わたぼうしのとぶころに 十章
十章 伏線の回収
聖書には「求めろ」とあり、必ず信じたものには願ったものを叶えると、だから「祈れ」と書いてあった。それで祈ってみるかと思い「仕事辞めたいです。他に何かやる事ないですかと?」と祈ってみた。すると不思議なことに技術学校の指導員募集の情報が目についた。「これですか?手放したモノを全て生徒に譲ります。」と思い指導員になることを決めた。
そして、「ぼくでも受けれますか?」と応募資格などを確認した。経歴は10年以上の実務経験ということだったのだが、ちょうどその年で10年目。募集があったのが10月で、翌年の3月で今村さんのところを卒業してちょうど10年目だった。とりあえず書類を送り、3月に指導員免許を取るということを条件に採用ということになった。そして指導員免許も無事に取得でき4月から採用となった。
指導員になるときに転機かなと思った。それまで自分の人生は色々と思い通りにいかなかったり挫折したり教師にもなれないのだと諦めたりなど、宇陽曲折してきたように思っていた。指導員になるということに関して、巡り合わせみたいなもので自分が選ぶというよりは与えられたという感覚で着いた仕事だった。そしてその時にいろいろな所により道はしてきたかもしれないけれど、それも必然だったとしてすべて肯定される感覚があった。だから自分が十代の頃に先生になりたいと思った発想や、それが叶わずに写真の道に進みその中で先生になったこと。写真をやっていたからこそ出会えた人。その人のお陰で家具の道に入ったこと。家具の道に入ることでやはりまた先生から遠のいたこと。専門学校を辞めて家具の道に入り、もう組織ではなく一人の人間として生きていくと思っていたのに、今村さんから紹介された大学で講師をすることになったときは「あ~また先生してるわ!」と思ったと同時に、やはり先生をしたいしたいという欲求も溜まっていると感じた。
そんな中での指導員募集の話。そのためには家具の技術と10年という実績が必要で、写真の専門学校の教員を辞めてからの10年がなければ指導員にはなれなかったっていうことだった。人に対して働きたいという思いであったり、自分がいて欲しいと思うような先生になりということを、ある意味全て満たされたのが技術学校の指導員の仕事だった。
※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。
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