INTPには上下も左右も、そして前後も無い

前職の上司から、呆れ半分・感心半分で言われた一言をずっと覚えている。

「〇〇さんには、上下関係という概念そのものが無いんだね」

あえて言いたい。「ハッとした」。
これはINTP寄りのINTJが見ている世界の話です。


1.上下が無い

上司と部下、先輩と後輩そして親と子。世の中には無数の力関係があり、重なって存在し、誰かにとっての上は誰かにとっての下である。その力場を理解し立ち回る事がムレの中では重要なはず。

なのにだ。INTPはおそらく、その力場に乗る事ができない。センサーが壊れている訳ではないので、役職や振る舞いを見て「この人が上とされているっぽいな」という見立ては付くのだが、自分がその力場の中に入っていくイメージが沸かないというか、出来ない。身体に馴染まずいつまでたっても不自然なままなのだ。

学生時代に接客のバイトをしたが、来訪客に対して丁寧なのは言葉だけ。無茶な要求には応えないし、粗野な客には無感情でエスカレーションした。今の上司にも、言葉こそ丁寧だが内容は言いたい放題。後輩に対しても、知らないことは教えるし言いづらいことを代わりに上に訴えたりこそするが、仮に同僚から頼まれても同じ温度で対応する。良くも悪くも「フラット」。上と下とで話し方を変えたり、振る舞いを変える事が出来ない。取引先に対してだけは、胃を痛めながらもうやうやしく対応するが、おそらく、非常に、不自然である。

INTPが外から見た時に「傲慢」「不遜」「上から目線」と捉えられやすいのは、こういうところがあるせいかもなと思う。ちなみにひろゆきはINTPらしい。さもありなん。

このフラットさはxNTJには無い気がする。彼らの自尊心の高度は「神」だ。つまり世の中の理の外側で君臨するもの。個人への好き嫌いがない代わりに、そこにあるのは不動の「上から目線」である。INTJの方には悪口に捉えられるかもしれないが、私も診断するとINTJと出てくるので許してほしい。そちら側です。

2.左右が無い

xNTJには一定仲間意識があるというか、秩序の維持のために内と外とを区別する意識が働いているように見える(感情的なムラ意識ではない。決して)。しかしINTPは、内と外という概念すら希薄。自分は〇〇という組織の一員である、という感覚が薄いINTPは、今日の敵と明日仲間になることに少しの違和感も覚えない(ENTPもここは似てる気がする)。それが合理的ならする、という割り切りを本能レベルで行うことができる。事実と感情を切り分ける必要などない。その2つが自らの中で結ばれたことが無いからだ。

友人と恋人と家族とで態度が大幅に変わらないのもこのあたりにあると思う。恋人になるのが合理的だと思ったからなるし、今の世の中ではまだ結婚が最適解だから結婚するという機序。

3.前後が無い

INTPは時間感覚も希薄だ。INTJのSe劣等("いますぐにここで"が出来ない)とは違い、過去のことがいつでも取り出せるし、未来は常に現在と地続きで、今からいくらでも変えられるだろうという感覚。それぞれが別のものではなく、完全な続きのものとして等しく扱われている。

例えば、「過去に成し遂げた偉業」と「これからなしうるかもしれない可能性」は、等価である。成し遂げたことは素晴らしいが、可能性は無限だから。
「これまでうまく回ってきたシステム」と「新しく導入するシステム」もまた等価である。安全性は大事だが、変化しないシステムは相対的に脆弱になっていくものだからである。
「幼なじみ」と「新しくできた友人」も等価である。幼なじみからは安心と相互信頼を、新しい友人からは客観的視点と新しい意見をもらうことが出来る。

等価なものを比べるときに必要なのは合理性と経済性だ。保守でも改革でもない。INTPはただひたすらに合理主義の奴隷である。


以上、私の中のINTPに出てきてもらった。私はNiもTeも強いので、上記よりも幾分か権威主義だし、身内贔屓だし、どちらかといえば保守である。しかし自分の中のINTPが、世界をブルドーザーのように平らに均して受け止めようとすることもある。

総じて言いたいのは、INTPは決して天邪鬼ではないよということ。どこから観ても「中庸」に見えるせいで、どこから観ても「俺たちとは違うヤツ」であるのは否めないけれど。悪意は無いし、ましてや敵意もない。

ただし、、「面白いこと」と「つまらないこと」は明確にある。世の中は面白さでしか分けられないと、INTPは本気で思っている。

ばいばい。


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