サラリーマン・育児に加えて、なぜ地元での観光事業の起業を選んだのか
こんにちはこむぎです。
2024年2月に新たに法人登記して起業したのですが、サラリーマンとして働きながら、育児も始まった矢先になぜ地元での起業を選んだか?内省も踏まえてnoteに書きます(長いです)。
自己紹介
和歌山県和歌山市出身 和歌山県立桐蔭高校硬式野球部を卒業後、神戸大学経営学部を入学し、2017年新卒でリクルートに入社しました。
リクルートに入社後は人事採用担当、HR領域営業、同領域営業マネージャー、SaaS領域PMMと様々な業務に従事。毎日目まぐるしく働き、いろんな機会で成長させてもらいました。
元々は「人がイキイキと生きるきっかけを創る」仕事がしたいという想いでリクルートに入社。人事や新卒採用領域の営業として「働く」を支援する領域に関わってきましたが、今後は余暇の時間を通じて「明日からも頑張ろう」と思える場所も自分の手でデザインしたいと考えています。
サラリーマン兼起業というのは中途半端に思われるかもしれないですが、リクルートでも頑張りたい・育児も頑張りたい・自分がやりたいことにもチャレンジしたいという三つの想いを統合した結果、今の自分の選択になっています。やれるだけ、自分のエネルギーが持つ限り欲張ってみようと素直に思っています。
自身の働く目的に繋がった原体験
僕は0歳のときに両親が離婚し、シングルマザーの家庭で育つことを通して、「家族」だけでない人との関わり・組織で生きることの意味や環境の重要性を強く感じるようにりました。
また、近しい関係にある人の精神的な病気や死を経験していく中で、「幸福に生きる」「豊かに生きる」ことへの興味関心が強くなり、その想いがその後のリクルートの入社にも、今回の起業にも繋がっています。
熱意を持ってリクルートに入社した新卒時代
前提、僕はリクルートが大好きで、まだリクルートにも在籍しています(副業含めて容認してくれている会社には本当に感謝しています。)。
そんなリクルートとの出会いは大学3年生の秋ごろ、友達に人事との面談を紹介してもらったのがきっかけでした。
そこからの経緯を記載すると長くなりすぎるので割愛しますが、そのときにもらった問いかけで印象に残っていることが二つあります。
「あなたはなぜ成長したいのか?」
「そもそもあなたは何のために働くのか?」
当時はベンチャー企業でのインターン就活が流行り始めた時代で、多分に漏れず自分もITベンチャー企業を受けまくり、ある程度受かり、調子に乗っていました。大学生だった僕は「若い時期から裁量権をもって、とにかく成長したい!!」と息巻いていました。
上記の問いかけをもらって、自分の原体験や学生団体での経験を内省するにつれ、「人がイキイキと生きるきっかけを創ること」が仕事で実現できれば非常に嬉しいことで、人生の充実感を感じられる源泉になると考えました。
Follow Your Heartをビジョンに掲げ、「一人ひとりが、自分に素直に、自分で決める、自分らしい人生。本当に大切なことに夢中になれるとき、人や組織は、より良い未来を生み出せると信じています。」という理念に共感してすっきりした気持ちでリクルートに入社を決めました。
初期配属の採用の仕事は希望していた職務ではなかったですが、やっていくうちにのめりこむことができ、「自分の身の丈を超える人材」とたくさん出会い、仲間になってもらえたことで満足感のある2年弱でした。ただ、自分が一緒に働けるわけじゃない。それに加え、やっぱり事業側でお客様と仕事がしたかったこともあり、希望を出して営業に異動しました。
自信がついた営業時代。でもコトに本気になり切れなかった自分。
希望を出して異動してきた新卒HRの大手営業部門。「新卒HRの総合企画部」はひと昔前のリクルートの花形部署だったのですが、2010年代後半からは厳しい競合環境下で、売り上げ・利益が低迷していました。そんな苦しい状況の部署に飛び込んだ学生あがりで採用をやっていた僕。当初から日本を代表するナショナルクライアントを担当しましたが、なんの戦力にもならず売上は上がらない(冗談抜きで初めは売上0の期間もありました)。
売れない中ではいつくばっていた矢先、通称”リクナビ事件”が起こり、事業として本当にどん底に落ちました。
ただこの時に上司と一緒に営業をする中で「調子のいい事業で売るのは誰でもできるが、苦しいときに売って事業を支えるのは誰にでもできることじゃない。苦しい事業で売ったやつが本物。」と言われ、「希望を出して受け入れてもらったんやからここで逃げるな」とスイッチが入りました。
そこからは、顧客より顧客を考えることを信条として、一心不乱に働きました。一時は0だった売上は、年間で2億円程度まで向上させることができました。
この大手営業担当期間3年のうち、後半に入るとMVPやアワードという社内表彰を複数頂いたのですが、ふと強烈な違和感を感じます。
「人がイキイキと生きるきっかけを創ること」を働く目的に置いていた自分が、置かれた環境に順応していく中で「事業を支える自分」「大きな案件を受注している自分」「顧客と大きな案件を動かして、成長している自分」に目が向き始めていたことに気づきます。
忙しさや評価されることの優越感によって、知らない間に自分の物差しではなく、人の物差しで生きてしまっていました。
この「外に向いていたベクトルが知らぬ間に内に向いちゃった現象」に強烈な違和感を感じ、本気になっていたのは対コトではなく対自分なのではないか?と自分に問いかけたのが社会人4年目が終了するタイミングです。
人・組織に対して本気になれたリーダー/マネージャー時代
リクルート社内では「仕事の報酬は仕事」とよく言われます。
本当にいいタイミングで次のステップの仕事を任せてくれるのがリクルートのいいところ。
5年目の終わりからはマネージャー任用という機会に恵まれ、自分の仕事が個人単位から組織単位へと変わっていきました。
組織を預かったことによって「私たちは何のために仕事をするか」「何を目指す組織か」を強制的に言語化させてくれ、内に向き始めていたベクトルがもう一度外に向き始めました。
小さい頃からチームスポーツである野球部所属し、大学時代は学生団体の代表もやって、大学で専門として学んでいたのは組織行動論。チームで目的・目標を掲げて一緒に走ることが大好きな僕にとっては、マネージャー業は本当に天職と思うほど最高に楽しかったです。
当時預かっていたメンバーは半数以上が中途新人で、半数以上が年上でしたが、「何のために仕事をするか」を個々人がしっかり考え、お互いにぶつけ合い、事業戦略と統合しながら走ることのできる本当にいい仲間でした。
ただ一方で新卒HR事業は大きな転換期を迎えており、自分のキャリアも転機を迎えます。
内発的動機との接続に最も苦しんだSaaS領域PMM時代
7年目の4月に人事からはこれまで経験した人事や営業とはまったく異なる域、職種での異動を告げられました。
新しいことにチャレンジするのは好きなので、ワクワクしていましたが、今回は金融領域のSaaS事業への異動でこれまでとはわけが違いました。
まずビジネスサイクルや商慣習、顧客などなど全てがメディアサービスとは違いすぎる。
自分が人生で関わったこともなければ興味をもったこともなかった領域で、バリューを発揮できる自信もない職種で。初期は「働く意味」を持つのに相当苦しみました(置かれた場所で頑張りたいのはやまやまですが、僕にとってはこれが大事と再確認)。
空き時間は金融領域の本を読み漁り、海外も含めた市場環境を調べ、社内の詳しい人を紹介してもらい何度も相談し、やっと市場の構造が理解でき、自分自身が働く意味も事業に接続でき始めた矢先、第一子となる子どもが生まれました。
育児、そして内発的動機の見直し
異動して半年ちょっとで妻が出産を迎えることになりましたが、迷わず1年間の休みを取りました(溜まってた有休消化も含む)。
僕はシングルマザーの家庭で育ってきたので、父親と暮らしたことがありません。なので「良い父親とはなんだろう?」「育児って何がそこまで大変なんだろう?」「自分がしてきてもらったことってどんなことなんだろう?」自分が育児を主体者として実行し、感じ、考え、父親になる勉強をするために絶対に育休を取りたかった。
自分の目で子どもを見て、僕自身が感じることを大切にしたい。仕事があるからと言って、自分の人生の中での優先順位は間違えたくなかった。
(30歳手前の一般的な社会人キャリアとしては非常に重要な時期で取得することは勇気も必要でしたが、取得を後押ししてくれた会社・先輩・同僚には本当に感謝しています。)
そうしてこれまでリクルートで働いている中ではあまり余裕がなかった自分にとって、自動的に余白の時間ができ、考える時間もできました。
(今はリクルートにも復帰し、目まぐるしい日々です笑)
他のnoteでも書いたのですが、育児で子どもと向き合っていると、子どもを通して自分にも問いかける機会が増えます。
「僕はこの子のようにキラキラした目をしてるか」
「好奇心をもって何事にもトライできているか」
「この子にとってどんな存在でいたいか」
これらの問いに対して、有り余っている時間で日々向き合い続けました。
向き合うことで出てきた答えが、起業を通じて「人がイキイキと生きるきっかけとなる場所を僕自身が作る」でした。
このまま死んだら後悔する
色々書いてきましたが、今回起業を通じてまずチャレンジすることは地元和歌山での観光事業になります。
僕は旅行、サウナ、キャンプ、お酒が大好きで、その空間を共にする友人、家族との時間が最高に幸せだと思っています。
そういう最高に幸せな時間を過ごすことのできる空間を自分の手でデザインしたい。自分が作った場所を通じて「明日からも頑張ろう」と笑顔になれる人を増やしたい。数年前からこう思っていました。
「いつかは自分で場を作る事業をやりたい」と思っていましたが、日々の仕事の忙しさや順調に進むキャリアに自己満足して、実行には移せずにいました。
しかし、コロナをきっかけに社会の在り方が大きく変わり、今まで普通と思っていたことが普通ではなくなるということを痛感し、「このまま普通にサラリーマンとして過ごしていく人生で満足できるか?」という問いを自分に対して持つことになりました。
「今」という時間をより大切に、「挑戦したい」という気持ちに目を背けて先延ばしにせず、泥臭くてもいいからやりたいことに向き合ってみようと一歩を踏み出す決意をしました。
サラリーマンであり、パパでもある僕がもう一歩欲張って、明日死んでも後悔しない未来へ突き進んでいこうと決心しました。
人から見たら中途半端かもしれませんが、エネルギーある限り自分の欲求に素直に、「人がイキイキと生きるきっかけを全方位で創る」人生であり続けたいと思います。
以上、「サラリーマン・育児に加えて、なぜ地元での観光事業の起業を選んだのか」でした。
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