安全と安心を切り分けない人たち

リスクマネジメントというか、アセスメントの段階からか。

安全と安心を切り分けられない人がいる。

安全とは量的であり、安心とは質的である。違う軸で評価されるものをどうして一緒くたにしてしまうんだろう。

例えば、「女性の7割は浮気をする」と「自分の彼女が7割の確率で浮気している」を=で結ぶことは出来ないが、浮気されるリスクを7割として、そのリスクに見合わない投資を行わないことは「安全管理」のために必要だ。

「自分の彼女は浮気をしない」と安心出来ることと、その彼女が実際に「安全」であることは結ばれないはずなのだ。

流石に人を見る目が厳しすぎるだろうか。。

私は「安心させてくれる=安全である」とはまったく考えない。同様に、「安心させてくれない=安全ではない」とも考えない。二軸は分かれて評価されるべき項目である。そもそも他人が安全であると思っていないし、安心を他人から欲しいとも思っていない。安心は自分で自分に与えてあげるものだ。

というか、人間に対して「安心できる」状態ってどういう感じ?自分以外の他人に「安心」なんて、みんな本気で抱いているの?

もしかして、それが「信用」ということになるのか。
安心を安全に結びつけられる人だけが、人を信用できるのか?

頭で考えすぎるNT型にはハードルが高い行為だな……。

ここからはただの悪口だけれど、「安心させてくれないのが悪い」って言ってる男女ともども、全員うっすら下に見ています。自身ですら量的に測れない基準で無限にゴールポストを動かしながら他人を糾弾し続けるの、他責思考が過ぎるよって。

ばいばい。

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