わたぼうしのとぶころに 一章
一章 無味無臭への苛立ち
洗礼を受けた日の、ぼぉっとしてる頭で家へ帰ってきて、
「受けちゃったなぁ」って思いながら、
ふと庭から空を見上げると月が出ていた。
そのときの月のかけかたは、オレの生まれた日の月齢だった。
「わっ神様おるはコレっ」と思った。
「わからん、わからん」と言っている頭の悪いオレにどうやって
伝えたらいいんだろうかと思ったのだろうか。
何気なく受けますといったその日が、
29日毎に巡ってくるオレの生まれた日の月齢だった
目次
無味無臭への苛立ち
幼少期、オレは父親と母親、そして妹との4人家族の中で育った。きっと特別、良い家族でも悪い家族でもなかったのだろう。いわゆる普通の家族だった。
父親は布地の工場に勤務をしていた後、中華麺を作っている製麺所へ勤め工場長になっていたと思う。そのあと、その製麺所で作った中華麺を納めている中華屋さんで、修行をするということになり、そこの暖簾分けだったり、そこへ就職するのかと思っていたら、そうではなくてフランチャイズのラーメン店を開業するということだった。自己資金が少なくて済むからということだったけれど、結局フランチャイズだから売上の内何割かは渡さないといけなかった。商売が下手だったように思うので、フランチャイズのような形態をとるほうが向いていたのかもしれないけど、正直「そんなこだわりのないラーメン屋なのかよ?!」と思っていた。
それと父親は仕事以外に常に関心があるように感じていた。仕事はむしろ割り切って収入を得るためと思っていたのだろうか。政治活動などに興味があったのか、選挙があるとなれば応援だったりビラ配りに出かけたりしていた。もしかすると生活とか面倒くさかったのかもしれない。
母親は感情の起伏がすごくて子供の前でも 「わんわん」と泣くような、少し傷つくととじこもってしまうような人。だけど、オレがなにかしたいっていうと、あまり否定はしなかった。
家族での企画はつねに母親で、父親はほとんど家にいなくて母親と妹とっていうのは生活。だけど共働きでないと収入が少なかったので、母親は常にパートへ出かけていたので、両親はあんまり家にいなかった。
父親はオレと妹が起きる前の朝早くに家を出ていき、オレと妹が学校から帰ってくる頃に母親がパートへ出て行く。その頃に父親が帰ってきて飯を食って寝るまで新聞を読んだりゴロゴロしている横で、オレと妹はテレビ見てすごした。そして母親が朝方に帰ってきて、父親が出ていくというような毎日を過ごしていた幼少期だった。
それが普通だとは子供心には感じていたけれど、嫌だという感情は時々爆発していた。ある夜に両親ともに不在の時があり、そんなときに限って妹になにかトラブルがあった。その時にオレは、どうすればいいのかがわからなくて、なにも出来なかった。そして母親が朝方に帰ってきたときに、「なんでいないんだって!」めちゃくちゃに怒った記憶がある。
まず父親からはあまり関心を持たれてないように感じていたし、愛されたという記憶はないかな。母親からも聞き分けの良い方ではなかったオレは、時折衝突もしていたし迷惑がられていたかも知れない。
いま思えばもっと親から影響を受けたかったのかもしれない。そうだったら耐えられなかったかもしれないけれど厳格な父親ではなかったし、将来のことを考え始めた頃に、例えば伝統工芸のようなことだったり世襲制みたいな仕事をしていて、明らかに自分はこうするしかないというような、レールが敷かれたような人生。一生これをするんだという目的が見えているようなことに憧れたりしていた。
※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?