【あたりまえ体操】世間体で恋愛をしてはならない
人間不信とアロマンティックが合わさった結果、アンジャッシュ的な奇跡の勘違いで「一途な彼女」として生きてきた人生でした。
ただそういえば、学生時代の友人に「ほんとに良い彼女だよね」と言われて「こんなに性格が破綻しているのに"彼氏を大切にしている"の一点だけで評価が逆転するのコスパ良いからね」と答えたことがあった気がする。流石のINTJにしても正直すぎるだろと今となっては思う。
弁解するが、定量的なスペックに興味は無いので「本当に良い彼女」を演っていた。控えめと評される(優しい)彼を想い、一切の男関係を断り、周りにも宣言し、浮気はせず、束縛もせず、プレゼントもねだらず。
「服飾品のプレゼントは嫌いって言ってたけどこれなら捨てられてもいいから」と1年記念に贈られた1000円の髪留めを後生大事に着けていた(6年くらいしたら流石に壊れました)。
私の中には確かに情があった。けれど信用はしていなかったし、憎むことも、全てを投げ出して愛したいと思うこともなく。裏には常に損得勘定があった。
ほんと、男女で恋人という形に収まれるならそれが一番「コスパが良い」わけですよ。同性同士でパートナーになったら要らない気遣いをされそうだし、パートナー作らなかったらそれはそれで「興味無いの?」「理想高いんじゃない?」って言われるわけでしょ。詮索されたくないINTJの血が全力で拒否している。ダルすぎる。ヒト避けに結婚指輪(ダミー)をはめておく人の気持ち、めっちゃ分かります。
ただやっぱり、コスパだの世間体だので結婚しちゃ駄目なんだよね。
相手は当然「自分は愛されてるだろう」って期待する。そして私の中の深淵を覗いた時に戸惑う。期待したはずのものがそこに無いから。私は私が一番大事。どこまでいっても。
しかし、私は社会の構成単位は「2人」だと思っているので、パートナーとなる人を必要としている。パートナーを探すにあたり、恋愛以外の手段を用いることは非常にハードルが高く、婚姻以外の契約で繋がり続けることもまた難しい。こまったこまった。友情婚とかも正直信用ならないんだよな、、、結局のところは私が他人を信用していないという所に問題が返ってくる。やっぱり「信用」を脳みそに躾けるしかないんですかね。
ばいばい。