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家族を守るために「あるべき自分」

 建築で人を幸せに出来るかもしれないと夢見た僕が、大切な人も幸せに出来ずに挫折するなか、大切な人との幸せとはを問いながら歩み始めたお話の前編です。

 
たまたま、妻が来ていた夏の夜に流星群が接近しているようだったので二人で椅子を並べて空を眺めることにした。淡路島の山奥は本当に真っ暗で、夜空はプラネタリュームのようだった。ほんとうに流れ星が見ることができ「あっ、また見れた!」と二人でこんな時間を過ごせたのはいついらいだろうと思いながら「年をとってご飯でも食べながら、なんだかんだ楽しい人生やったねって話てたいね」と話しをしたりしていた。


そして、次の日に大阪へ戻り二人で役所へいき大好きな妻と離婚をした。

 

 僕は大工の親父とパートで働きながら家事をすべてこなしていた母の両親のもと、2人の妹の5人家族で育った。その頃はちょうどバブルの絶頂期で、親父は兄弟で会社を起こし裕福ではなかったものの、私立の大学付属高校へ行きそのまま大学へと通わせてもらっていた。なんとなく、親父が大工で建築の会社をやっていたから僕も建築系の学科へと進んだ。

 それまで特に大きな悩みを持つこともなくフワ~っと生きてきたのだけど、恩師と出会いなにか自分の未来が開けたような感覚でドキドキしていた。ちょうどその頃にバイト先で出会った妻となる女性と出会い付き合いだしていた。恩師から僕なりに受け取った建築とは、【自分】と【大切な人】と【大切なモノ】が響き合って、それぞれが輝いていられるシステムとしての器だった。そんな講義を受けながらその【大切な人】がイメージできたのは彼女と付き合っていたからで、それまでのフワ~っと生きてきた僕だったら恩師の言葉にも響かなかっただろと思う。20歳前後で僕にはとても大きな意識の転換期が訪れていた。

 恩師の言葉に感化されゼミも恩師のもとへ進むことになったのだけれど、学科で一番厳しいと言われていた環境に身をおいた途端に、それまでのフワ~っと生きてきたボロが次々とあらわになった。卒業研究も自分でも酷いものだと思う結果で、大学院へも進んだものの何も出来ず、醜すぎる自分自身に耐えることが出来ずに1年で退学をすることに。

 退学をしてしばらくは家でゴロゴロし、バイトが終わった彼女と合う毎日を過ごしていた。そんな僕を見かねた親父は自分の会社の仕事を手伝うようにといい、僕も特に何も考えずにそうすることにした。親父の会社も建設業ではあったがこの業界も幅広く、やはり建築に関わるのであれば家を自分の技術で建てる事ができる大工になりたいと思うようになった。それで、親父に相談をして住宅関係の大工の親方を紹介してもらいしばらく世話になることに。

 その親方のところである程度仕事を教わったあたりで、より自分の建てたいと思うような仕事をしている工務店の社長と出会うことができ、その工務店で働かせてもらうことになった。そこでは、まだ何も出来ない僕を棟梁(今だと大工の責任者)のポジションに立たせてくれて、そこに立つからこそ覚えることが出来ることを沢山させてもらうことができた。おかげで、大工を始めていた頃に憧れていたような建物も建てることが出来るようになり、大工としても頑張っていけると思っていた。

 親父の時代はそうだったから僕も大工の技術を身につけることができれば、家族を養うことができるだけのお金は稼ぐことが出来ると思い、家に帰ってからも刃物を研いだり、大工仕事の本を読んだりしていた。大工としての技術はある程度身につけることはできたのだが、だからお金を稼ぐことが出来るかというと、そうではないという現実は僕も例外とはしてはくれなかった。

 その後、ある会社で大工として正社員になり、さらにその後、別の工務店の現場監督として正社員として働くことになった。仕事内容としてはそれまでで一番憧れていた建物に近いものだったし、給料もそれまでで一番もらうことが出来ていた。社長とも上手く付き合うことが出来ていたし、本心から会社を良くしようと仕事を頑張っていた。そしてこのまま頑張れば、今度こそ家庭を十分に養うことが出来るイメージが出来ていた。

 そんな、まだまだより一層頑張ろうと思っていた最中に妻が原因がわからない女性としては大変な病を患うことになった。僕も出来る限りのことを考え、調べて、知人の女性に相談し行動をしたけれど妻の症状が和らいでいくにつれて関係はみるみるうちに悪くなっていった。そして妻との会話の間には常に離婚という言葉が背景にあるような状況になっていった。

 そう、ここまで読んでいただけた方はすごく違和感を感じていただけているはず。結婚していたんだ?と。僕はそれくらい仕事と建築の技術を身につけることに時間のほとんどを費やし、家庭も子育てもほったらかしにしていた。子供も2人いる。色んな人から家庭の匂いがしないと言われていた。それは妻からも。

 仕事を頑張って少しでも生活が裕福になれば妻も子供も幸せにすることが出来ると全く疑っていなかった。しかし、妻が病を患ったのは明らかに僕が全く家庭に関わらなかった、もっと言えば正論で片付け全く寄り添わず邪魔でしかなかったことが原因で、それをすべて引き受けてしまったからだと実感していた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

後編に続く

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