一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった 一章
一章 僕といえば
公民館の裏に来いと呼び出され「さあしょうか!」と言われた。
その子には負けるとは思っていなかったんだけど、
その子には上級生の子が2人ついてきていて
「喧嘩せえ!俺らが見届けたるわ!」と言い迫ってきている。
僕は「嫌や!」と断った。
別にその子には負けないし喧嘩をしても良かったんだけれど、
勝っても絶対にその上級生の2人がかかってくることはわかっているし、
そんなふうにボコボコにされるのも嫌だった。
だから僕は「喧嘩したら、お父ちゃんに怒られんねん!」と言い逃れをし
喧嘩をしなくていいようにした。
そうすると「こっちの勝ち!」と言い始め僕が逃げたかのように扱われてしまい、
めちゃくちゃ悔しかった。
悔しくて悔しくてしばらくその場から離れることができなかった。
握った拳は爪が手のひらに刺さりそうなくらい握り込まれて、
怒りなのかなんなのかわからないけれど
肩の震えがおさまらず一人立ち尽くしていた。
目次
一章 僕といえば
二章 僕そんなんとちゃうねんけど(前編)
三章 僕そんなんとちゃうねんけど(後編)
四章 ちょっとあっちへ
五章 僕なりの一歩目
六章 お父ちゃんのいない世界
七章 再出発
八章 過去からの贈り物
九章 新たなスタートと終わり(前編)
十章 新たなスタートと終わり(後編)
僕といえば
僕は大阪の泉南地域のお祭りの有名な地域で生まれ育った。そこで、お父ちゃんとお母ちゃん、弟に妹、そしてお爺ちゃん、お婆ちゃんとなんの不安もなく暮らしていた。
家は自転車屋をしていて、当時すごく忙しかったからお父ちゃんもお母ちゃんも店に出ずっぱり。お母ちゃんはお母ちゃんで、家の用事もあったから、それをお婆ちゃんはサポートし、僕ら兄弟の世話はお婆ちゃんがしてくれていた。保育園の送り迎え、休みの日になったら、駅前のニチイの屋上(今でいうイオンのようなお店で、屋上にはプレイランドような施設があった。)に連れて行ってもらったり、夜にテレビを見るのも一緒、お話をしてくれるのもお婆ちゃんで、とても密接な関係だったように思う。
時代は昭和40年代の高度成長期の頃で、近所には団地が建ち並び始めていた。そこにはお父さんがスーツを着て仕事に出かけるようなサラリーマンの家庭が多く暮らしていて、ウチのような商店街で商売をしているような家庭とは、子供心ながらにその家と自分の家とは何か違うように感じていた。
僕は家ではいつも絵を描いていたような子で、お母ちゃんからは心配されていたのか「そとで遊んどいでよ!」といわれたりしていた。その頃の僕は、同級生と比べると身長は大きな方で少しポッチャリしていたからか保育園の友達から「しろぶた〜」とからかわれていた。そうやって「しろぶた〜」とかって言ってくるのはだいたい団地の子たちで、勝手な妄想かもしれないけど「友達になってくれへんもん!」みたいな感じに思っていた。
だけど「ちょこちょこしやがって」とか思ったりしてた。普通そういうことを言われたら「シュン!」となったり、「いじめられた~!」と泣いたりするのかもしれないけれど、僕は体も大きかったし強かったから、そういう奴らを追いかけ回したりとか、首根っこつかまえたりだとか、髪の毛をひっぱったりとかしていたから、負けているとは思ったことはなかった。
ただそういうふうに言われることが、ものすごく悲しかった。僕は絶対にそんな人が傷つくようなことは言わなかったし、誰かをイジメたりだとか「〇〇に似ている!」とかってバカにするようなことは言ったことがなかった。僕は他の子たちをバカにしたりからかったりしないのに、周りの子たちが僕のことをバカにしたりからかったりしてくることが悲しかった。
外に遊びに行くとそういうふうにからかわれたりするから「できないねん!」と言ってみたり、その「できないねん!」って言っている自分を親に見せてちょっと甘えているようなところもあった。「かわいそうに!」とか「大丈夫?」とかって言われたい気持ちも少しあって、「あかんねん。。。」とか言って、「よしよし!」とか言ってほしかったのかもしれない。決して「よしよし!」とは言ってくれなかったんだけれど、家族は優しい気持ちでは接してくれていたから、安心してずっと家で絵ばかりを描いていた。
絵はその頃からすごく得意で、布団のよこで寝る直前まで画用紙を広げ、その日にあったことなどを絵に描いたりしていた。そして想像で「ココにおもちゃあって!」「こいつとこいつが、こう戦って!」だとか「向こうからあいつが攻めてきて!」「仲良くココでなって!」というようなことを、自分とまわりにある玩具をもとに描いていた。このように、こうだったらいいのになと想像することが楽しかった。それが日課のようになっていて、そうすることで自分の気持ちも落ち着いていた。
小学校2年生くらいまでは勉強なんて全くしていなかった。学校へ行ってもおなじクラスの友達と話をし、授業中でも後ろを向いて話をしたりするような子供だった。勉強しなくたってお父ちゃんもお母ちゃんも怒らなかった。そのころ家業の自転車屋も軌道に乗りだし、金銭的にも余裕があったのか新築の家が建てられた。その家の壁にたくさんの落書きをしても全く怒られることはなかった。
その当時、唯一仲が良かった友達の稲葉くんは保育園の頃から毎日のように一緒に遊んで走り回っていた。稲葉くんは僕とは全く違い、喧嘩が凄く強かった。だけど2人が喧嘩になるようなことはなく、僕自身は稲葉くんのことを強いと思ったことはなかった。腹が立ったら稲葉くんの髪の毛をひっぱったりしていたので、どちらかが上という関係でもなかった。 稲葉くんのお父さんは、大企業に勤めるサラリーマンで新しくできた団地に住んでいた。それでいて、凄く喧嘩が強くてまわりからは「あの稲葉め~」みたいな感じで少し嫌がられていた。僕にはまわりのみんなが稲葉くんのことを、なぜそんなふうに言うのかが全然わからなかった。稲葉くんにイジメられたとか、殴られただったりの恨みをかっているようなことを耳にはしていたのだけど、僕やまわりの友達がそんなことをされているところを見たことはなかった。もしかすると稲葉くんとではなく他の友達と一緒にいて、違った関わり方をしていたら、また違ったように映っていたかもしれない。だけど、いつも隣りにいたからそんな悪いふうに思ったことはなかった。
ただ、稲葉くんが友達を殴ったとか言われ、彼のお母さんが呼ばれたりたりしていた。そこへ僕も一緒にいたと言われ、ウチのお母ちゃんも呼ばれて謝りに行くことはあった。もう何がホントかどうかの確認はできないけれど、自分の見ている世界とはまた別の大人の世界を垣間見たように思っていた。なにか起きると「こんな感じになるんや!」と子供心ながらに感じたりしていた。
そんな事もあったけれど基本的には「ほんまアホ!」みたいに天真爛漫に遊んでいて、悪いこともしなかったし友達同士でも楽しい事ばかりだった。
一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった
※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。
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