アラサーニート、職歴・免許なし、父は定年、母は精神障害者


学がない上に元々頭も悪い。本も何年も読んでいなければ、文章を読み返すつもりもないので分かりづらい文章になってしまっていると思う。
ただ、自分自身のために場所をお借りしたい。

中1の冬に不登校になって以来、社会との繋がりが希薄になっている。
不登校のきっかけだとか、それに関わる事を長々と書こうと思ったがそれでは本題からそれるのでまた今度書いてみようと思う。

先月末で父が60歳になり、定年を迎えた。今は元々の勤め先でパートとして働いている。
私が働いていないからだろうと思う。
まだ60歳、白髪の少ない父は若々しく見える。
しかし基礎疾患もあるしこれからどんどん老いていく。

母は父より9歳年下だが私が子供の頃から精神疾患を抱えている。何度か自殺未遂をして長期入院をしたりしていたが、10年以上自宅で療養(という表現が正しいかは分からないが)していた。

それでも昔は家事をこなそうとしていたが、私が高校生になった時分からまったく家事をしなくなった。
家事をしたくない時は私に包丁を突きつければ動くという事を覚えたからだ。
そんな母も、2級の手帳持ちで障がい者年金を受給しているので私より上の存在のような気がする。
人の財布や祖母への香典から金を盗んだり、店の駐車場で放尿したり、喉が渇いたからと十年以上電話すらしていなかった古い友人の家に突然訪ねていって水をもらったりするが。
日中寝ているのに夜に起き出して、アレがほしいこれを買ってほしいこういう不調があるが何の病気だろうと毎日のように同じことを繰り返し聞いてくるが。
正直言ってストレスしかない生活ではあったが。

「目を離せない母親が家にいる」という状況は、私が働かない理由としてもっともらしいものになっていた。

さらには母の障がい者年金は生活費という名目で、家族全員の生活費に消えているので文句は言えない。これは叩かれても仕方ない。

しかし、母がいるせいで働けないというのは本当だったし、私が母の年金を管理しているのは母に渡すと全てコンビニスイーツに消えるからだった。BMI40オーバーの肥満体型、1度に3000円分程度を買って詰め込むのを放置はできなかった。

働けない…というより家を空けられない理由も、自殺未遂をしそうで不安だとか、そういう理由ではない。
よそ様の家に粗相をしないかだとか、火事を起こさないかだとかそういう事が心配なだけだった。

明日母が死んでくれるならどれだけ幸せだろう。そう思いながら毎日眠りについている。

そんな母だが、ふた月ほど前に自殺未遂として家の二階から飛び降りて入院している。
精神病院ではなく、怪我の治療のために普通の病院に入院した。

母の居ない生活は本当に楽だった。

2居なくなって初めて、毎日同じ事を何度も聞かれることの苦痛だとか、油断できない相手が家の中にいる事のつらさのようなものを実感した気がする。


ここ数年、母にむかって怒鳴ったり、時には手が出る事がある自分に絶望していた。そしてそれは自分の気質であり、自分のような人間は一生そのままで、もし母が消えたとしてもその矛先が別なところに向かうだけだと思っていた。
でも今は、怒鳴りたいとも思わない。そもそも怒鳴るような事がなければ人は怒鳴りたくなんかないのだと思う。怒鳴りたくて怒鳴る人もいるのだとしたらかなり怖い。

さらに久々に化粧をするようになり、身なりを整えたいと思うようになってきた。

散らかり放題だった家をどうしたいだとか、プランターで野菜でも栽培してみようだとか考えるようにもなってきた。

そして何よりの変化が、社会復帰への意欲が戻って来たことだった。


普通に就職するのは無理かもしれないが、引きこもりやニートの支援をしているような団体につながれないだろうか。そこから、社会から遠ざかっていた人間も雇ってくれるようなところに行けないだろうか

そう思うようになってきた。

そして今、長く引きこもりのような生活をおくってきた不登校ニート26歳免許職歴なしおばさんは体力づくりをしている。


さっさと団体に連絡をとれと言われてしまうかもしれないが、そもそも私は持病がある上に元々身体が弱い。
今の状態だと、運転免許の教習に定期的に通う事すら不安だったりする。突然起き上がっていられないほど体調が悪くなる事があるのだ。
急に目の前が遠くなることもあるので、正直免許がとれるかどうかも怪しい。
この症状に関しては見てもらっていないから原因はわからないし、見てもらうにしたって病院は遠いので行けない。詰んでるようなきがする。

しかしここはド田舎。ニートの支援をやっている団体は自動車でもそこそこかかるような場所にある。車の免許がなければたどり着けない。

田舎の通学用みたいな電車でも、かなりの時間とそこそこの電車賃がかかる上に乗り継ぎが必要だったりする。現実的ではない。

なので親のスネをかじりながら母親のせいだ母親のせいだと喚いている26歳児は、ここでも親に頼って目的の場所まで連れて行って貰わなければいけ
なくなる。


ニートの娘が、そういった集まりに参加したいと言い出したら父親は喜ぶのが普通なのかは分からない。

ただ、以前なんとなく話題にした時の父のリアクションは薄かった。というか、厄介そうに思っていそうだった。適当な相槌というか、話題をスルーしたい時特有の「う~ん…」というため息まじりの反応しかもらえなかった。

そもそも私には不登校と転校を繰り返した前科がある。
そのたびに父は安くもない制服を買い、高校は私立の通信制だったので学費も高かった。
そんな娘が未来を語ったとしても「また始まったか」なんだろうと思う。
今の私に働くだけの体力はない。
家事すら満足にこなせてはいないのだ。


送り迎えしてもらえないから行けないという問題でもないかもしれない。

メールや電話で問い合わせることで、何かしら変化はあるだろう。送迎は無理でも、近くに着た時に話を聞いてくれるくらいの事はあるかもしれない。

でも、やはり相談する前に父からの許可は必要だと思っている。

そういった団体に関わる事自体にお金がかからなかったとしても、私が社会復帰を目指すとなると、また別のところで金がかかるのだ。

母だ。

母が戻ってきたのでは私の社会復帰などできるわけがない。
自殺未遂をしたのだから、怪我が治ってリハビリが終わったとしても精神病院へ入院するのが妥当のような気もするが、その話をしたら「人格に問題があるから入院拒否されるかもしれない」と言われた。
そんなわけはない気もするが、頼み込んでも無駄かもしれないというよりは金がかかるだろうから望まないという事だと思う。

年を重ねるほどに私の社会復帰は難しくなり、母の病状だって悪化していくだろう。
母が戻ればまた私は家の外に出ることすら難しくなり、そして父は老いていく。
弟は働いているが、家族を養っていく義理はないと思うし、そこまで寄生していたくはない。
いつでも逃げられるのだろうから、辛かったらうちから逃げていってほしいとすら思っている。
今のところは、家賃無料で勝手に食事が出て洗濯が終わる便利さをとってくれているから一緒に住んでいるだけだと思っている。

この事実は、何年も前から変わっていないはずなのに、母が居なくなって初めて向き合うようになった。
向き合えるようになった。

そして母がいない今がチャンスだと思う。
今社会復帰に向けて歩き出さなければ、おそらくこの負の環境からは一生抜け出せない。
どこかのタイミングで一家心中でもして終わる気しかしない。

だけど自分ひとりではどうしていいのかも分からない。

そう思いながら体力づくりをしている。
老人のリハビリのような運動だが。

散らかり放題の家を、少しずつ整理している。

自分の社会復帰願望が強いものだと、母がいなければ自分は多少は正常でいられると、父に理解してもらうために。
進研ゼミのダイレクトメールについてくるプリントを解く子供のように日々を過ごしている。

ずいぶん遠回りな事ばかりしているような気がするが、今はこれしかできない気がする。

自分の言葉や願望に説得力を持たせたい。


それでもダメなら、母が戻るようなら、やはり私が死ぬしかないんだろうか。
それをチラつかせるのは、子供の頃の私や家族をコントロールするために母がやってきたことと重なるので嫌だが、死にたくはないし、私が死んで家族の生活が良くなるわけではなく、悪化するだけのような気がするので難しい。

そうやって思い悩みながら床につき、母が退院してくるという悪夢を見る。

母が退院してきて、私はまた家を出られなくなる。考えていた色々なことや未来が全部叶わない事を悟って喚き散らかすという、いずれ現実になりそうな最悪の悪夢だ。

どうか母のリハビリがうまくいきませんように。
院内で暴れでもして精神病院送りになりますように。

自殺しますように。

あ、それはないか。

母はいつだって、本当に死ぬ可能性のある自殺未遂は1度だってやってこなかったのだから。


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