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一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった 六章
六章 お父ちゃんのいない世界
東京での社会人スタート。まだその頃はバブルの名残があって、いい時期ではあったけれどなんとなく「どうなるんだろう?」とは思っていた。そのころは実際の景気の変動の凄さは想像もしていなかった。
その当時はテレビでもまだ異質なものとして大阪弁が扱われていた頃なので、僕のリアルな大阪弁は受け入れられずウキにウキまくっていた。
その時の営業課長の杉田さんが直属の上司で、当時40歳くらいのまだまだ働き盛りで、勢いのあるころだったと思う。一番はじめに挨拶したとき、杉田さんは丁寧に挨拶してくれて「大阪からよく来てくれたね。よろしく!」といった感じだったのだけれど、僕はまだまだ生意気盛りでなめられてはいけないと思い、睨みを効かせて頭を下げずに顔を動かすような挨拶をした。きっとバカだなコイツって思われていたとは思うのだけれども、愛嬌はあったので嫌われることもなく少し不良っぽい子だなくらいに思われていたみたいだった。
営業で仕事をし始めたんだけれど、印刷会社だったので現場に色具合や文字などのチェックをして指示を出すことも仕事だった。その時も大阪弁で伝えていたものだから、「なんだよその大阪弁さ~。!それって敬語?」とかいうふうに嫌味を言われたりしていたのだけれど、心のなかでは「負けてたまるか」と思っていた。
お父ちゃんのいる大阪を離れたいと思っていたけれど、離れれば離れたで今までの自分が普通ではない扱いをされる、いわゆる洗礼のようなものを受けていた。
上司の杉田さんは親分肌で世話をしてくれたりときちんとしている人ではあるのだけれど、どちらかといえば破天荒な人で、「飲みに行くぞ!」となると銀座のママがいるようなお店に連れていってもらった。一年坊主の僕は「うわ~メッチャ綺麗!」と思いながら恐縮していた。それでいて結構ガラッパチな人だったんで、こつく程度だけれど殴るような人でもあった。
殴るとはいえ当然何もなく殴るわけがなく、僕は僕で殴られるようなこともしていた。仕事内容としては、先方から受けた仕事内容を現場に指示をして、印刷が上がってきたものを先方にお渡しするということだった。指示前に文章の誤字脱字がないかのチェックをする必要があったにもかかわらず、上がってきた印刷を先方に渡してしまい、その後誤字脱字が見つかったり。チェックはしたんだけど国語が苦手だった僕は見つけることが出来なくって結局チェックしていないのと一緒だったりと失敗を繰り返していた。おそらく金額でいうと何百万円も損害を出したと思う。得意先も3件くらい出入り禁止になってしまったりと自他共に最低な評価だった。僕なりには一生懸命やっていたんだけれどそんな状況が3年位続いた。
それで杉田さんにボロカスに怒られ殴られたりしていたのだけれど、長い目で見てくれていて僕のことを悪く思っている人のフォローまでしてくれていた。そんな杉田さんの気持ちにも応えないといけないと思っていた。また、そのころに5年で大阪に帰ることが出来るという話も出てきたので、このままでは終われないという想いもあり、他の人よりも2時間ほど早く出勤して前日のやったことのチェックだったり見直しをするようにした。そうすると自分でも間違いに気づくことが出来るようになりはじめ、誰より早く出勤していた杉田さんより早く来ていることも見てくれていたりと、少しずつ認めてもらえるようになった。そうしているうちに仕事は問題なくこなすことが出来るようになり、会社の人とも仲良くなり、それまでの3年間が嘘のように楽しい毎日を過ごすようになり始めた。
みんな可愛がってくれたこともあって野球部に参加をしたり、そこで現場の関西弁を嫌っていた人とも仲良くなることが出来ていた。さらには2年後輩の、事務で入ってきた上山さんとお付き合いをしたりと、一つ上手くいきだすとトントン拍子でうまくいくもんだなと感じていた。仕事も任されるようになり、上山さんともデートしたりと大阪に帰りたいという気持ちも薄れつつもあり、それまでのいろいろな悩みからの開放されるような感覚があった。
一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった
※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。