

 これを混同してしまうと、パーソナルな占星術では思わぬ結果を導きかねません。蟹座は家庭あるいは手の届く範囲での共同体を意味しますが、たとえば太陽蟹座に「料理はお好きですよね」と言ってもピンとこない、というのは、このためです。もし栄養士や料理人であれば、栄養学や調理は仕事としての意識がありますから、無縁ではないけれども、というだけの話になります。基本的に太陽蟹座でも料理はそれほど好きじゃない、という御方もたくさんいらっしゃいます。同じように月蟹座に「料理はお好きですよね」と言ってもピンとこないなら、あまりにも調理が日常であり、やらせてみたらすごく上手とか、好きとか嫌いとか以上に日常的に料理をしているので無意識、ということになります。

 こうなると基本的に好きか嫌いかは金星ですから、よく言われるところの「蟹座は家庭的」という概念は、太陽星座ばかりで判断するのは違うのではないか、というところにまで行きつきます。ジオセントリックでは太陽と金星は近くにいますので、たまたま金星も太陽と一緒に蟹座であったり、なんらかの他の天体が乙女座あるいは山羊座にあったりすれば、家族のために料理を頑張っています、という返答が得られるかもしれません。ただし乙女座であれば身体に基づく栄養学、あるいは家族への奉仕という観点からが大きいですし、山羊座であれば生活のルーティン化、または社会における極めて最小の単位としての家庭の構築、という観点からになるでしょう。

 太陽は男性天体で、月は女性天体と言われます。しかし現代社会においては、この思想はあまり好ましくないと思います。誰もが太陽を持ち、誰もが月を持っていて、ある瞬間は太陽が突っ走るけれど、違う場面では月が顔を出す、というのは、現代においてよくあります。太陽は太陽として公的な個人を発揮し、月は私的な部分を受け持っています。公私が混同していた時代、男性は太陽として生き、女性は月として生きていました。しかし現代において違和感があるのは、皆さまも思い当たる節があるでしょう。
 むしろ女性が太陽意識を持つか持たないか、あるいは男性が月意識を自覚するかどうか、という命題として、ざっくりと捉えた方がわかりやすいと思います。

 月は大丈夫です、基本的にひとりでいても、なんとなく居心地が良く落ち着く方を無意識のうちに選べます。月のメリットは「あまり考えずに動ける」点です。
 たとえば月山羊座は自他ともに時間に厳しいのですが、もう遅れちゃうなと思う場面でも遅刻する可能性が低いです。なんだかんだで最低限の時間に間に合ってしまいます。たとえ本人はあまり気を付けていなくとも、または本人が内心「ああ、間に合わない、どうしよう」と慌てていたとしても、他の人から見れば「じゅうぶん間に合うでしょ」と思われています。そして実際に間に合ってしまうのですが、月山羊座の焦燥感など周囲には気付かれませんし、月山羊座もなぜ間に合ったのかがわかりません。月山羊座は遅刻しない状況や、結果的に余裕で間に合う状態が心地よいので、無意識のうちに準備は早く済ませるし、見込み時間よりも早く出発しがちです。もっとゆっくりしていたらいいのに、という周囲の言葉など月山羊座には響きません。しかしそのため月山羊座は「真面目でしっかりしているよね」という信頼を、本人が意図していないところで得やすいのです。

 しかし太陽はそうはいきません。意識していないとまったくわからないからです。
 ただし例外として、たとえば太陽星座がノーアスペクトで、月のアスペクトが豊富なら、月の働きを太陽が受け止めるので、それがすべてという生き方になります。月は受ける天体ですが、この場合は自分のパッションを太陽ではなく、月から補充します。まわりの人の意見を自分のものとして、無意識のうちにトレースして行動します。つまり周囲の要望を自身の望みと感じ、あまりストレスを感じずに済みます。もし月にハードアスペクトが多いなら思わぬ提案があっても、あまり気乗りしないながらもやっていくのが自然です。ソフトアスペクトが多いならやりたいことと周囲の意見が合致しやすいので、さらにストレスは軽いでしょう。

 このように太陽のアスペクトがない、あるいは少ない場合は、月を太陽と見做す生き方をします。この人が「やりたいから」と言っていても、実際そうではないかもしれません。無意識のうちに誰かからの影響や意見を受け入れ、自分のなかで自意識と認識して生きているので、本人にとってそれは太陽だと感じる、あるいは考えるのです。
 これが良いのか悪いのかは一概に言えず、それで満足しているならまったく問題はありませんし、誰かが無理に月から剥がそうとすると抗いますので、他人から意見されてもこの人にとっては、ありがた迷惑で余計なお世話になるでしょう。月は基本的に居心地が良いものだからです。たとえハードアスペクトで、イヤで嫌いでマイナスの感情しかなくとも、イヤなことを考えているのが自然であり、限りなく繰り返します。繰り返しているうちは居心地が良い、つまり自分そのものであると感じ取り意識付けしていて、それがなくては自分ではない気がして仕方がないのです。もし月が固定宮なら、なおさら変えようとしないでしょう。しかし変えようが変えまいが良くも悪くもなく、その人の意識の持っていき方ひとつになります。そもそも月は無意識です。無意識のうちに逃れられない状態を作っているのは月なのです。もし抗いたいなら月を大きくして、下降させるなり上昇させるなりして、すっぽりといままでの月を覆う方が良いと思います。それを足掛かりにして、もっと大きな月を手に入れ、基盤にすれば良いのです。すこぶる乱暴な言い方をするなら、いっそのこと全部を忘れてしまうくらいが良くて、それこそが太陽意識に通じるきっかけに成り得ます。
 ただし忘れるだけで「失くす」わけではありません。そして強制的に月を手放せと言っているわけではありません。無意識の自覚はとくに痛みを伴う場合が多いのですが、この居心地の良さと慣れの問題が大きいだけなので、なんらかのきっかけで意識化できれば鬼に金棒になるでしょう。月は感情です。感情は人間にとってどれだけ大切なものなのか誰もが感じていると思います。

 では改めて、太陽星座を意識し、その手に落としたいならどうすれば良いのでしょうか。
 太陽は創造性からもたらされるパッションです。ああしたい、こうしたいという、個人としての目的意識です。
 そして私たちが生きる地球の公転軌道の中心に存在しながら、地球以外の惑星を引き連れて輝いていて、太陽があるからこそ惑星の維持が可能になっています。
 つまり軸であり中央、中心です。
 あえて誤解を招く表現をするなら、月に選択権はありません。月に選択権があると思い違いを起こしやすいのは、与えられた選択肢だけから選り好みをするだけでにもかかわらず、自分から選んだ、と言えるからです。しかし、これでは他人がいて自分がいる、という関係性のなか、あるいは自分と環境の摺り合わせで発生した選択肢にすぎません。見えない選択肢は見えないため意識化できず、そこにすべての選択肢があると感じるのです。
 その一方、太陽はなんでもありです。こうしたいという意識がハッキリとあるなら、どんな人と一緒でも、どんな環境にいてでも、まったく新しい選択肢を見つけ出してしまうでしょう。太陽は自身から生まれた限りなく際限のない選択肢が存在しますので、まったく新しい概念さえ気付き自分のものにしようとします。いままでの流れなどまったく関与しないところで、「ああ、こっちだわ」と、いとも簡単に選べるのです。選びたい放題のなか、なにかを手にとり自らで決断そして実行できるばかりか、やりたいように、やりたいだけできます。

 この太陽と月の違いを認識できれば、太陽の在り方がわかると思います。
 太陽が右と言えば他の惑星は右になるし、下と言えば下となるのです。しかし月は惑星ではなく地球の衛星ですから、まず地球が太陽にyesとならなければ、月もyesと言えません。
 つまり、ワンクッション置く、くらいのニュアンスです。そもそも月は地球の周りを回りながらも、その地球は太陽の周りを回っています。月に太陽の光は当たれども、まず月は地球が軸なので、それがすべてと思っても不思議ではありません。しかし視点を変えてみれば、月は地球そのものが太陽の周りを回っているんだな、という仕組みに気付くでしょう。
 
 では太陽意識の指針をどう自覚するか、というところで、ジオセントリックでネイタルホロスコープのサイン、ハウス、アスペクトを考慮します。それからプログレスやトランジットの影響を読みます。
 たとえばネイタル太陽サインが蠍座で3ハウス、アスペクトは木星とスクエアとします。
 蠍座は徹底した自我意識と底力があります。3ハウスですから知性とコミュニケーション、それから神経が細やかになり、人の機微を見抜きます。木星とスクエアなら、良い意味では目立つムードがありポジティブで、なんとかなるでしょ、という根拠のない自信や見通しを立て、実際その通りになりやすいでしょう。ただしスクエアなため、ほどほどがありません。過剰とやりすぎの配置でもあり、まったくブレーキの利かない車のようなもので、エキセントリックに走り回ります。
 ここで太陽意識を持つとしましょう。たとえばもし会社人として仕事を一生懸命やりたいと思うなら、徹底して働く人です。ひとつの企業に深入りし、つまり長期間にわたり雇用され、3ハウスですからどこかの企業との連携が容易で、営業であれば担当先が数多く、しかも綿密な連携で一蓮托生かと思えるくらいの親密さがあり、相手先からは「この会社にはこの人に相談すれば大丈夫」という地位まで昇り詰める可能性があります。もし内務で事務に当たるなら業務に精通し、細部にわたり生き字引みたいな人になるでしょう。この場合、他に土星が華やかならば、さらにプラスになります。
 しかし、一方で蠍座ですから、ほどほどでいいやと思うなら、本当にほどほどになります。3ハウスですので誰かと一緒にランチなりお茶なりして過ごせれば満足です。ひとりで過ごすなら知的作業、たとえば知的なゲームに没頭する、あるいはSNSなりで自分を発信すれば満足、という感じですが、木星がスクエアなので拡大一方です。いわばハマりやすかったりバズりやすかったりで、いったんバズったらそれ以降もバズらないと満足できない、という感じになりやすいです。SNSでなければ書店や図書館に通い詰め、または電子書籍で大量にダウンロードする、という可能性もあります。
 もし芸術方面に生きたいのなら、蠍座の3ハウスらしく生死を鮮やかに映し出す小説や映画、あるいは人の心情の奥深い記憶に残る絵画や音楽を生み出そうとするでしょう。マニアックなファンがつくタイプです。もし水星と金星に海王星のアスペクトがあるなら助けになり、容易にもなります。

 さらに、プログレスやトランジットの影響が色濃く反映されている場合、これはネイタル天体にタイトなアスペクトがあるか、またはプログレスあるいはトランジット天体がサインやハウスを移動したかなど、驚くほど多様な天体が折り重なりトリガーとなるでしょう。うまくネイタルの弱いところを補完してくれたとか、思わぬ形でクローズアップされているとか、それらの理由は様々です。もちろんどういうトリガーなのかは、それぞれの天体のサインやアスペクト、それからハウスを考慮します。

 このように、ひとつひとつご自分のホロスコープの太陽を読み解いていくと、実際のところ、どのようにでも自分は生きられるのではないか、という気付きがあるはずです。そしてそれこそが、太陽意識の選択肢の現れなのです。
 才能や適正などは関係ありません。自分がどう生きたいか、どうしたいのか。それ一点のみで太陽意識は走り出します。まわりなんか知ったこっちゃないわ私がやりたいんだし、くらいの感じが太陽です。たとえ周囲に企業人が多く、堅実な生き方をしているとしても、それでは自分が満足できないと感じて異なる方向へ走り出せるなら、それは太陽意識になります。結果として後々「企業人の方がいいな」と思い直して就職しても、そうしたくてそうしたなら太陽意識です。
 ただし、ここで問題になるのは、周囲への反発心ひとつで異なる道に進もうとしたなら、それは月意識です。これはまわりの状況を単にトレースし反面教師にしただけなので、自分がどう生きたいのか、という選択肢にはなっていません。自身の本来性の問題です。「あの人のようにはなりたくない」という意識が選択肢を狭めてしまっているからです。むしろ「ああいう生き方もいいけれど、私はこうしたい」くらいの感じであれば太陽意識です。

 ここまで太陽意識と月意識の違いについて書き連ねてきましたが、とくに太陽意識がいいとか、月意識だからダメだとか、そういった話ではありません。もちろん太陽が難しくて月が幸福とか、そういった話でもありません。
 すべての天体はあなたのホロスコープのなかに存在します。
 
 しかし明確に違うのは、繰り返しますが、太陽は恒星であり、月は地球の衛星なのです。地球は惑星であり、水星金星火星木星などと同列です。しかし月は地上から見える星なのにもかかわらず、地球という惑星を公転する衛星です。そもそもの意義が違います。
 それでも太陽と月の見かけの大きさは同じなので、地球に住まう私たちにとって、太陽と月は同じくらいの重要度であると思うのは当然のことです。そして月はなおさら、地球から見ればいちばん近い天体であり、さらには地球の衛星なので、地球だけのためにあります、という感じになります。
太陽のまわりを地球が回っていて、その地球のまわりを月が回っている関係になりますが、この働きの違いは認識している以上に深いのです。
 しかし見かけだけで考えれば、地球に生きている以上、太陽意識と月意識は同じくらい大切なようだ、ということになります。太陽と月はすごく目立つので、極端な表現をすれば、太陽と月さえ認識できればある程度のところまで歩いて行ける、と言ってもいいのではないかと思ってしまいます。
 しかし目に見える星はそればかりではありません。夜空を見上げれば、金星や木星は恐ろしいくらい際立って光り、火星は赤く輝きます。名も知らぬ恒星であっても、それから恒星と見分けのつかない太陽系惑星であっても、きちんとここにいる、と言わんばかりに瞬きます。
 つまり空を見上げただけでも、太陽や月以外にも惑星意識や恒星意識が存在している、と認識できるのです。
 大きさという意味では、小さく見えるから効力が小さい、というわけではありません。小さく見える星は遠いから小さく見えるだけであり、太陽系惑星あるいは恒星が、それぞれに私たちへ降り注いでいます。たとえ見えなくとも、効力を実感できなくとも、ちゃんと存在しています。
 たとえば雲が覆えば天上の天体など見えません。しかしその雲を超えたところで太陽や月や恒星たちが輝いている事実は、自明の理として認識できます。
 なんらかの見えないものを占いで見ようとするなら、この超えた先の向こうまで可視化し認識し、インプットとアウトプットをする。目に見えない力がどう働いているのか、今後どう働いていくのか、そして私はいったい誰なのか。
 
 私は、占星術に明るくなくとも人生にはまったく問題がないとも思っています。ことなかれ主義と叱咤されればそれまでです。それでも、ああそうだよね、という落としどころを探したいなら、占星術はおおいに参考になるでしょう。もっと自分の人生を欲張るために可能性を知る、さらには混沌とした目に見えないものを意識化する、という意味での、きわめて抽象的かつ建設的な有効性があると感じています。
 
 そして私は、それこそが占星術の胆だと考えています。
 
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 さて、今回はうっかり太陽と月の話だけで長くなってしまいました。
 もっと水星とか金星とか火星とか書こうと思いましたが、まったくもって長すぎるので、とりあえずここまでにします。
 

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