一周回ってからの同じ景色は ぜんぜんちがうかった 十章
十章 新たなスタートと終わり(後編)
40代の10年間はお父ちゃんとの関わりだけでなく、人との関わりも同じように良くなっていった。そこには沢田さんの存在があって、沢田さんがきっかけで出会った人たちが沢山いた。そんな仕事で知り合った人とも自転車屋となってからも関係なくつながっていることが出来て、そんな人たちの支えのある中でお父ちゃんとの関係は良くなり、お父ちゃんとの関係が良くなったことで、人との関わりも良くなっていた。
お祭りで有名な地域だから同級生とも付き合いは続いていいて、その中には公民館に呼び出していきた奴もいた。今ではそんなことは昔のことで覚えていないかもしれないし、応援してくれていて自転車を買ってくれたりしている。
なかなかすんなり来たとは思えない人生で、自転車屋としても経歴で言えば浅いかもしれない。だけどすんなりとは来ていないからこそ、そんないろんな経験を積んだからこその僕を活かした自転車屋をやろうと思っている。テクノロジーの進化だったりは自然なことだろうし、その時代時代の人との関わり方もあるだろうから、逆らおうとも思わないし受け入れていこうとは思っている。とわいえ、人と人が直に関わり合うような中で生きてきた僕のままでいようとは思っている。
今はなんだかんだですごく幸せに感じている。お父ちゃんはお父ちゃんで良かれと思って「勉強せえ!」と言ってくれてたのだろう。きっとそうすれば僕の人生は良くなると思ったのだろう。そしてそんな息子を育てた自分も人から評価されると思っていたのだろう。勉強しないとスーツを着るような仕事ができないといわれ、スーツを着て仕事をしてみたけれど、なにも変らず僕は僕のままだった。高度成長期の目まぐるしく環境が変わる中で、お父ちゃんもついていかないといけないと思ったのかもしれない。そんなふうにどこかの誰かがが良いと思うかもしれない人生より、お父ちゃんが生涯をかけてやってきたことと、それを受け継いでやっている僕を認めてくれ、それを今やっていけていることが何よりも幸せに感じる。自分が良いと思ったことをやれていることが幸せなのかもしれない。
そして今もあの公民館の記憶も鮮明に残っている。
公民館の裏に来いと呼び出され「さあしょうか!」と言われた。
その子には負けるとは思っていなかったんだけど、
その子には上級生の子が2人ついてきていて
「喧嘩せえ!俺らが見届けたるわ!」と言い迫ってきている。
僕は「嫌や!」と断った。
別にその子には負けないし喧嘩をしても良かったんだけれど、
勝っても絶対にその上級生の2人がかかってくることはわかっているし、
そんなふうにボコボコにされるのも嫌だった。
だから僕は「喧嘩したら、お父ちゃんに怒られんねん!」と言い逃れをし
喧嘩をしなくていいようにした。
そうすると「こっちの勝ち!」と言い始め僕が逃げたかのように扱われてしまい、
めちゃくちゃ悔しかった。
悔しくて悔しくてしばらくその場から離れることができなかった。
握った拳は爪が手のひらに刺さりそうなくらい握り込まれて、
怒りなのかなんなのかわからないけれど
肩の震えがおさまらず一人立ち尽くしていた。
僕はそっと小さな自分に近づき目線を合わせ優しく声をかけた。
「ようしんぼうしたな。よう頑張った!」
上級生にボコボコにされても、喧嘩をして同級生に勝っていたらどうなっていたんだろう、僕の人生は変わっていたのかも、だったりと色々な葛藤はあったけれど、僕は喧嘩に勝ちたかったんじゃなくて、人を傷つけたくなかっただけだった。僕は負けたんじゃなくって自分の良いと思った行動をとっただけだったんだ。どこかの誰かが良いと思うような行動をとるのではなく、自分の本当にありたい自分の取るべき行動をとっただけだったんだ
そして僕は小さな自分の頭をなでながら言った。
「それでええねや!」
おわり
※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。
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