殺人者が描いた絵は美しいのか
こんにちは、むいかです。
皆さんは、殺人者が描いた絵も、その絵が美しいと思いますか?
「芸術は、芸術そのものだけである」
これが芸術至上主義ということなのだろうと思います。
(特別詳しくないので違ったらごめんなさい。)
芸術それ自体の活動に意味を見出すこと。
評価されようとされまいと関係はない。
また、見方を変えれば、評価される場合、それは芸術そのものだけでその作品の価値を判断すること、とも言えます。
「例えば、ものすごく美しい絵があったとしたら、それを描いたのが殺人を犯した人間であったとしても、僕はその絵を美しいと思う」
こうした趣旨の言葉を残している人がいます。
私が一番好きなヨルシカのn-bunaさんです。
つまり、作者の存在は排除され、作品単体でその価値を評価しています。
でも、それって本当に可能なんでしょうか。
私は、「その作品がこの世界に存在している以上、作品単体で見ることは不可能である」と思います。
なぜなら、万物に対して、私というフィルターがかかっているから。
これを無しに世界を見ることはできません。
このフィルターには、「知る」ということが深く関わっています。
その作者、作者の背景、作られた意図、経緯。
それらを知ってしまったのなら、それを排除することはできません。
「知った状態」を「知らない状態」に戻すことはできないからです。
全く同じ作品であっても、知っている状態であれば、見え方は変わってしまう。
それはどうしようもないことだと思います。
逆に言えば、作品の周りの情報を一切知らなければ、評価はそのものだけになります。
ただ、この「世界の状況でこの作品がでてきたこと」といった、環境による価値が与えられる可能性はあります。
これは「世界のフィルター」といえるかもしれません。
絵画であっても、音楽であっても、文学であっても、私達は「自分」と「世界」というフィルター無しに芸術を見ることはほぼ不可能。
芸術単体で評価できるのはそれこそ「芸術の神様」だけなんだと思います。
殺人者だと知らないまま見た絵は、美しい。
現状の私の考えでした。
皆さんはどう思いますか?
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