主語、ぜんぶ「人間」にしたい
こんにちは、むいかです。
主語の決定にとても迷う話をします。
主語の決定に迷う、というのはマーケティングで言われる、「届ける相手を狭める」とかのあれ。
コロナ禍におけるニュースで、「大学生が~」「若者が~」みたいな言い方をされてきました。
みんながみんなそうじゃない!
と、大層腹がたった(そうでもない)わけですが、それと似たことを自分もしてしまっているんじゃないかと思うわけです。
あの報道の仕方だって、本当に大学生や若者全員がそうだと思って批判しているわけでもないことはわかっている。
一番どうにかできそうな層に届けるために、わかりやすく使ったんだろうなと。
主語を決定するというのは、人間をカテゴライズする、ということだと思います。
そして人間をカテゴライズする、というのはとても難しい。
男なのか、女なのか。
大学生なのか20代の社会人なのか。
日本人なのか、日本国籍の人なのか。
似ているようで違う。
違うのに、同じにされる。
境界がないのに、分断される。
誰かが勝手に放り込んだグループが「当たり前」「ふつう」とみなされて、それから逸れていた人たちは(私然り)いい気持ちではないんだろうなと。
そして、私も何気なく主語を使ってものを言って、そうやって何気なくただ生きているだけで、誰かを傷つけているのかもしれないとぼんやりと思いました。
人に限らず、ある特徴に分け、それに名前をつけることでアイデンティティが形成されたり、帰属意識が芽生えたりするから、一概にどうとはいえないけれど、誰かを括ることってそんなかんたんなことじゃない。
細かく分けても分けても、差異は生じて、不満を持つ人、納得がいかない人がいて、でもそれは仕方がなくて…
そんなことをぐるぐる考えていると途中でもう面倒になってしまいました。
あーもう、主語、ぜんぶ「人間」にしたい。