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ポッドキャスト|AIラヂオ011前編|【書評】『情報環世界』ドミニク・チェン等著|人間とAIがまったく違うといえる理由【文字起こしつき】

みなさま、こんにちは!テック系フリーランスライターの五条むいです。

テクノロジーとの共生でハッピーになりたいHarmonic Society株式会社の師田賢人と、新たなジョブを開拓中のテック系フリーランスライター・五条むいが、ゆるく愉しくお届けする〈AIラヂオ〉をお届けします!

今回は初企画として「書評」を行います。

取り上げる書籍は、ドミニク・チェン等著による『情報環世界』です。

個人的に五条が、繰り返し読み続けてきた印象深い本として取り上げさせていただきました。この本を読めば、「人間とAIはまったく違う存在」だといえる理由が、くっきり、はっきり、わかりますよ。

ポッドキャストは、〈AIラヂオ〉のWebサイトから配信しています。

文字起こしもついてます。それではよろしければ、しばしお立ち寄りください。

AIラヂオ011前編の文字起こし

師田: 皆さん、こんにちは、AIラヂオです。

この番組では優しいDXの推進をテーマにAIに関する情報発信をしています。

今回は、初企画なんですけど「書評」になります。

ご紹介する本は、『情報環世界』です。

お届けするのは、ハーモニクス・ソサエティ代表の師田と、五条むいです。

五条:五条です。よろしくお願いします。

師田:よろしくお願いします。

この『情報環世界』という本について話していきたいんですけど、ちなみに「環」は、環境の「環」ですね、この本、推薦してくれたのは五条さんなので、せっかくなので、どういう本かっていう導入をお願いしてもいいですか。

五条:はい、了解しました。

この『情報環世界』っていう本は、哲学の分野に属する書籍だと思うんですけど、師田さんはお読みになっておわかりの通り、すごくわかりやすい、平易な言葉で書いてあるんだと思うんですけど、どうですか。

師田:そうですね。全然、哲学書っぽい感じじゃないですよね。

五条:そうですよね。平たい言葉で書いてあって、その割には、ボクはこの本から、これまでに大量の気づきをもらっていて、機会あるごとに何度も読み返してるんですよ。

たとえば、AIラヂオで何度も語ってきた多くのことが、この本からの気づきに関係してるんです。

この本の初版は22019年ですから、もう5年前になるんですけど。

この本はドミニク・チェンさんとか複数の方が書かれてるんですが、その頃、ボクはドミニク・チェンさんの活動や著書に触れた機会があって。

本当に多才な方でさまざまな分野で活躍しておられるんですけれども、たとえばクリエイティブ・コモンズの日本での活動をリードしたりされてるんですね。

その一方でドミニク・チェンさんが、AIラヂオの第10回でお名前が出た、松岡正剛さんという方と『謎床』という対談集を出しておられるんですけど。

この『謎床』という対談集もすごく深くて、ボクは何度も読み返してるんですけど、こちらの方は、未だに理解が追いついてると言いがたい状況にあって(苦笑)。

いつかは書評で扱ってみたいと思ってます。

師田:そうですね。扱ってみたいですね。

五条:ただこれね、すごい難解なんですよ。何度も読んでるんですけど、なかなか読みきったとは言えなくて。また機会があれば。

そこで『情報環世界』のお話に戻ると、『情報環世界』の『環世界』というのは、1864年にエストニアで生まれた生物学者の、ヤコブ・フォン・ユクスキュルという方がいらっしゃって、この方が確立した概念なんですね。

この方は生物学者なんですけど、この方が提唱した『環世界』の概念が哲学思想に実に大きな影響を与えたので、哲学者とみられることもあるかなと思います。

この『環世界』の概念が、現代日本の思想家とかアーティストやデザイナーといった人たちにも大きな影響を与えていて、その雰囲気とかユクスキュルの思想自身についての評価は、松岡正剛さんの千夜千冊735夜で語られていますので、興味がある方はお読みになるといいと思います。

この千夜千冊735夜では、「環世界」の概念を、実に簡潔に説明していて、『環世界』にかかわる問題提起もしてるんですね。。

それは何かというと、

われわれは自然界の本来の情報を変形して知覚しているのであって、加工した自然像しか見ていないのだということにある。では、何によってどのように自然界を加工しているのか、ということが問題なのだ。

ということなんです。

そこで『情報環世界』なんですが、ユクスキュルが提唱した、自然界における環世界の概念を、自然界だけではなくて、情報社会というか、情報世界にまで拡張したときに、ボクたちが世界をどう理解するかとか、ボクたちのコミュニケーションはなぜ難しいのかといった問題まで踏み込んで議論してる本なんです。

ボクにとっては目からウロコの話ばかりで、AIラヂオの短い時間では語り尽くせないんですけど、今回、ボク自身は、「人間と生成AIは、なぜ違うと言えるのか」という問いに絞って、書評を述べたいと思ってます。

師田:わかりました。導入ありがとうございます。

ボクもこの本読んでみて、すごい読みやすい本で、わかりやすくて、内容が頭にすぐ入ってきたんですけど、ただよくよく考えてみると、結構、深いことがずっと書かれていて、章によって書いている人が違うので、一つのまとまった理論をずっと繰り返すっていうよりは、いろんな人のいろんな人の考えを知って、その中から自分がまとめていかなきゃいけないみたいな印象を受けました。

ボクが一番印象に残ったことを一つに絞ると、音楽が環世界をすごく揺るがすっていうような話がありました。

それにボクはすごく共感をしていて、視覚とかで見る、たとえば写真とかでもいいと思うんですけど、本を読んだり、視覚から得る情報と、音楽によって自分のアイデンティティというか環世界が揺らいでいく状態をボクは経験していて。

ボクは音楽がすごく好きで、ライブハウスとかによく行ってたんですけど、あのときの没入感みたいなのって、何か自分の環世界と、他の人の環世界の世界が重なり合ってるというか、同じような感じで混ざり合ってるような、一体感みたいなのがあるわけですよ。

なんかそういう中で、音楽の趣味が近い人って、性格とか考え方も近かったりするんで、なんかそういう意味で、自分の経験してきた音楽による人とのコミュニケーションっていうことが、こういう環世界っていう視点から見ると、音楽っていうものが、環世界の境界を揺るがすようなものっていうようなところが、ボクは面白いなと思いましたね。

五条:音楽から共感があるとすると何なんですかね。音楽のリズムとか、メロディーラインとか。

師田:そこでは身体性を伴うっていうのが、結構、大きいのかなと思っていて。音楽ライブの経験で言うと、音楽を聞きながらもそれに合わせてリズムを取ったりとか、ちょっと踊ってみたりとかするわけじゃないですか。

他人が同じような動きをしていると、やっぱり身体的に同じようなことをしていると、なんていうのかな、お互いの環世界がつながるみたいな感覚を持ち得るのかなというふうにも思ったんですね。

五条:うん。身体性っていうのは、一つの重要キーワードになってますよね。

師田:そうですね。

あとは情報によってあと自分の勘世界を外在化できるっていう話も、すごい面白かったなと思っていて。

ただこのAIラヂオでも何回も言ってるように、フィルターバブルというような現象があって、SNSはむしろ分断を加速してるみたいな話があって、それに関しても論じてあったんです。

結局は何か情報によって外在化するんだけど、AIとかそういうアルゴリズムとかによって、自分が見る情報が限定されてしまうから、逆に環世界の境界っていうのが強固なものになってしまうっていう考え方もあるなっていうふうには思いました。

五条:うん。そうなんですよね。

環世界を形成するのって、視覚、見る、聴覚、聞く、触覚、触るとか、味わうとかいろいろな感覚器官を通じて、個人個人の環世界が作られていくってことじゃないですか。

ボクはSNSの問題の一つは、たとえば隣にいる人の体温を感じるとか、微妙な表情を読み取るとか、文字に限定されたコミュニケーションだと、それができなくて伝わらないっていう問題は非常に大きいのかなと。だから簡単に炎上が起きたりして。

たとえば、その人は自分がものすごくよく知ってる人で、その人は本当はこんな人なんだっていうことを知ってれば、たとえばその人がちょっとした悪さをして炎上したときにも、「あいつのことだから許してやろうか」みたいなのが、SNSの世界では成り立たないていう気がしますよね。

師田:そうですね。やっぱり視覚から得る情報っていうのと、知覚っていう、いわゆる触覚とか聴覚とか全部一緒くたにされがちですけど、外部からのインプットを得るための器官として、視覚っていうのと、聴覚っていうのとか触覚っていうのは、やっぱり微妙に役割が違いそうですね。

五条:昔、本が初めて世の中に出たときに、当時は黙って読むという習慣はなくて、みんな音読で、声を出して読んでたんですよね。

音読だと耳から文字情報が入ってくるわけじゃないですか。そうすると理解がすごく促進されるっていう話があって、今でも本は音読ですよっていう人、たまにいますよね。

師田:いますね。

そういう部分で本の中でも出てきたんですけど、自分の心拍を感じられるようにする現代アートというか芸術だと、触覚とか聴覚っていうのを、より強調する芸術っていうのも、そういう気づきに繋がってくるみたいですね。

五条:そうですよね。

やっぱり人間って五感の生き物で、人間の感情みたいなものはまさに環世界っていうか、自分が経験する世界で形づくられるというのが大きいので、何か文字情報だけとかいうのは、あまりにも限定的だということですよね。

師田:そうですね。

そうなってくると芸術とかって社会にとってとか、人が生きるにとって必ずしも必要なものじゃないっていう考え方もあると思うんですけど、ただ自分のそういう視野を広げるとか、他の人の環世界と繋がっていくっていうようなことを考えると、芸術が果たす役割がすごく大きいと思うんですね。

ボクは芸術が生活とか人が健康的に生きていくうえで必要不可欠なものなんだっていうことを、この本を読んで、改めて再認識したなっていうふうに思います。

五条:ボクも、それ同感ですね。

師田:五条さんはどんな感じの感想をもちましたか。

五条:ボクは、なぜ『環世界』の考え方で、AIと人間は違うということを説明できるかについて、考えをまとめてみました。
(後編に続く)

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