タロット・人物カードをどう考えるか

 タロットの小アルカナでとりわけ異彩を放つのが、コート(宮廷)カードと呼ばれる人物カードだ。
 小アルカナは基本的に数の原理をもとに解釈できるが、人物カードには数字が記されていない。つまり各スートと絵柄から判断するというスタンスだが、それゆえ難しい側面が否めない。
 たとえばタロットを勉強するとき、果たしてスムーズにすっきりと解釈できるかというと、個人的な感触ではあるが、なかなか困難ではないのかと思う。
 少なくとも、人物を示すという解釈に沿って進めても、広げられたタロットは読めるだろう。誰かの影響があると解釈すればいいからだ。しかしそれで本当に悩まないかと言われれば、私はそうではないと思っている。

 人物カードはカバラの4つの世界、あるいは階層という説がある。キングがアツィルト界、クイーンがブリアー界、ナイトがイェツィラー界、ペイジがアッシャー界、という具合である。アツィルトは元型で、スートの領域創造、または流出であり、それをもとにクイーンは方向性を持たせながら大まかな形にする。男性性と女性性という、極端なほど簡潔な割り切りをすれば、男性と女性のつながりで創造されるものがある、という意味になるだろう。イェツィラーはクイーンの働きを受け具体的に形にしていき、アッシャー界で物質世界と接点を持ち、根付かせる。
 しかしここで考えなければならないのは、それらが意味を成したところで、占いの現場ではどう言えばいいのか。キングが出たからといって「なんらかの力が出ていますね」とか、ナイトが出てきたところで「ああ、いっぱい頑張っているんですね」と言えるだろうか。それらはまったく具体的な言葉ではなく、こちらの意図が質問者にはあまりにも届きにくい。

 たとえば占いでタロットを展開したとき、一枚だけソードのキングが混じっていたと仮定する。人物としてストレートに読むならソードのキングは知性あふれた年上の男性だ。割り切りと思い切りが良く、誰の意見も聞かない感じはするが、頭の中ではいろんな考えがあり、危機的状況にも強い。もしかしたら冷たいと思われているかもしれないが、実際のところ冷たく見えているだけに過ぎず、感情を超えたところでの実行や判断をする有能な人物だ。計算高く隙がない。かと思えば誰も思いつかないアイデアでまわりを引っ張る能力がある。
 さらに【仕事でうまくいかないのですが、どうすればいいですか】と目の前の質問者から投げかけられたと想定してみよう。
 
 現在の状況であるなら、上司や年上の男性からの影響が強い。
 過去、未来でも同様。
 否定的要素なら、そういう人物との縁が強く、なかなか逃れられない。憧れすぎているか、あるいは過信しているかのどちらか。
 質問者が気付かない状況の位置なら、その人が質問者へ言いたいことがあるか、助言しようとしている。
 質問者の本音の位置なら、その人が怖い、あるいはその人からの評価が気にかかる。
 最終結論であれば、その人から助けてもらえる、あるいは大きな影響を与えられる。

 という感じになるかと思うが、これですべてかというと、そうは言い切れないところがある。

 ソードのキングは知性そのものだ。ソードのエースは雲から伸びた手にソードがある。これは我々の目の前に急に現れるため、いきなり出現する事象だ。
 ではエースで握られたソードはいったいなんなのか。
 その答えはソードのキングが持っている。つまりその世界のソードの大きさや性質は、すべてこのキングがもたらしたものだ。ソードの意義の元型であり流出である。
 したがって、質問者がどこまでソードを理解しているか、あるいは具体的な実感を伴っているか、という地点から問題になる。たとえば10枚のタロットを展開したとして、ソードのカードがキング以外に出現していない場合なら、質問者にとってみればソードのキングは異質であり、まったく理解できない話になる。カップの出現が多いなら感情、ワンドが多いなら意志や元気さ、コインが多いなら実利や成果が主となり、質問者にとって、ソードのキングは耳の痛いことを言う人物になるだろう。まるで別世界に生きている人物だからだ。
 しかし展開したカードのなかでソードの割合が多いなら、ソードのキングはかなりわかる、というか役に立つ。質問者はなにを言われているか理解できるし、その人物に添っているという話になる。
 この分岐点は、たとえばソードのキングの他のカードに1枚だけソードが出現した場合、展開されたその場所にフォーカスするといいだろう。その地点ではソードのキングの親和性というか味方というか、そういう寄り添うポイントであるからだ。極端にソードが少なくとも、そこを取っ掛かりにしてキングの話がわかってくる、という意味になる。

 一概に人物カードの良し悪しがわからないのは、2枚あるいは3枚も出てくる場合があるからで、そうなると占いで見ている問題について、複数人の人物が絡んでいるという話になる。質問者が意識していないなら水面下での動きだ。もし問題に関わる人物がたくさんいる質問に対して展開されたカードに人物カードが1枚も出ていないなら、実際のところは質問者の受け取り方ひとつで、問題はあなた自身のなかにあります、ということになる。
 ここまで人物カードの基本的な読み解き方を記述してきたものの、実際のところそれだけではない。人物カードの謎は多岐にわたる。

 そもそもタロットを吉凶占断と捉えている占い師であれば、この人物カードに吉凶はあるのか、という点にぶつかる。結論を先に述べてしまえば、私は人物カードに吉凶はないと思っている。使い方次第、あるいは状況の飲み込み方次第だ。
 意に沿わないなら凶、意に沿うなら吉、という考え方もあるだろう。正位置であれば吉、逆位置であれば凶、と捉える向きもあるだろう。それはそれで良いと思うし一理ある。逆位置ならその人物が反対している、あるいは妨害する可能性がある、ということになるからだ。しかし質問者の投げかけたテーマが、そもそも違えていたならどうだろう。展開された他のカードによって匙加減は必要になり、そうなると吉凶だけで言い切れる場面など、実際のところ少ない。タロット占いにおいて断定すべきなのは、いまの質問者の状態あるいは状況であり、それらは意識ひとつで吉にも凶にも成り得る。

 人物カードの意味についてもそうだ。一概に人物カードを特定の人物と解釈するのは一方的すぎる。きちんと質問者の状況を表している場合もあるからだ。
 たとえばワンドなら元気、生命力。ソードなら知性や理性、コインならお金や土地、あるいは身体、カップなら感情。これらのスートに照らし合わせればわかってくる。キングのワンドなら気力の充実、クイーンならまわりから元気をもらう、ナイトなら外へ飛び出す元気、ペイジなら元気になるきっかけをもらう。などだ。

 そのうえで改めて考えると、この人物カードにおける意義というのは、なかなか解釈が多岐にわたり、ちょっと容易ではない。そこで個人的に用いている人物カードの捉え方というものを、やや具体的に書いていく。

 スートそれぞれのカードは10枚ずつある。そして人物カードは4枚だ。そこでこの数字カード10枚を、4枚に入れてしまう。

 キングは1、5、9。
    クイーンは2、6、10。
    ナイトは3、7。
    ペイジは4、8。

 これらの数字を見てみると、なにかにお気付きになると思う。
 キングあるいはナイトは奇数、クイーンあるいはペイジは偶数だ。
キングとナイトは4の世界で考えれば飛び出す性質がある。キングは世界を作り、ナイトはその手先となって実際に動かす。しかしクイーンはキングの性質を受け側であり、自分からは作り出さない。いわば熟成させる意味を持つ。より具体的に、より立体的に、そして細やかに分割させながら、クイーンはキングの性質を受け取り消化する。一方のペイジは私たちと同じく、地上にてその力を受け取る。ナイトはクイーンが分割し消化したその性質を、今度はさらに地上的なものへと進化させる。これは地上から見れば、すなわちペイジから見れば、目に届く範囲での働きだ。地上から星を眺めて奇跡を目の当たりにする如く、ペイジの上方にあるナイトの動きから、地上からは見えないクイーンの働きを察知する。
 ペイジは4、すなわち着地と流布である。キングはもうひとつ、作り出すばかりではなく、自らの力を行使する。それはクイーンが受けて立ち、今度は6の数字で呼び水となる。キングとクイーンの力の往来はナイトにも影響を与え、差を埋めようとする。この差はキングとクイーンと自らの差異ではない。1から2までの流れと、5から6への力の流れは、まったく違う。その違いをナイトは受け、埋めるべく進むのが7である。7は違いのなかを、高きから低きへ、あるいは右から左へ、良かれ悪しかれ結果的に流れ、差異を減らす要素を持つ。そしてその完成形を8の数字のペイジが受け取り、地上で確固たるものにする。
 また9は精神性の数字、ひとつの世界の終わりであり、原始と終結というものがキングに存在するのは疑うべくもない。それを受け、クイーンは10の数字において、次の世界を示唆していく。10は1+0で1の数字になるのだが、初めての二桁のため、また次の世界の話となる。

こう考えると、キングには各スートの1、5、9の数字の意味が混ざったものと考えてもいいだろう。
 クイーンは2、6、10の数字の意味が混ざり、ナイトは3、7の数字が混ざる。同様にペイジは4、8の数字が混じり合っているので、各スートにおける数字カードを参照しながら、どういう意味になるのかを考えていけば、人物カードは非常にわかりやすくなる。
 これは前述した、世界の4つの階層を、簡易的に解釈したものである。
 それはアツィルト界、ブリアー界、イェツィラー界、アッシャー界だ。

 すなわち、各スートの数字の意味をよくよく考察していけば、おのずと各スートの人物カードにおいて、かなりハッキリとした意味や意義を感じ取れる、ということになる。数字カードを組み合わせ混じらせればいいので、やっていくうちに慣れてくるばかりか、きちんと応用できる解釈が構築できてくるはずだ。

    たとえばワンドのキングは力強い男性のカードと言われている。これはワンドの1、5、9を内包する。1はワンドの性質の出現であり元型、5は暴走とも言えるほどの力のせめぎ合い、9は常に戦いの精神を持ち続ける。この三つだけでもキングの性質そのままだ。常に戦い、力をぶつけ合う。それは1つまりエースの働きによるもので、純度が限りなく高いワンドの世界である。ワンドの性質そのままを端的に1と5と9の各数字カードは表していて、それらをそっくりまとめ上げたのがキング、ということになる。
それがワンドのクイーンともなると、2と6と10の数字になるので、キングの働きの結果としての位置を保有する。2は自らの意志の認識、6は勝利、10は次へ進む意志だ。クイーンはその性質をすべて保有する。
 ワンドのナイトは3と7なので、3のムーブメントと、7の立場の違いや有利さを身に着けて実行する。
 それを受けたワンドのペイジは4と8。4においてワンドの性質を地上的な成長あるいは繁栄の礎を、8の数字のエネルギーの放出で確かなものとして発展へ向かわせる。

 すべてのスートにおいてこれを活用する。カップではカップの1から10の数字を照合させると、カップにおける人物カードの解釈が、色濃く立ちあがってくる仕組みだ。

 そう考えていけば、占いの現場にて、人物カードが特定の人物と解釈するだけでは、なんとなくの物足りなさが解消される。人物カードにおいて意味を持たせる自体がかなり有効であり、きちんと回答を得られる場合が多くなると、人物カードにおいての解釈の難しさは、それほどでもなくなるだろう。
 人物カードを漠然と覚えるよりも、数字とスートの意味さえわかってしまえば、人物カードの解釈にも広がりが出てくるし、具体的に言葉にできる。タロット占いをする上で最大の懸念は、しかるべきカードが出ているのに、しかるべき解釈の言葉が出てこない事態が露わになることだ。曖昧な言葉でしか表現できないとしても、根拠を見据えた形での曖昧な表現であれば、まだわかる。
 その場に広げられたタロットカードがなにを伝えたいのかは、その瞬間に立ち会った解釈者のものだ。本当はこのカードはこの意味だけれどもちょっと違う、というニュアンスは、カードを広げた瞬間の、解釈者の直観からの所有物だ。その人にしかわからないものが必ずあるので、マニュアル通りの言葉にしなくとも問題はない。
ただし『なぜそう感じたのか、その根拠は一体なにか』というところまで踏み込まなければ、あまりにも宙ぶらりんな解釈になりかねないので、そこを考えると良いだろう。
 人物カードはその一端にすぎない。『そういったニュアンスです』というところまで言葉にできるなら、タロット占いで怖いものはなくなる、と言ってもいいくらいだと思う。
 曖昧でも見えているものがあり、それが信頼に足ると思えるなら、タロット占いでは事実に成り得る。きちんと言葉にすれば具体性がついてくるからだ。

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