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一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった 三章

三章 僕そんなんとちゃうねんけど(後編)

 その頃の成績が良かったのは図工と体育だけで、いわゆる勉強は全然できなかった。家に帰っても、今までみたいに稲葉くんのような遊び相手もいなくなったし、年齢的になのか絵を描くことで満たされるような感覚はなくなってきていた。嫌々ながらだったけれど”公文式”や”そろばん”に行き続け、わからないなりに続けているとちょっと身に付きはじめた。勉強が出来るようになりはじめ、出来ることがだんだんと嬉しく感じるようになった。勉強が出来ることを親にも褒められるようになり、勉強自体が楽しいとは思わなかったけれど、勉強をしてテストで良い点数を取ったりすることが自分の拠り所のようなカタチになっていった。
 家に帰ってもテレビを観ていたら怒られ「勉強やれ!」と言われる日々。夜の7時から10時まで1日3時間は勉強の時間と決まっていた。そんな生活を小学校3年生から中学校3年生まですることになった。学校での勉強、塾通い、家庭教師、他の人と遊ぶ時間がないというよりも、遊ぶ人も叙情にいなくなっていくような感じだった。みんなも「ガリ勉くん」を見るような感じで僕を見るようになった。そんなことを続けていると結果が目に見えるようになり、小学校5〜6年生にもなるとクラスで一番なのはもちろん、市でも一番になるくらい成績があがっていった。

 小学校5〜6年生の担任の小宮先生はすごくリベラルな考え方だった。教師になって5年位でまだ年齢的にも若かったのだけど、国歌斉唱に対してあまりよく思ってなかったようだ。天皇陛下のことを否定はしないのだけれど、みんな同じ人間なのに人と人ではないような、それ以上の存在のような関わりをしているように感じていること。普通に敬意を払うのはわかるけれど、尊く言葉のような独特の言葉を使ったりだとかに対して、なぜそのようなことをしなければいけないのか?ということを授業を通じて「どう、思う?」と問いかけをするような先生だった。なにが正解で、どうしなさいということはいわなかったのだけど、戦争で実際にあったとされる話だったりは、物凄く僕には新鮮に感じられた。その先生は学校の中でも少し普通ではないような扱いをされていたように思う。すごく元気な先生で休み時間にはギターを引きながら歌ったりとかをしていた。僕自身は勉強ができるからか小学校5〜6年生の小宮先生が担任だったあいだは、僕がずっと学級委員をしていた。僕は本当はそれがものすごく嫌だった。
 今までの先生だと多数決で決めていたようなことも、小宮先生は少数派の意見はなぜ良くないのかを考えなさいという人だった。今までのように多数決で多い意見に合わせるとかは通じなかった。なぜダメなのか?誰がこの意見に反対してるのか?なぜ反対しているのか?と言った自分の意見を、ものすごく詳しく説明しないといけなくって、それを求められてた。「なぜ学級委員やのにそれを指摘せえへんねん!」とかいってくるような、今まで出会ったことのない大人だった。それをぼくは真剣に捉えてしまっていて、その先生に好かれたいというわけではないのだけど、なんとか答えようと一生懸命考えていた。

 その一方では、家に帰るとどちらかといえば既成の常識を重んじているお父ちゃんの言うことが絶対な状況で、「なにを、あんな先生の言うことを聞いてるんや!あんなもん若造やないか!」と言われ、小宮先生の考え方に惹かれている自分の心のやり場に悩まされた。どうにか先生の考え方に応えたいと色々と考えているうちに、ホームルームで震えるようになりなにもできなくなってしまった。なにか応えないといけないのだけれど、自分の思ったこと、感じたことを応えないといけなかったのだけれど、”自分の答”としてなにも応えることができなくなってしまった。結局「皆さんはどう思いますか?」というような今までの先生と間ででやってきたような、自分の意見を言うことよりも、みんなの意見をまとめていくようなことをするしかなかった。それでも小宮先生に自分の意見で応えようとはしていて、そのことが、すごく重荷になっていた。

 僕自身は小宮先生の考えかたには共感していて、そうありたいとは思っていいたのだけど、どうすれば先生のような考え方で捉えることができ、先生のように意見することができるのかがわからなかった。そんな自分のなかで起きていることを消化して振る舞うことが全くできないことにすごく悩んでいた。そんな小宮先生との二年間は、どういうふうに答えを出そうかばかりを考えていた。だけど、その答えの自分の意見は、自分の中からは全く出てこなくって、どういうふうに答えればよいのかということを四六時中、自問自答していた。次第に僕の頭の中はその事でいっぱいになりはじめ、学校での行事のようなやることが決まっているようなときでも、学級委員として自分の意見を言わないといけないと思ってしまいあたふたしていた。そんな僕の中で起きていることなんて関係ないクラスメイトからは「なにしてんねん!」といわれることになった。そんな事で泣くに泣けないし、黙っていることしか出来なくって、つい先日の吉本の騒動の社長みたいな感じになっていた。
 そんな状況が辛くて中学校はみんなと違うところに行きたいとさえ思うようになり、同じ学区内の一番良いとされている中高大一環の学校なら越境というカタチにならずに行くことができるので、そんな事も考えていたのでますます勉強をするようになった。

 結局のところ中学校はみんなと同じところへ行くことになり小学校のことを引きずったまま、なにもできないままの自分だった。小宮先生とは離れ怒られることもなく、それなりに振る舞ってはいたのだけれど、「これは違う!これ、もし小宮先生に聞かれたら怒られるわ!」と思っていた。小学校の延長のように中学校3年間も学級委員をすることになり、友達からも慕われていたのだけれどにボロクソに言われたりしていた。ボロクソに言われるのだけれど、勉強はできるし変に優しいから慕われたりと、なんか自分の中では凄く複雑なことになっていた。「こんなんちゃうねんけどな!」どちらかというと「ガリ勉くん」みたいないつも学級委員をやっていうような自分ではなく、天真爛漫にアホみたいなことを言っている頃の自分が、一番本当の自分なんやけどなって思っていた。


四章へつづく


一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった

※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。


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