見出し画像

ムーンエイジ

わたしは今日、人生で一番ピンとくる映画に出会いました。
人間の一番柔らかいところを両腕で抱きしめるような感覚。

昨日ふと仕事終わり飲みに行ったバーでパッとでたあるナイトショーの話題。
それについて多く語った訳でもない。

次の日6時起きだし、苦手な人と勤務被ってるし、仕事興味ないし、ぴーひゃらぴーひゃら...
ゆっくり寝てから仕事行きたい、ガチで。

でも、ムーンエイジは弾けるみたいに体クネクネさせて体の窓という窓の隙間から流れていく勢いで暴れてる。

その場である種の予言をしてるみたいな気持ちになりました。

「うわ〜、わたし行くんだろうな」
少し怠惰だけどそこに迷いはない。

映画の中で一番ぐっときたのは、
あなたは何を信仰している?と聞かれたときに
「人生。」と答えたあの人の、満ち足りた(瞳の奥に怯えがある)表情でした。
ありゃもはや映画でもなんでもなく宗教だとさえ思いました。

今日はこれから先忘れられない人生の大事な場面。
そういうことってある日偶然のようにフッと現れる。
脈略なんてなく、もとから起こることが決まってたみたいに。

それこそが必然だろう。
その必然に誘う役割なのがムーンエイジなのだろう。
これ!と思えばもうそれ(語彙力)なのです。

神とかそういうものは信じてませんが、宇宙の引力みたいな、不思議な力ってきっとある。

とても動物的であって、
ここでは体はただの肉塊で、その中の魂がムーンエイジなんじゃないか、と思ってます。
どっちもわたしだけど、より本質的で神秘的なのがムーンエイジ、みたいな。

時々ある心踊る瞬間は、ムーンエイジの仕業であり、
どのような人がわたしに何を言おうと、
仕業が起きた時に己で価値や道を定めていく。
だからいつも、心に小骨が刺さったら、
「助言ありがとう。お前が決めんな。」ってひっそり思ってます。

ある意味チャンスみたいなそれは、自分を信じていなければ逃げてしまう、猫みたいにすぐどっか行く。
わたしはその時、己信じて選択するために、
まずは自分を愛そうときめた(超最近)。

愛するって中々難しくてな、今も傷に唾つけて治すみたいな感じでいる。
これをうまくやれないうちは側からみると痛い行為なんだろう。

でも堂々と痛く生きるがいい、と思う。
少しずつ、自由になれればいい。

ただ、痛く生きている間、自分が大切にしたい人を傷つけることもあると自覚しなければならない。

向き合いたくない、目を背けたい、心が痛いから。
でもそれを痛いと思うなら、これはわたしの可能性だと思う。
痛みは強みだ。痛みを感じられることそのものが尊い。

感じすぎると自律神経失調症みたいになってくので気をつけて。

今は自分を愛せるまでの過程を面白がっていたい。
たくさんの訓練をしたい。
生きたい。

そんなこんなで、家まで徒歩30分の最寄り駅に着いた。
ワタシ、気をつけて帰る。

布団に入ったなら安心して寝よう。
明日もたくましい私たちの人生のほんの一部です。

自分の柔らかい部分を抱きしめて、信じていこうと思えた1日でした。
ムーンエイジ、これからもよろしくね。

それでは、またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?