ヘルマン・ヘッセの詩 ~対話録15~

※ 雑文。会話調。

毎日10分くらいだけど、詩の朗読をやってるんだ。

へえ、どんな詩を読むの?

ベタで人気どころのをね。谷川俊太郎、茨木のり子、宮沢賢治、中原中也、ハイネ、リルケ……。

ビッグネームだね。

古本屋で安ければ知名度の低い人の詩集を買うこともあるけれど、まあ、こだわりはないかな。詩自体も好きなんだけど、それプラス声を出すこと、滑舌の練習って意味合いも大きいから。

そんなに滑舌、悪くないと思うけど?

別に日常生活に支障なんて全くないよ。まあ、趣味でね。人としゃべるのは好きだけど、仕事は人としゃべるタイプのじゃないから、その乖離を埋めようと。よくつっかえるから、声優さんやアナウンサーはすごいなぁとつくづく思うよ。あ、それと関係ないけど滑舌(かつぜつ)って言葉、なぜか変換できない。勝つ絶ってなる。

そんなに珍しい言葉でもないのに、不思議だねぇ。……詩かぁ。意味不明のも多いよね。

うん、なにを描写したのか訴えたのか、意味を掴みにくいものが結構ある。作者によっても差があるしね。さっき挙げた中だと茨木のり子のは比較的わかりやすい。左翼的なのが引っ掛かるけど、勝ち気で芯のある作風は好き。

金八先生のドラマでも取り上げられていたよね。懐かしいなぁ。

でね、今日は私の好きなヘルマン・ヘッセの詩をひとつ、紹介しようと思うんだ。

ほう、ぜひ聞かせておくれ。

では――――


少年の五月の歌


おとめらは

美しい花ぞのの中で遊ぶことができる。

金色の柵がまわりにある。

男の子らは

うらやましそうに柵のふちに立ってぬすみ見し、

あの中にはいれたら、と考える。


この美しい花ぞのの中は

清く明るい光にあふれ、

そこにいる人はみな心たのしげだ。

ぼくたち、男の子らは待たなければならない。

大きくなり、若い紳士になるまで、中にはいることはできない。


――――という詩なんだ。

ううむ、淡い恋心、ほのかに漂う性の目覚め? 男の子が何歳くらいなのかによっても受け取り方が違ってきそうだね。

私はね、この詩の中にごちうさっぽさを感じたんだよ。

え、どういうこと?

うん、私がごちうさを読んでる時の深層心理って、こんな感じなのかもなぁって。ココアちゃんたちと一緒になって遊びたいのかもなぁって。

あ、そういうこと。

ごちうさに対して、究極的にどうしたいかは人によって違うけれど、私はこれなのかな、と。ラビットハウスの観葉植物になって彼女たちに干渉せずにずっと眺めていたいのか、ティッピー的にちょっとだけ関わりたいのか、それとももっと輪の中に入りたいのか、とかね。私は普通に彼女たちと仲良くしたいし、出来れば美少女になってというおまけつきで……。

まあ、精神科医の斉藤環さんが昔書いてたけど、二次元オタクの究極の願望は二次元美少女になることらしいよ。二次元美少女にもてることじゃないってのがポイントだよね。

うん。まとめると、彼女たちに対する憧れが強く、混ざりたいけど混ざれないもどかしさを感じる、なんともほろ苦く切ない詩なんだと思うよ。ごちうさの場合は次元の壁によって混ざれないんだけどね。

僕も今度読んでみるよ。

そう、紹介した甲斐があった。じゃあまたね。

ああ、お気を付けて。

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