生命の樹。ホド。小アルカナの8。
ホドはケテルから続く生命の樹の8番目に位置するセフィラであり、西洋占星術での水星を意味している。
そもそも水星は言語能力に代表されるような知性を司っている。ここでの知性は、もうひと段階上がった智恵のような大きなものではなく、どのように使いこなすかという知性であり、応用力として現れやすい。
俗に言う「頭の良さ」というのはいろんな段階が見て取れる。それは信じられないようなところから引き出されるアイデアであったり、考えも及ばぬ発想をするというものから、与えられた材料を駆使して形にしたりするような実務的なところまで様々だ。ホドの知性は後者で、なにかを形にするところまでが本領である。具体性を伴わない知性はホドではない。
たとえば具体的な例として、いま私の目の前にあるパソコンを考えてみよう。
まず「こういう感じのものがあったらいいな、アナログじゃないやつ」というのが、ホドの2段階上位にあるビナーの働きだ。それは思い付きだけである。ではどのような働きをする物にするのか、は、ビナーとホドの中間にあるゲブラーの働きあり、ある程度のアイデアに基づいた形はここで作られる。ただし、たとえばプログラムやソフト、キーボードの形態やネットワークの構築まで考えて具体的な品物にするのはホドなのだ。
非常に断片的ではあるが、これが左側、峻厳の柱の働きである。
水星は双子座と乙女座の支配星で、知性そのものを表す。ケテルから流れてきたエネルギーが具体化するのは、基本的にホドの力と言える。地球から近いこの天体は、西洋占星術でも使いやすい天体のひとつで、いろんな場面で活躍する。
たとえば仕事などはホドを用いることが多い。どのような作業でも、それが作業である限りホドを用いなければ、あるいは水星を使わなければならない。肉体労働であっても決まり事や経験などはホドから引き出される。それは知性が必要だからだ。
また西洋占星術での水星の意味のひとつに、「若々しさ」がある。水星の年齢域は7歳から15歳で、この時期は人の人生において水星が最大限に発揮される、あるいは発達する。飽くなき追及心などは水星であり、興味の対象に対しては真っ向から取り組む姿勢が読み取れる。なお基本的に子どものうちに培ったのち生涯にわたり使える知性は、この7歳から15歳までの間に何をしていたかで決まると、私は個人的に考えている。なにか自主的に実行する人生を送る人物は、この水星の年齢域である7歳から15歳までの間に、誰に何を言われなくとも勝手に始めているものだ。そしてその人物が西洋占星術で水星が発達していると、その培った知性を使う。若々しい好奇心を持ちながら次々にまっさらな状態からアイデアを繰り出し、さも当たり前のように軽やかに振る舞う。
ホドはケテルから数えて8番目ということは述べたが、8という数字は大アルカナの「力」や「正義」であり、社会的なステージを含んだ意味になる。数秘術では8の数字は権力という意味になる。それは4×2だからなのであるが、4は安定を意味し、広くあまねる性質がある。大アルカナであれば皇帝のカードで、人々の頂点に立つ人物であるが、その実際は領土の上で支配している。ここからここまで、というステージでの絶対的な力であるが、8はそれを内面に作り出す。これは折れない意志とか頑固な様相を意味するが、その頑ななまでの姿勢が、結果的に良い意味での権力主義になっていく。まずは意志が折れないのだ。
そもそも4は四角形に代表されるような、簡単には転がらない形態を示している。これから8の数字を考えると、たとえば2つの四角形を上下につなげたとき、立方体になることからもわかるだろう。四角形が頑丈になるばかりではなく、さらに動かないものになる。なお自然界で8角形になるものの例は少ない。非常に頑丈な平面的な図形は6角形をしている。そのため自然界で考えるなら立方体でイメージした方がわかりやすいと思われる。
西洋占星術で8番目のサインは蠍座で、大アルカナの8でも書いたが、他者との一体化がテーマだ。自分以外の対等な他者を認めるのは天秤座だが、この相手と一体化しようとするのは蠍座であり、どういう関係になるのかまで示される。ウェイト版なら8は「力」であり、ライオンとの関係を対等なものにし、エネルギーの交感まで進む。一方でマルセイユ版では「正義」であり、ここでは権力が正面に出ることになるが、ふたつのものを対比させた先の判断まで支配するのであるから、言うことを聞かないといけないというムードを出してくる。この関係性が8の世界だ。そのためホドが発達すると、誰にでも説得力を持つことができる。
蠍座のサインは没頭や熱中、集中も意味していて、のっぴきならない関係からの自己変容も表す。自身に相対するものはなんでもいい。人間かもしれないし、モノや学問、スポーツ、芸術でも、『自分以外のなにか』にすべてを委ね、その関係性のなかから『これまでの私ではない何者か』になっていく。蠍座は基本的に天秤座での『あなたと私、私とあなた』という関係ではよしとせず、もっと深い関係性によって『私とあなたは同じ』という段階に至るのだ。もうひとつ進んで射手座になると、この関係性は自由を求めて霧散というか、もっと広い視野を持ち、高い精神に基づいた合致を見るのであるが、蠍座の段階ではそうはいかない。すべてをどろどろに溶かすようなほどの集中と没頭がある。なにも他には考えられず興味も湧かない。そんな状況を想像すれば、どれほどの引くに引けない状態なのかがわかると思う。そしていったんこのような事態になると、蠍座以前の自らには戻れない。もちろん他のサインでも一度でも開かれた回路は閉じられない。しかしハッキリと認識するという意味で考えれば蠍座の変容は非常にわかりやすいだろう。それは他のどのサインよりも身近で、あまりにも個人的な具体例に事欠かないからだ。蠍座が発達していると、恐れもせずに火中の栗を拾うところがあって、栗を拾った先の己の姿が容易に想像できている。ただし基本的には遠くに目先があるのではなく、目の前の栗に集中するあまり、他を忘れている、あるいは配慮していない場合が多い。しかしこうでなければ火中の栗は拾えないのだ。ギリギリまで考え抜き徹底して飛び込むなら、栗は無事に拾えるだろう。この一連の流れは力を溜め込み放出する意味を持つ。
また円を8で割ると45になり、これは直角の半分の角度になる。西洋占星術ではセミスクエアになるが、これはハーモニクス8の図で合となる。ハーモニクス8は人生における到達点あるいは社会的成功なので、このホドの力を社会的に存分に発揮できれば成功する。社会的に働きかけるのはある意味で説得力を持たねばならず、ここからでも8の数字の意味がわかると思う。バキバキの緊張感のなかにハーモニクス8は存在している。
もともとセミスクエアは90度すなわちスクエアのアスペクトの二分割で、矛盾しながらも共通項のある(元素の組み合わせがスムーズではないものの、三区分では同じ)スクエアの弱点というか、急所を突くようなところがある。もしスクエアに折り合いのような落としどころがあるなら、このセミスクエアだろう。どちらかに肩入れできないスクエアの関係において半々の歩み寄りができるのがセミスクエアだ。それはかなり具体性を帯び、かなり合意的なものだ。この擦り合わせがハーモニクス8の強固な土台の一部となるので、いったん築き上げたら滅多なことでは崩壊しない強さがあって、その後ろ盾を有効に用いるため、一種の圧力めいた説得性が存在している。
ホドは基本的に、揺るぎのない絶対的なものが横たわっていて、それは知性を用いて実行または実現される。「力」にせよ「正義」にせよ、用いるのは人間の、あるいはそれ以上の知性である。こうならこうする、という認知的なある程度のルールがあって、それを理解するのはホドそのものなのだ。ただし意識化するのはホド以外のセフィラを用いることが多いので、本人が自覚できているかどうかは別問題である。そのため8の数字での権力は、ホドだけで完結すると、あまりにも無自覚な支配力につながることがあり、それは知性を暴走させる結果となりやすい。
これを前提としたうえで、もうひとつ進めてみよう。
そもそも知性とは「ハッキリさせる」とか「これではなくあれを選ぶ」というものだ。あれこれを理解する必要はあるが、基本的かつ根底的な理解というものはビナーにある。それは直感的にわかっているものであり、混沌のなかにあっても節理的だ。それをゲブラーが受け取ると、その理解は次々に具体的な形となり、ホドはそれを受け取って使えるようにするのである。ビナーから与えられたものを選択するのはホドだ。知性の段階化は使っていると見えてくるようになるが、そもそもホドが発達しなければビナーの規模も小さく狭くなる。逆に言えば大きなホドは大きなビナーの存在を意味しているので、単純にビナーを育てたければホドの育成を行えばいいし、ホドを育てたければビナーの存在を認める必要がある。真ん中のゲブラーはある意味において緩衝材的なもので、ビナーとホドの力関係によって働きが変わってくる。またホドの発達具合にビナーそのものの大きさは左右されない。あくまでも規模という話であって、「使えるビナーの領域」を勝手に小さく狭くするのはホドでありゲブラーだ。ホドがその気になってゲブラーに働きかければ、使われずに放置されていたビナーの智恵は掘り起こされ、一気にゲブラーに流れ込むだろう。ホドに流れ込むのはもっと先だが、これは左側の力の増大を意味するので、生命の樹のパスが太く強くなり、きちんと細分化する必要があるからだ。
そもそも知性と知識、智恵と知恵は意味が違う。もっと言うと智慧もある。それらをすべて網羅するセフィラは存在しない。知性そのものは基本的にビナー、知性を用いて知識とするのはホドである。智慧と智恵と知恵のなかでホドの仕事は知恵だ。とはいえ日常生活のなかでそれらを意識するのは難しいと思う。日常の中での知性はほとんどホドで賄われる。ただし意志を持って踏み込む知性はゲブラーで、ビナーはさらに先にある。
ホドが関係する大アルカナは12・吊られた男、15・悪魔、19・太陽、20・審判である。これらは知性をもって意識と向き合う姿勢を表しているカードだ。吊られた男は集中から、悪魔は欲望から、太陽は明確化から、審判は具体的な天啓から。これらの働きを活性化させるとホドの規模は大きくなり、それぞれのパスも太くなってくる。
小アルカナともなると、それぞれの元素に当てはめて考えればスッキリとわかるものがあると思う。
以下、その詳細を記していく。
ワンド・8
ワンドは火のスートであり、生命力や意志を意味するが、8となるとギリギリまで生命力を溜め込んで放出する形だ。ウェイト版でパメラ氏の描いたワンドの8は一定方向へと流れていくワンドだが、これは言ってみれば、ギリギリまで溜め込んだ燃料を一気に放出し、空へ舞い上がるロケットだ。しかしワンドの方向には気を配らねばならない。正位置なら下方へ向かうワンドであり、これは上部側のセフィラから下方へ流れているので、生命の樹の方向性に沿えば自然だが、逆位置は下方側から上方へと昇っていくため不自然で、やや頑張りすぎている。正位置は力の集中から導き出される着地を目指す。その一方で逆位置なら、無理矢理にでもなにかを達成させようとする姿勢だ。これが吉と出るか凶と出るかは、もちろん同時に展開されたカードを読み解けば良いのだが、基本的には集中しながらもどこに飛ぶかはわからないので、悩みの最中にあってもおかしくはない。たとえ正位置であっても、そもそもの集中や没頭、着地するための力の溜め込みは必要だ。この意識の集中があるのが前提のため、自覚しているか否かに関わらず、なんらかをパワフルなまでに頑張っている、あるいは突き詰めているはずであり、正位置の場合これを続けるならガンガン進める。きっかけひとつで溜め込んでいるものが急に外へと出られるので、思いがけないチャンスや急展開という事象になって現実のものになるだろう。もし逆位置であれば改めて目標を定める必要がある。方法論ではなく、意識の持って行き方だ。どこへ向かって飛び出そうとしているのか。その対象をきちんと認識できるなら、逆位置は簡単に正位置へとひっくり返る。ただし今の状況にワンド8の逆位置が出ている場合、やみくもにやっている状況ではあるので、頑張っている方向性に間違いはないのか、繰り返しにはなるが、同時に展開されているカードを基に読み取るといい。
なお、このカードを質問者に向け、正位置でも逆位置でも『どちらの方向へ飛んでいると思いますか?』と質問を投げると、心理状態に即した回答をしてくれるので、試してみるといいと思う。いまよりもっと高きを目指したいのであれば『上昇している』と答えてくれるし、さんざんやっていてもう着地させたい、すなわち結果を出したいと願っているなら『下降している』と答えてくれるはずだ。
カップ・8
溜め込む性質がある8の数字がカップという水のスートになると、貯めこみ続けたゆえの変化がある。基本的に8の数字において変化の意味はそぐわない。バキバキに固める意味を持つ8の数字において、変化するのは本質的なものにおいてのみで、状況や環境においての変化とはなりにくい。ウェイト版でのカップの8は、積み重ねたカップを置いて立ち去るカードだ。これにより心境の変化などという解釈がなされるのだが、実はちょっと違うと思う。なぜなら、もし心境の変化が起こるなら、それは諦めや挫折などのニュアンスが強いからだ。しかし8の数字は諦めずに続けることに意義があるので、諦めとは到底言えない。一般的な心境の変化という一方通行の解釈ではなく、このカップの8の変化とは、もっと求めようとする欲張りさが根底になければならない。というのもウェイト版の積み重ねられた8つのカップは、ひとつ空いている。あからさまに不自然にも、もうひとつカップを重ねられる箇所がある。これは不足を意味する。つまりもうひとつ、なにか違うものを欲しがって、完璧なものにしたいと渇望するカードなのである。頑張って積み重ねてきたものの、積んでみたら不足に気付いてしまうのだ。これは、もしカップがバラバラに置かれていたなら気付かなかったはずで、積んだからこそ不足に気付いてしまい、ちょっと困惑しているような状態なのである。積んだカップに背を向け旅立つように見えるのは、もうひとつのカップを探し求める姿勢そのものだ。空には月が浮かんでいるため、状況の不安定さを意味するところはあるが、それは質問者の内面の不安であり事態の変更はない。そのため質問者は動かざるを得ない、という具合なので、このカードを通り一辺倒に『気持ちが変わる』とは読まない方がいい。そもそも質問者は諦めたくないと願っているに違いないからだ。もちろん同時に展開された他のカードを読む必要はあるが、欲張りなままに求め続けるこのカードが出たなら、変化を受け入れ難いというニュアンスで読むべきである。なお逆位置なら、積み重ねる必要を感じながらも実行してこなかった、あるいは計画や行動に漏れや見落としがある可能性が高い。ちょっと本気で練り直してみませんか、という答えになるが、『本気で』というところを強調した方がいいだろう。もし本気でやらなければ、8の数字の固さの前に跳ね返されてしまうからだ。
ソード・8
風のスートであるソードに関して辛辣な描きっぷりを披露しているウェイト版のパメラ氏ではあるが、このあたりからさらに救いようのない絵柄になってくる。しかしホドの知性とソードの8が噛み合わないわけがなく、基本的にソードの本質はこのカードの解釈如何になるだろう。目隠しをされ縛り付けられた人物は、実はソードに括り付けられているのではない。きちんと『人物のまわりに8本の剣がある』ので、その気になればこの人物はこの場所から逃げられる。目隠しをされている以上、それは容易ではないのはわかるが、縛り付けられている本幹が自由かそうではないのか、というところに意義がある。知性の集中は他の一切を拒否した先にある、と思えば、このソード8のカードも納得がいくだろう。知性を自分のものにするためには、あるいはなんらかの目標を手中に収めるなら、このくらいの集中は必要だと言われているようなもので、楽しみや快楽から遠ざかり、純粋な知性を磨き上げる。いいかげんな衝動からの行動ではなく、その気になってこの場に留まり、知性を研ぎ澄ませているのである。たとえば瞑想などで自己に向き合う状況を想像してほしい。身体はピクリとも動かないのに内面は自由で、どこにでも行ける状況である。その気になれば宇宙の外にだって行けるだろう。そこでモノにしたなにかは、この人物の知性になりアンテナになる。すなわちこの絵柄だけ見て『不幸』と解釈するのであれば、このカードの本質を見失ってしまうだろう。たとえ周囲には不幸だと思われても、目先の不自由さに左右されないなにかを、この人物は仔細に手に入れるのだ。それはホドであるのでかなり具体的で建築的だ。正位置であれば環境に惑わされない強さとなって現れるので、もし頑張っている状況なのであれば、このまま続けても構わないし、むしろ続ける方が正解だ。逆位置であれば中途半端な覚悟で向き合っている可能性があるので、同時に展開されたカードを基に読み取るといい。本人が頑張っていると言うのであれば、もっと頑張れるはずですよ、という状況である。やっているつもり、頑張っているつもり。そのような意志がこのソードの8で試されているのだ。
コイン・8
土の元素であるコインも8までくると、さらに具体的な形となって現れる。ウェイト版の8は職人がコインを生成している絵であるが、これは価値に対する姿勢が第一の意味だ。価値を認めるものに向かい一心に取り組むことで、この人物は大きな成果を手に入れる。職人の後方には街並みが見て取れるが、この街並みは社会であり、社会で運用されるに値するものを作り出しているので、きちんとその価値を認識しているのだ。必死に取り組めば大きな成果を上げるという意味では、このコインの8は成功となる。勤勉に頑張りましょう、というカードではあるが、ここで退屈や無駄を感じてしまうと逆位置になるので、正位置で出た以上は『継続してください』という解釈になる。続けることに意義があると言っていい。逆位置であるなら飽き飽きしている、あるいは価値を見い出していないので、もし質問者の本意でなければ、同時に展開されたカードを加味しながら答えるといいだろう。ちなみにホドは水星であると述べたが、土元素の水星は非常に堅実な思考や知性を意味する。頑固な人、というのは代表的な言われ方ではあるが、かといってそれは知性の使い方の問題であり、ひとつに絞れば専門的な知性を手に入れ活かしきるだろう。他のことなんかどうでもいい、という性質はソードでも見て取れたが、ソードは抽象的、精神的なものである。しかしコインともなると現実的で具体的な価値なので、ソードよりはある意味で使いやすい。きちんと目標を定めて邁進できるからだ。
以上、ホドのお話でした。
イェソドを通さずにマルクトに入るなら、このホドかネツァクを通るしかないのですが、それにしてもネツァクであればもっとふわっと曖昧なので、現実としてこのホドを通じてマルクトに着地している人はたくさんいるな、という感覚はあります。もちろんイェソドを通した方が完全体なので、もしホドで着地しているなら、イェソドを活性化させる必要があります。そうすれば自然にホドばかりか、ネツァクやイェソドも通ってくると思います。