今日は他人を信じてみよう

ワクワクさん、今日は何を作るの?

そうだね、「他人を信じる心」を作るよ!

みたいな感じで、作ってくれないかな。無理か。


▼とりあえず、自分の病理を整理

・つながりの薄い他者、会社関係、友人はむしろ信じることが出来る。信頼という方が近い。いい大人だから、ビジネスライクにある程度やっておいてくれるだろうと。
・逆に、身近な人間ほど信じられない。会社や世間というしがらみを無くした身内(=親)を信用できなかったから。
・加えて、自分のコミュニケーション能力も他者→友人→身内になるにつれてポンコツになる。理由は上記と同じ。最初に身内との関係構築で躓いているから。
・ということで「身近な他者ほど警戒し、怯え、過剰防衛に走る」という性格になってしまっているのが、私の病理。
・社会の構成単位「2人」を達成したいので、私に根付いた病理を解くための方法を模索中。

▼精神論は無理。出来るならやってる

・他人に心を開きましょう
・信頼できる人を見つけましょう
・自分を信じてみましょう
みたいなものである。どれも、出来るなら既にやっているだろ、という。特に最後に関しては、私の場合「自分で自分を信じてあげるか、死ぬか」みたいな状況になったこともあるので、否応なく既に獲得している能力だ。どういう状況になっても最終的には何とかなるだろうという自信は既にある。が、それゆえに他者を信じたり、他者に尽くそう、愛してもらおうみたいな感覚が抜け落ちていることを問題視している。というわけで、精神論からのアプローチはいったん見送り。

▼自己啓発本、胡散臭い

NT型お得意、知識レベルを上げて魔力で殴る戦法をとりたい。ただ、このテーマ(やこの付近のテーマ)、どれもすべからく胡散臭いか、「私(n=1)はコレで人を信じられるようになりました!」しかない。もっとこう、体系的というか、哲学とかじゃない方からアプローチしたくて……。哲学や自己啓発論って時代が下るほどメタにメタを張り続けている印象で、面白がることは出来ても自分の心にいまいちインストール出来ないのは私だけだろうか。ならば自己啓発ジャンルじゃなくて児童心理学ジャンルから行くべきか。躓いた幼児期の私を、今の私が導き直すのが良いのか?

しかし、いまだコミュニケーション能力に難がある私が、子どもの私に何をしてあげられるんだろう。いや、ない。

▼脳も肉塊だから、多分、躾られる

意識面からアプローチするのも、体系を学ぶのも、おそらくはハードルが高くて時間がかかる。そもそもゴールの「他人を信じる」が精神的にどういう状態なのか私の中で定義できていないから、暗中模索感すごくてやる気が出ないしつまんない(私の中のINTPが強く出てるな……)。
だから、脳みそという肉塊に躾をすることにした。まずは信じる、のは無理なので、「身内を信じた人間が取る行動」を考える。それを実行する。気持ち悪いけど。
それで、エサが出てきたら万々歳だ。私の脳は訓練されたハトの様に人を信じていくだろう。エサが出なくても、出るまで続ける。エサを出してくれた人にだけ懐けば良い。

ところで、身内を信頼している人間が取る行動って、なんだろうな。身近な人間を信用したことが無いから思い付くのがすごく難しいけど、そこは他の人に話を聞いてみればいいか。

ばいばい。


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