ケンタロ 無為青写真/ムイアオジャシン
アナタの人生を取材させてもらって、断片化された記憶を物語としてひとつなぎにします。見えにくかったアナタの大切なことを浮き彫りにして、今より少しでも毎日が楽しく過ごせるように応援します。
建築で人を幸せに出来るかもしれないと夢見た僕が、大切な人も幸せに出来ずに挫折するなか、大切な人との幸せとはを問いながら歩み始めたお話の後編です。 家庭を少しでも良くするために、朝早くに家を出て終電で返ってくるような生活をしていたのに、その生活自体は決して望んでいたわけではないのに、それが原因で家庭を潰してしまうなんて僕には全くなにも納得できることがなく、今までなにをやってきたんだとそれまでやってきたことを悔やんだ。悔やんでも過去には戻れないが悔やんだ。 そして、家族も
建築で人を幸せに出来るかもしれないと夢見た僕が、大切な人も幸せに出来ずに挫折するなか、大切な人との幸せとはを問いながら歩み始めたお話の前編です。 たまたま、妻が来ていた夏の夜に流星群が接近しているようだったので二人で椅子を並べて空を眺めることにした。淡路島の山奥は本当に真っ暗で、夜空はプラネタリュームのようだった。ほんとうに流れ星が見ることができ「あっ、また見れた!」と二人でこんな時間を過ごせたのはいついらいだろうと思いながら「年をとってご飯でも食べながら、なんだかん
三章 納得出来ない環境と納得出来ない評価 勤めていた会社を退職した後、母型の叔母が経営している喫茶店でバイトすることにした。それは、カフェとは程遠い「喫茶店」VS「カフェ」との対比からイメージされるようなものだ。しかし、叔母は他の場所でスナックをしたいから、この喫茶店は私に譲ってくれると話をしてくれた。友達もよく来てくれて楽しく過ごすことができ、それなりに私の「カフェをやりたい!」という気持ちも満たしてくれた。 私なりに店の雰囲気をカフェ風に模様替えしていったのだが、叔
二章 納得できる環境と納得出来ない評価 高校生3年になり進路のことを決めないといけないタイミングがやってきた。その時はカリスマ美容師という言葉が流行った時で美容学校へいきたいという人も多く、その中には野球部の男子もいたりで違和感しか感じなかった。進学校ということもあり同級生の大半は大学や短大へ進学するといっていた。とりあえず進学?とりあえずってなんなんだと、やはり違和感しか感じられなく進学はしないと決めた。カフェや雑貨屋に憧れはあったが、高卒でそういったところで受け入れて
十三章 答えのないコタエ 自分で色々と考えてみた結論としては、今のままでいいということだった。「満たされてるやん!先生でもあるし、生徒もいる。」確かに一年で卒業させるということは、どうにも出来ないし、卒業後のことは自分で頑張ってもらうしかないけれど。給料ももらうことが出来て、家庭も趣味ももっている。やりたいことということであれば、今で十分だと思った。そうなんだけど人前に出て「どうしたい?」と聞かれると思っていることを勢いに任せて大風呂敷を広げてしまい「こうでなきゃ」と熱弁
十二章 試される覚悟 今村さんは70歳になったら引退するような話をしていて、誰かに継いでほしいとも思っていたようだった。そして、継いでもらうならオレしかいないと思ってくれているようで、なんなら みずほさんと一緒にやらないか?とも考えてくれているようだった。憧れて尊敬している師匠の今村さんに、そんなふうに思われていることは、この上なくありがたいことだった。その話を聞いてから学校を辞めて引き継ぐ。指導員を辞めてもう一度職人に戻る。人を雇うために引き継いだ家具屋を法人化するほう
十一章 現実の世界で 家具の師匠の今村さんのもとに工務店に勤めていた20代の女性が弟子入りしたいと来たということで、オレが勤める技術学校を紹介したということを、忘年会の席で聞いていた。そのような席で聞いた話は完全に忘れてしまっていたのだが、次の春になると、みずほという女子生徒がいて今村さんに紹介されて入学したということだった。みずほさんは前職の工務店では朱美先生と付き合いがあったり、他にもたくさん木工をやっていたときにつながっていた人たちと関わりがあり、不思議な縁と今村さ
十章 伏線の回収 聖書には「求めろ」とあり、必ず信じたものには願ったものを叶えると、だから「祈れ」と書いてあった。それで祈ってみるかと思い「仕事辞めたいです。他に何かやる事ないですかと?」と祈ってみた。すると不思議なことに技術学校の指導員募集の情報が目についた。「これですか?手放したモノを全て生徒に譲ります。」と思い指導員になることを決めた。 そして、「ぼくでも受けれますか?」と応募資格などを確認した。経歴は10年以上の実務経験ということだったのだが、ちょうどその年で10
九章 手からこぼれ落ちる瞬間 山下さんは最初からクリスチャンになるようにとは勧めてはこなかったのだけれど、何年かしてから「そろそろ、どう?」というようなことを言ってきた。洗礼のことだ。 オレも聖書は読んでいたけれど信仰ってなんなんだ?洗礼を受けるということはどういうことなのか?なぜ洗礼を受けなければいけないのか?洗礼を受けるとどうなるのか?神様を信じるということはどういうことなのか?聖書に書いているお話は読んで理解できるけれど、言葉そのものを実感としては持てていなかった
八章 苛立ちのコタエ 家具屋をやっていく中で人との関係性が親密になっていき出会った人が、手作り作家を応援するNPOにいた山下さんだった。彼は小学校の先生でありアーティストでもありクリスチャンでもあった。目の前の子供のためにしたいと思うことが明確で、すごく良い授業をしていた。山下さんの学校へ行き木工教室をしたり、音楽やライブもしていたのでCDジャケットを作らせてもらったりしていくうちにどんどん距離は縮まっていった。そんなある日、日曜の集会に教会へ来ないかと誘われて行くことに
七章 うつろいながら濃くなる 30台から40代というと自分で家具屋をしていた時期でオレにとってはガラッと人生が変わった 時期だった。それまでの写真をやっていたり写真の専門学校で教員していた頃から、組織の看板を背負って、どこどこの誰々さんみたいなことではなく、自分一人で自分と誰々のというような人間関係を求めていたように思う。それと教員という仕事に、没頭すればするほど希薄になっていく家庭や日常。その時期に離婚もしてしまった。 そういうこともあり、やはり一人家で仕事をしていて
六章 他人の目線の奥(後編) 写真の専門学校で教員をしていた時はとにかく野心に燃え、自分が育てたスターを世に出したいと思っていた。その当時の写真界のありかたといえば、有名な写真家が何人かいて、そういう人に教えてもらったとか、写真で有名な大学が数校あり、そこで学んだとかいう血筋というか血統みたいなものが重要だった。そして誰々のスタジオから独立しましたというようなことで偉くなれたりしていた。 そしてそういう人たちの写真がいいと言われたりしていた。そういった大御所も確かにいて
五章 他人の目線の奥(前編) 芸大を卒業してしばらくブラブラしていたある日、ゼミでお世話になった内原先生から連絡が入った。知り合いの写真家が助手を募集しているから行ってみないかということだった。その写真家は世界的にも有名で世界の文化遺産を撮影してまわっていて特に中東など得意なところはアフガニスタンやトルコなどだった。 シルクロードの仕事が有名で、その最終地点の日本を晩年のライフワークにしたいと帰国しているということだった。ということから助手が必要となりオレにお声がかかった
四章 広がる世界 狭まる現実 芸大の写真部に入学し教師になるという夢にも破れ、もう写真を頑張ってやろうと思ってスタートした大学生活。サークルの探検部に夢中になり旅とかが好きなった。バイトをしてお金を貯めては旅をして、バイクも好きだったから海外でバイクツーリングをしたりしていた。探検部の本村は、はじめて二人でオーストラリアにも行った相棒で精神世界のことが詳しくて影響を受けていた。おなじ探検部の女性の先輩の相田にいたっては、かなりディープな精神世界に詳しい人で、心理学や精神分
三章 想いとはちぐはぐな思い 高校生になっても理系へ進んでいたのだけど、数学や物理は全く頭に入ってこないなか教育の本などは読んでいて想いは膨らんでいった。しかし学力がついていかなくなったのと同時にバイクと麻雀を覚えてしまった。バイクの免許を取得できる年齢になるなり免許をとりバイクも買った。 友人が麻雀をやりたいというので、その友人のところへ行って麻雀をやっていたのだけど、学校でもやりたいということになり、どこかできる場所がないかと探した。校舎の本館ではなく分館が校舎から
十章 新たなスタートと終わり(後編) 40代の10年間はお父ちゃんとの関わりだけでなく、人との関わりも同じように良くなっていった。そこには沢田さんの存在があって、沢田さんがきっかけで出会った人たちが沢山いた。そんな仕事で知り合った人とも自転車屋となってからも関係なくつながっていることが出来て、そんな人たちの支えのある中でお父ちゃんとの関係は良くなり、お父ちゃんとの関係が良くなったことで、人との関わりも良くなっていた。 お祭りで有名な地域だから同級生とも付き合いは続い