西洋占星術における天体④ 火星 惑星における知性とはなにか
火星はマレフィック天体と言われます。しかし事故などのアクシデント、スピード感、年若い男性など、多岐にわたる意味を持ちますので、凶星と言われているんだな、という象徴的な意識のもと、具体的に読める星です。
ただし、それだけでいいのでしょうか。
そもそも火星は本当にマレフィックなのでしょうか。
火星は『火』という漢字が用いられているところから見ても、火の性質が色濃く反映されています。当たり前ですが火は燃えます。しかし一定のポイントで留まりません。ロウソク一本で考えてみても、ゆらゆら動いたり点いたり消えたりと、ビシッと決まる状態ではありません。もちろん火星という惑星は燃えていませんので、あくまでも象徴的なものなのですが、この移ろいやすさは根底にあります。この赤い惑星は私たちの目に見えてしまうので、あちこち動いたかと思えばジッと留まる、という不規則さが目立つという特徴も、あからさまに作用していると思います。
ここで、太陽から遠い天体はより近い天体に影響を及ぼす、というルールを考えてみましょう。
たとえば金星と冥王星がアスペクトをする場合、金星が冥王星に対して影響を及ぼすわけではなく、冥王星が金星に対して影響を及ぼします。
地球に近い天体ほど、私たちの手に届きそうなところまで降りてきます。トランスサタニアンまたは土星がマレフィックだと言われてしまうのは、「よくわかんないけど自分ひとりではどうにもできない状況」を作り出してしまうからです。とくにトランジットに関しては、おもに社会情勢、あるいは自分よりも強い人間などが原因になり、これらは基本的には自分ではない、なんらかの変えがたい事実あるいは対峙するものたちです。
とくに土星を除いたトランスサタニアンに関しては、基本的に無視というか意識を表層化しなくとも問題ない、と言ってしまうと言いすぎなのですが、繰り返される日常生活を良いものとするならば、かえってない方がいい、くらいの感じになる場合があります。
つまり基本的には余剰なのです。
しかし、それに引き換え水星や金星、それに月は、きわめて人間に対して身近な存在です。そして火星も地球に近いので、かなりパーソナル的な働きをします。
火星は太陽から見れば地球の外側にあり、地球は金星と火星に挟まれています。一方、地球のお隣の金星は、火星との並列であると言ってもよく、地球を挟みながら、ああだこうだと影響を及ぼし合っている場合があるのです。
ホロスコープを読むうちに、なぜか火星が丸い、つまり穏やかだなと感じるとき、木星や海王星の影響がなくとも、金星がソフトアスペクトをとっている、などの理由で火星の角が取れる、みたいなパターンがあります。それでも単に並列というだけであり、同等の力関係ではありませんし、やはり火星の方から金星へ、という流れの方が自然です。金星の受け止める力が強いので火星の角が取れました、くらいの感じでも良いでしょう。
蛇足ですが月は影響を受けるばかりで自らは影響力を及ぼしません。月が影響を与えるのは地球または人間に対してだけです。また水星は影響を及ぼすというより、彩を加えるくらいの程度で着火点になる場合があります。
また、その先にある木星は混同しません。なぜかといえば、木星の内側にある小天体群があるためです。いわば小天体ベルトは目に見えて一線を画す境界線のようなものなので、水星と木星は、金星と火星のように並列では語られず、水星でのみ語られる特殊性が存在します。そして一般的に西洋占星術で用いられる四大小惑星のセレス、ジュノー、パラス、ベスタをすべて合わせてみても、水星ひとつの力とは対峙できません。それぞれが分かれているばかりではなく、他の意義さえもそれ以外の数多の小惑星にちりばめられているからです。これがマレフィックでもベネフィックでもない水星の特殊性の現れです。
話を戻しますが、つまり火星は混同しやすいのです。日常的な自分ではないと言い切ってしまうのは乱暴すぎる。太陽ほど壮大な目的意識があるわけでもないし、でも妙に力が湧いてくる。
社会性や情勢を意味する木星までは達していないにもかかわらず、地球の外側にあるたったひとつの天体ですから、火星にも特殊性が存在する、といっても間違いないでしょう。
ではそれは、いったいどんな特殊性なのでしょうか。
同じ『火』っぽい天体の代表格、太陽と比べてみましょう。
太陽はパッションです。人生のテーマを意味するといっても過言ではないこの天体は、太陽系の中心にあり太陽系唯一の恒星です、さらに太陽系の惑星ばかりではなく、ありとあらゆるものを引き付ける引力を有しています。
パッションとは、命が煮える、くらいのニュアンスで良いでしょう。燃えるのではなく煮えます。いつでも同じ温度です。
太陽とは指針、生きゆくうえでの目標です。
もしあなたに「これをしなくては始まらない、生きている心地がしない、だから私はこうしたい、こうします」くらいの意志があるのなら、それは太陽からもたらされているものなのかもしれません。
ジオセントリックホロスコープでは、太陽は地球を空へと投影したものです。つまり、あなたが大地から打ち込む現実的で具体的な意志が、太陽の姿を借りて現れているので、この地球に足を降ろしている限り、それは永続的になります。
一方の火星はムーブメント、またはアクションです。
水星や金星という、太陽系の内側を回る惑星に関しては、自らのなかで消化可能な性質を持ちます。どこにも発表しなくとも勉強したり、好きなことに打ち込んだりして、満足できるものたちです。しかし火星は地球の外側にあり、小惑星群や木星側の天体なのです。そのため自らのなかで消化できず、つい外界へと打ち出ようとします。
この「つい外側へ打ち出ようと」する性質が、火星のムーブメントでありアクションです。太陽が命を煮るなら、火星は命が燃えます。一瞬で火が点いてしまうのです。
たとえば好きなアーティストのライブがあると仮定しましょう。
行きたいと思うのが金星です。スマホやパソコンの画面をみながら「いいなあ」と感じている状態です。ここで止まったら自分だけで消化できますから、外界へは働きかけません。
しかし、いても立ってもいられなくなり、チケットを取って行こう、とするのが火星です。とにかくチケットを抑えに奔走し、実際に入金し、遠征なら何泊かのホテルを取る。
これら火星の行為は、すべて外界に対してアクションを起こしているのが、おわかりになるかと思います。
そしてその日が来たら、「行くぞ」という意志のもと出かけます。これが太陽です。
もうひとつ忘れてならないのは、火星はその状況に止まらない、という点です。
これは事故や事件など、ちょっと物騒な要素を含んでいます。
すべて、突発的になにかがある、という意味です。
そもそもムーブメントやアクションという言葉には「動く」という本質性があり、いまの状況に留まれません。当たり前の状況が変化するのですから、それはストレスの種になりかねないのです。
たとえば、いつも使っているヘッドフォンを失くしてしまった。パソコンが壊れてしまった。照明が点かなくなった。これらは状況の変化の現れです。アクシデントとは、予想や想定と違うものが発生することなので、ちょっと気持ちがついていかない、あるいは乱される可能性が高いでしょう。
これが「火星はマレフィック」と言われてしまう本来的な要因です。
ただし火星にも永続性が宿る場合があります。もし火星が土星あるいは海王星、または冥王星とアスペクトがあった場合、火星の刹那的な働きは長期にわたります。
土星なら変化が当然の世界に生きます。一刻の猶予もなく次から次へと思わぬ変化が起こり続け、ある時期から悟りを開いたかのように火星を手なずけてしまいます。いわば変化に慣れてしまうので、ちょっとやそっとの問題では慌てませんし動じません。土星は安定や責任の星です。年齢を重ねるにつれ、変化を恒常化させ安定させてしまい、トラブルやアクシデントをものともしない強さを身に着けます。ただしそれは表面上にとどまっている可能性があり、内面は非常にストレスを感じている場合もありますが、いずれにせよ火星と土星のアスペクトがない人々に比べれば、かなりの耐久性に恵まれているでしょう。
海王星なら目に見えない変化を常に感じています。とても繊細な感受性があり、強さというよりもしたたか、かつしなやかな認識力と行動力となって現れます。いってしまえば、どうとでも変化できる強さです。たとえば海洋深層水のように、まったく見えないところに存在し、絶えず動いている、みたいなイメージです。表面上の海水とは別に、とりわけ奥深く沈み込んだ深層水で、千年単位で地球のすべて海を移動するのですが、あまりにも恒常的かつ深すぎるため目につきません。しかし実際には多大な影響を与えているものです。生き方の根底に確固としたなにかがある、あるいは無意識のうちに身に着けているものがあり、これらは懐の深さや底抜けの楽観主義となって現れてくるでしょう。もしマイナスに働けば現実主義とはかけ離れてしまうのですが、それでも芸術や宗教などの分野では精神性の豊かさが発揮され、飛び抜けた存在感を身にまとう可能性があります。そして相当な欲張りです。現状になかなか満足できないからです。
冥王星であれば人外的なタフさに恵まれます。冥王星は平穏な日常生活ではなかなか見えてこないのですが、ここぞという瞬間に殻を破り、徹底的に動きます。もうダメだ、というギリギリのところで一気に自らの手で運命めいたものを動かしていくので、その状態になるまでは眠ったまま、というところです。しかしネイタルに限り、この火星冥王星のアスペクトがあるのなら、いつでもコンセントにケーブルで繋がれているスマホ、みたいな感じになります。つまりバッテリーが枯渇しないので、どんなに恐ろしい状況であったとしても、その気があればあらゆる意味で生き延びます。もしネイタルになくとも、プログレスやトランジットで火星が冥王星に繋がり、あなたの意志で冥王星の影響を受けようとするなら、いつでもそのバッテリーは満タンの状態となり、たとえいったん減速しても華々しく再生するでしょう。ただしそれには命をかけたギリギリの状態を経験する必要があるので、どちらが良いのかは断言できません。あなたのまわりに疲れを知らない人、疲れていても平気な人、疲れていても恐ろしいくらいの早さで回復する人、疲れていた方がかえって好調な人がいるなら、その人は火星冥王星のアスペクトを持っているかもしれません。また、選択肢はつねにひとつしかなく、複数あるなかから迷いつつ選び取れるわけでもないので、運命的な力が働いた、みたいな感覚が多い人生になります。
では、変化はそれほど悪いものなのでしょうか。
そもそもトランジット天体は、絶え間なくずっと動いています。だから変化は当然であり必然でもあるのに、なぜ火星がトラブルの代表格的な星と言われてしまうのでしょうか。
それはもちろん、地球に近い惑星だからです。
実際のところはどうであれ、「ちゃんとやっていたら防げていたかもしれない」という可能性があるものだからです。
事故であれば不注意、もらい事故であっても違うタイミングで異なる道を通っていたら、突然の出費なら前もっての準備を、対人関係のトラブルや口論では前段階の会話や付き合い方など、思い当たる節が次々と出てくるかもしれません。本当に気を付けていたら防げていたかどうかは二の次にしても、もし自らの手の届く範囲で、もっと違う現状になり得たと思うのであれば、これらは火星の範疇に存在しています。もうどうしようもない、自分では防ぎきれなかった変化であるなら、火星ではなく、たとえば天王星や冥王星などが関与している場合がほとんどです。これらは言うまでもなくネイタル・プログレス・トランジットのいずれも有効です。
これに付け加えるなら、基本的に変化というものは一過性のものです。そもそも変化は「いまの状態から動く」という意味なので、変化した先で落ち着くあるいは認識したら、またすぐに変化が起こり、さらに違う状況になるでしょう。
たとえば、ひどい雨の日に傘を持って出かけたものの、傘を途中で紛失してしまったとします。とりあえず安価な傘を買い求め急場をしのいだとしても、購入した傘が気に入らないなら、さらに好みの傘を買い直すしかない。これが火星の変化の一端です。
もしこれらの経験をしたら、以前には戻れないという実感が湧くはずです。新しい傘を手に入れる、あるいはいまの気分の傘を見つけ出すまで、心身ともに忙しい思いをするでしょう。
これが火星の「一時的な活性化」という言葉につながります。
刹那的な、つまり永続性のない気分のアップダウンです。あなたが乗り気かどうか、または面白いかどうかはまったく関係ありません。とにかく違う方を選ぶ、または現状を変えていくムーブメントが起こるのです。
これらがすべて悪いわけではありません。
もし紛失した傘が古く飽きていたなら、買い替える良いきっかけになっているからです。ただし失くした傘を気に入っていたとか余計な出費として認識したなら、この出来事は「不幸」と言わざるを得ないでしょう。
ただし、とらえ方ひとつで火星の意味合いが違ってくるかというと、実際のところそうではない、という問題があります。なぜなら集合的あるいは社会的な働きかけを行うためです。
傘にしても、本当に自分の好みかどうかだけで判断するなら金星の管轄になるので、好きなものを買えばいいだけです。しかし勤め先に持っていくとか、わずかにでも周囲に良いイメージを持たれるものを選びたいと思うのであれば、それは火星の意志になるでしょう。
火星の意志という話をしましたので、もうひとつ、惑星にとっての知性という根源的な概念があります。
とても個人的な話になるのですが、私は勉強を始めてすぐ、この知性という言葉の意味に悩みました。とくにタロットやカバラ体系にて翻訳されている書物に多発していた記憶がありますが、とにかくよくこの「知性」という単語が出てくるのです。あきらかに知性という言葉ひとつがそれぞれまったく違うものを指している、と、いまの私だったらわかるのですが、その当時はかなりの混乱を来しました。
結論から申し上げますと、水星の知性、金星の知性、太陽の知性、火星の知性。それから木星以遠の惑星の知性。神の存在たる知性、人間の知性、生きとし生けるものの知性。死の世界の知性。ぶっちゃけてしまえばすべてに知性があり、それらはすべて働きが違います。
では、いったい知性ってなんでしょう。
火星の記事ですから、ざっくりと火星の知性について記します。
その前段階として思い出していただきたいのが、アダムとイブに関するお話です。
知恵の樹に実る果物を食べ、それにより楽園を追い出されたというものです。
知恵の樹の果実は神が作り出したものであり、それを身体のなかに入れると永遠の命は失われ、知性(物語によると羞恥心をはじめとする)を手に入れます。
ここでの細部にわたる諸説はまるっと忘れつつ、とにかく知恵の実から知性が発生する、というポイントだけ抑えてください。
知恵の実は神が作ったエッセンスのようなものです。果実とは象徴的に成果、または次に命を繋ぐものたちです。ここに神の英知が詰まっていて、これを食べたアダムとイブは知性を身に着けます。
さらっと言ってしまえば、アダムとイブから見れば高次元の知恵が存在し、これを取得するとアダムとイブにとっての知性になる、ということです。
つまり、知恵と知性は別物です。
ある一定の存在からみて高次元からもたらされる知恵が、一定の存在に噛み砕かれて知性へと変化します。
これを繰り返し、行ったり来たりしながら考えていくと、いわゆる高次元の知恵というものは、高次元の存在にとっては単なる知性であり、低次元というか、未だそこまで到達していないものにとっては、高次元の知性が知恵に見える、という話になります。
これらが上から下までずらっと並んでいます。もし神という存在があるなら、もっと高次の存在からの知性を受けている、という仮説も成り立ちますし、そう考えればいろんな書物での『知性』という言葉ひとつでも、それぞれのポイントでの意味合いが違ってくる、という結論が導かれます。
ここで人間という知的存在が発生したてのころを考えてみましょう。お腹が空いた人間は食べ物を調達する必要がありました。なにを食べたらいいのかわからない人間は一体どうしたでしょう。目の前にある動植物を片っ端から食べたかもしれません。
では、どうやってその食物が安全だと気付けたのでしょうか。
これはその前段階で、先人が「試しに食べてみた」という行動があったからに他なりません。そのあたりに生えていたキノコを食べたら死んだ、という経験により、ずっと「このキノコは食べたら死ぬ」という知識となり受け継がれ、知性をもって口にしなくなるでしょう。
このたとえ話で「あそこに実っている傘状の柔らかそうな植物を食べてみよう」と、とある人間に直感めいたなにかが降りてきた瞬間が、人類にとっての知恵になります。しかしその知恵をもたらす者がその食物によって死んでしまうと恩恵に変化し、他の人々にとっての知性となるのです。
知性とは、すべての段階で存在します。
たとえば、安全なキノコを美味しく食べたいからどうにかしよう、とするのは知恵です。試行錯誤の末に火であぶるといい、という結論が出た段階になれば、他の人々にとっての知性になります。
繰り返しますが火星はムーブメントあるいはアクションです。
生命の維持という大前提のもと、では生きていくためにはどうすればいいか、という段階になって、食物を搾取するためのアクションの必要性に気付きます。動植物すべてに命があると言うのであれば、この命を刈り取って口に入れなければなりません。
これを『本能』と換言しても良いでしょう。
本能という知性によって人間は植物を採り、動物を狩るのです。
つまり火星にとっての知性とは生存本能そのものであり、それは動植物という他者に働きかけて掴み取るものなのです。
ここで思い返していただきたいのは、火星には「攻撃性」という意味合いがある、ということなのですが、攻撃は最大の防御という言葉に則れば、納得していただけるかなと思います。
たとえばキュウリにはその身にトゲがあります。このトゲは他の生物に食べられないようにするための攻撃性であり、食べられない手段としての知恵が遺伝子レベルで組み込まれ、知性に変化した現れです。
人間における知性も火星レベルで考えてみると、生存するためのものであるので、やはり攻撃性という言葉には比重が高く、それは動植物に対して、ひいては自分と同じ人間に対しても発揮されます。しかし人間には生存本能ばかりではなく、他の知性も存在します。道徳、法律などの規約、快楽、言語や勉学など、あらゆる知性を備えています。そのため火星の攻撃性は、人間レベルでは薄まってくるというか、日常生活において刃を隠しているような状態をキープするでしょう。
ただし自分の存在を脅かす他者がいて、どうしても気になってしまうなら、そちらへ攻撃を与える可能性があります。火星を上手に使えるというか、手なずけたり消化できたりするならば、必要以上の攻撃性となって現れることはありません。社会性の名のもと、適度なところで手を打てるからです。
「あなたにも私にも火星的な知性がある」という意識を持てれば、火星のなかに存在する社会性が育ち、無意識のうちに発揮されます。社会性が育てば折り合いがつき、たとえば先ほどのキュウリでも、このくらいトゲがあれば他生物に食べられてもどのくらいの種を残せる、という知性となります。もともと鳥に食べてもらって種を遠くまで運んでもらう、という植物は、食べてもらえるための知性を備えている、ということになります。
蛇足ですが、基本的に知恵はそのまま知性となるわけではありません。受け手側の受ける状態により、知性に濃淡が生まれます。いわば一種の取捨選択があり、知恵をどこかに忘れてくるとか、ちょっと形が変わってしまうとか、知恵側から見れば「いやそうじゃないんだけど」ということもあり得ます。もちろんストレートに知恵が知性に変わる場合もあるのですが、いずれにせよこれは知性側から判断できる問題ではなく、なんとなく身に着けました、くらいのものです。
しつこくキュウリの話を持ち出しますが、「身を守る術を身に着ける」という知恵が降りてきても、べつにトゲじゃなくとも良かったわけです。すごく苦いとか耐えられないほどの猛毒があるとか、そういう形での生存本能でも良かったのです。しかしキュウリは、他の理由があるかもしれませんが、トゲという攻撃を選びました。もしかしたら知恵をもたらした高次の存在は、違った方法を伝授したのかもしれないと思うと、ちょっとキュウリが可愛く見えてきます。
またもっとスケールアップする話をするなら、地球にもムーブメントとアクションがあります。地球上で動くというと日常的に吹き付ける風や波などを思い出されるかもしれませんが、地中深くでもマグマが流れマントルも動きます。こう考えると地球も生存本能があるのかと、結論の見えない話題になってしまい、有意義な時間つぶしになるかもしれません。なぜオゾンホールは回復傾向にあるのか、みたいな話になります。フロンガス規制がうまく働いたのか、それとも別にも要因があるのか、それは実際のところ誰にもどうにも言い切れないからです。
私は火星をマレフィックという側面だけでは語れないと思っています。すべてが凶であるわけがないのは、たとえば金星や木星がすべて吉と言い切れるわけではないのと同義です。それぞれの働きがあり、それぞれの活かし方があるからです。
そのうえで木星が管轄する社会性への個人感覚の最後のあがき、という意味での特殊性に目を向けています。
さて、あなたの火星はどこにあるでしょう。どのサインでどんなアスペクトがあり、なにをもって生存本能を活かせるでしょうか。着火点というか、生きていく熱量や熱し方は人それぞれ違いますから、そのあたりも火星をもって読み解くと、とても面白いと思います。
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