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あんとき ゆうたぁるやろ 一章

「お父さん。私、鉄工所を継ごうか?」
父からは即答で返事が返ってきた。
「いらん!オレは好きな事をできひんかったから。お前は好きな事をやれ!」  

一章 納得できる環境と納得出来る評価
二章 納得できる環境と納得出来ない評価
三章 納得出来ない環境と納得出来ない評価
四章 輝くもの
五章 はじめの第一歩
六章 とりあえず
七章 父の姿勢
八章 許せない現実
九章 もう一つの顔
十章 理解のできないコトだらけ
十一章 知ってるけど知らない

一章 納得できる環境と納得出来る評価

 子供の頃の私は、今しか知らない人には想像できないくらい絵に描いたような女の子だった。父と母と姉、父型の祖父母、いつもぬいぐるみを抱いている末っ子の私は、家族全員から可愛がられていた。
 おとなしいながら、運動は得意だった私は走り回って遊ぶことも多かった。そんなある日、いつものように友達と走り回っている最中にコンクリートのでっぱりにスネをぶつけてしまい、骨折してしまった。そう、弁慶の泣き所。弁慶でも泣くところを骨折レベルで強打してしまったのだ。痛いに違いない。いや、想像を絶する痛みだった。そして、すぐに近所の外科病院に連れていってもらい処置をしてもらうことになった。
 その時はブルマをはいていたので、ブルマごしにパンツまでハサミで裁断されギブスをされると言う、なんとも手荒なTVさながらの緊急処置を施された。そして、まだ小さかった私を気遣ってか、入院レベルの状況にもかかわらず先生は自宅療養を進めてきたので、家に帰ることになった。そして自宅での家族総出の完全介護生活が始まった。
 トイレはもちろん自分では出来ず、2階の部屋から階段を降りるなんて当然無理な状況。そんな中、器用だった祖父が私専用のミコシのようなモノを作ってくれて、それに乗って上がり下りをしていた。あの時は、どうにも出来ないながら面倒をかけまくったと、感謝につきる。
 時代背景もあるが、ある日なぜか私と姉はアパートの貯水タンクの上で飛び跳ねていた。なぜ貯水タンクの上だったのか?なぜそこに上がれたのか?は自分でもわからないが、とにかく貯水タンクの上で姉とぴょんぴょん飛び跳ねていた。子供の頃はなぜあんなことで楽しめたのだろうか、とにかく楽しくてぴょんぴょん飛び跳ねた。しばらく続けていると、着地までの時間が長い瞬間があった。そしてドンと言う音とともに激痛が走り、私はギャン泣きしていた。
 少しずつ後ろ向きに進んでいて貯水タンクの端まで行き、そこから飛び降りたのだ。正確には落ちたのだが。子供の頃の集中力には我ながら感心してしまう。そして、落ちた時に舌を噛んでしまった現場は地獄絵図と化し、姉は叫びながら親を呼びに行ったのだった。舌を父につかまれ3針縫われるというレア体験をした。
 おとなしく一人で本を読んでいるようなタイプながらこのようなお天馬っぷり。そんな私は小学校3年生にして人生最大のモテ期を迎えることになる。好きな女子イジメと言う、あるあるな小学生男子の愛情表現に、家の前に黙って立っていると言う謎の愛情表現。そして、お道具箱にパンパンに詰められたラブレター。大半はその、家の前に立ち尽くしていた男子で、内容なんて覚えていないが、みんなの私だった。

 中学生になり友達と一緒に塾に通うようになった。塾といえば学校以外に親公認で家から出て良いという、しかも夜に出て良いという大義名分だった。家を出てしまえばこっちのものだ、そう友達と一緒に公園でサボっていた。そして、サボる大義名分も持ち合わせていた、その友達と漫才の練習をしていたのだ。いわゆる「大阪の中学生、おもろいヤツだいたい漫才師目指す!」だ。残念ながらM-1に優勝して、このヒストリーを話す機会はなかったが、中学校ではおもろいヤツと頼られるヤツのセットのポジションを陣取っていた。

 高校に入ると、いわゆるクラブ紹介が行われた。その時に水泳部の紹介をしていた先輩男子が、あまりにもカッコよくキラキラ輝いて見え、私の視界からはその先輩男子以外は消えて無くなってしまった。そして私は迷う事なく水泳部のマネージャーとなった。しかし、その先輩は3年生で6月には引退という2カ月限定の人寄せパンダだったのだ。高校生のくせに詐欺まがいのことをするとはなかなかだと評価に値する。きっとそんな意図はなかったと思うが、私は詐欺にかかった感覚を覚えた。
 たった、2カ月限定の人寄せパンダの先輩だったのだが、私は可愛がられ、その先輩が大学へ進学しても、時折会うことがあった。先輩はバイクに乗っていて、モデル事務所のオーディションを受けるほどのビジュアル。さらに洋楽を沢山知っていながら流行りに関係なく、自分で良いモノを集めるコトができるようなセンスの持ち主だった。
 そんな先輩がバイクで家に迎えに来て「後ろに乗れよ!」と言ったり、先輩セレクトの洋楽が詰まったカセットテープを「聞けよ!」と渡されたりしていた。そこに入っていた曲は20年たった今でも好きなままだ。この状況からも私の胸の内は説明するまでもないだろう。ただ、先輩との関係はこれ以上でも、これ以下でもなかった。

二章へつづく

※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。

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