貴方は日向で陽キャラで、私は日陰で陰キャラで

陽キャと陰キャの話です。最近読んだ本とも絡めつつ。


私は陽キャと陰キャを分かつものはただ一点のみ、「他者への信頼」だと思っている。
そこからすべてが始まっていて、言動でも、見た目でも、発現する事象はすべてそこに繋がる。

急に話は変わりますが、進化心理学の点から見ていきましょう。

とおいむかし、はるかかなたのアフリカ辺りで。
狩猟採集社会におけるコミュニティ人数の上限は150人。全員が全員と知り合いであり、生まれてから死ぬまで関係のリセットは出来ない。コミュニティから抜けることはすなわち死であり、自分の遺伝子の断絶を意味している。

だから人間には「他者と繋がる」「協力する」「利他的に振る舞う」特性が育った。というか、それが出来るタイプだけが選別されていったのではないかというのが進化心理学。他者を出し抜き、裏切り、食料を自分だけで抱えるタイプは集団から追放されていただろう。

(とはいえ現代まで受け継がれている反社会的なパーソナリティもあって、それが偶然の中立進化なのか、現代で問題になるだけで人類全体の歴史から考えると必要なパーソナリティなのか、は、私には分からないけれど。)


そんでやっと本題。陽キャと陰キャ。

先ほど書いた「他者と繋がる」「協力する」「利他的に振る舞う」は、どれも陽キャっぽい。学園祭とか、飲み会とか思い出してみて欲しい。雰囲気づくりに協力的なのが陽キャだったでしょう。

じゃあ陰キャは。運動会の練習には来ないし、学園祭はサボるし、普段も暗くて教室の雰囲気を盛り下げる。そんなところか。※運動会の練習に行かないのは私の話です

同じ人間なのに、なぜこうなるのか。
それはシンプルに、他人を信用していないから。


他人と繋がって仲良くなっておけば、いざという時に助けてくれる。知恵をくれる。

周りと協力すれば、一人では出来なかったことが出来るようになる。

利他的に振る舞えば、相手からも同じだけ返してもらえる。

そういった成功体験の積み重ねが、他人を信頼する心を醸成する。成功した人間は、次も同じことを繰り返す。自分が集団に対して利他的に振る舞っているからこそ、そうではない人間を「礼儀知らず」として排斥する。そうしないと、信頼関係で成り立つ自分たちのコミュニティの基盤が崩れてしまうから。これが陽キャのメカニズム。


一方、陰キャは他人を信用していない。

本当にしんどい時には誰も助けてくれないんだから、誰かと仲良くなるメリットなんて無い。弱みも見せない。

周りと協力するよりも、自分ひとりでやったほうが早い。

利他的に振る舞えば、自分のリソースを他人に貪られるだけ。

そういう思考回路が、人を閉鎖的に、独善的に、利己的にしていくのである。
自分が他人を信頼していないから、陽キャ同士の信頼関係が理解できなくて「奴等は薄い」と言う。
相手からの好意が信じられないから、お世辞や社交辞令のことを「自己保身したいだけ」と断じ、直接的で批判的なやりとりを「本質の会話」などと正当化する。
自分のリソースを奪われたくないから、責任逃れをしたり、ケチになったりする。
そうやって他人との接触を避けているうちに、他人から得られるはずだった客観的視点や先人の知恵といったものからも距離が出来て、風体のダサさや人生の行き詰まりに繋がっていくのである。

書いていて精神的自殺が始まったのかと思った。流石にここまでにしよう。


改めて。陽キャと陰キャを分けるもの、それは「他人を信じているか」だ。だから、内向的な陽キャも居るし、外交的な陰キャも居る。
無口で控えめでも「他人同士は信じあえる」と考えている人は、まず自分から与えるのだ。だから、内向的でも陽キャグループに所属する。一度接点さえ持てれば、その後の振る舞いでは減点されないから。
一方、お喋りで他人好きでも、誰も信用していない人間は陽キャグループからは排斥される。会えば会うほど不親切で疑心暗鬼なのがバレるからだ。狩猟採集社会の基準で見れば、他者を信用しない人間は危険極まりない。自分たちのコミュニティに入れてしまったが最後、最悪コミュニティが崩壊しかねないから。

陽キャ同士は信頼を醸成し、他者を許し合う。心理的安全性が確保出来ているから、コミュニケーションのハードルが下がり、より関係が深まっていく。正の循環。

対して、陰キャ同士はどうであるか。これは楽しい楽しいインターネットを見れば明らかである。誰のことも信用していない暗い人たちが、相手よりはバカに見られたくない、奪われたくないと、日がな一日レスバトルに勤しんでいる。


なお、「狩猟採集社会で有利だった特性ってことは、陽キャって原始的なパーソナリティってことじゃん」
と思った人がいたら、ほんとそういうところですよと言いたい。陽キャ=馬鹿、陰キャ=思慮深いとか、まだ夢見てるのかな。
人類はほとんどの時間を狩猟採集社会の中で生きているんだから、種としてのスタンダードはそっちなんですよね。一人では生きていけないヒト種のくせに反社会的で非協力的なタイプが今日も生きていられるのは、スタンダードな人間たちが社会のために身を削っているから。特別なジブンに酔っていいのは中学生まで。


さいごに、私は当然に陰キャである。
インターネット楽しい。

ばいばい。

p.s.最近読んだ本↓

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